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芸術の父

父は30年も前からシャッターを切り続けているいわゆるカメラ小僧である。

昼はテーマパークで家電修理等の雑務をこなし、朝は新聞配達のアルバイトをしている。

そんな父は今現在趣味のカメラクラブの支部長をしており、日々わたしには時間がないとばたりんこん、ばたりんこんと毎日を過ごしている。

今日の昼下がり、AMラジオを流し珍しくリビングで作業をしていたので覗くと県展の他のメンバーの作品をひろげて見せてくれた。古株メンバーの作品、新規メンバーの作品はどれも素人目には上手であるが、やはり父の審美眼からするとまだ改善の余地がある作品があるようだ。

私も一時期父に習いカメラを習っていたが、父の方が熱心になるためスマホカメラでいいと四、五年前からシャッターを切っていないし、切るのもはばかられるご時世になってきたようにも思う。

今日の父とのプチ写真談義は久々に父との有意義な時間を過ごした。思えば10メートルの高さから、落下して飛び降りた歳ICUの中でもシャッターを切っていた父である。登山家が山に登る理由が、そこに山があるからだと言ったようにそこにカメラがあればファインダーを覗きシャッターを切る。

父もカメラの事となると情熱がほとばしり、聞いている人そっちのけの躁状態になることがある。たいがい私か母と私が聞き流しているのだか、そんな父も周りからはとても信頼されているらしく、ひっきりなしにカメラや写友から電話がかかってくる。

30年も情熱を傾ける事が、好きな事があるそれは脱帽だ。簡単には日の目を浴びないが、絶えず諦めずに研鑽をつむ。我が父ながら家庭サービスを怠らずここまで紆余曲折、すったもんだあったが今日を迎えられた事に感謝。

私の書きかけの詩は、プリントアウトしたまま冷蔵庫に張り付けてあるが、まだ執筆活動を続けてヒヨっこの私。


まだまだ人の心を打つ名文をサラリサラリと書き出すには修行が必要だ。

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