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ラテンアメリカの民衆芸術@国立民族学博物館

国立民族学博物館、通称みんぱくは、文化人類学の博物館であり研究所である。研究の成果を展示というかたちでわたしたちにみせてくれるこの博物館がわたしは大好きだ。
そして今回の特別展はわたしの好きな、いや愛しているといってもよい地域、ラテンアメリカをテーマに扱っている。間違いなく面白い。

期待を胸に、展示をみて感動した。
期待を上回る素晴らしい展示だった。

まずチラシから目を引く。A3を二つ折りにしたサイズで、表紙はナワルというメキシコのヤギの木彫。キービジュアルとして、目だけがピックアップされた意匠が印象的だ。めっちゃ見てくる。
反対側の表紙は、モラというパナマの先住民族の作る飾り布。モラは、リバースアップリケという技法を用いており、手芸をたしなむ人には知られている。わたしの叔母は趣味でモラ刺繡をしていて、居間に飾っていた。
洗練されている余白のあるデザインでありつつ、ポップで人目につきやすい資料の写真を使うことで、より多くの人に来てもらえる広報物になっている。
ちなみに、図録はもっと攻めたデザインで、真っ白な本に意匠化したナワルの眼だけというシンプルさ。黒い丸に金色の縁取りの眼がまた良い位置にある。可愛い。そして、図録と聞いて想像するサイズよりかなり小さく、文芸の書籍より一回り大きいくらいのサイズで、即決で購入した。わたしは展示の内容が良くても、図録を買うことはまれなのだが、このサイズは良い。図録って大きすぎて読む気も起きないのだが、このサイズだと普通の読書と同じように読める。全ての図録がこうなれば良い。

さて、肝心の展示だが、とにかくラテンアメリカの民衆芸術、つまり手工芸品がずらり。
入場してからすぐのコーナーには、玩具や刺繍された布、編み込み帽子などが用途ごとにまとめて、国関係なく展示されている。白い背景に映えるカラフルな色は、わたしたちがイメージするラテンアメリカで、しかし乏しい知識を上回る混沌さだ。キリスト教に関連する土人形や陶器があるかと思えば、美しい織物や帽子という生活用品や生活を描いた樹皮絵もある。

圧倒されるほどの民衆芸術の歓迎を受け、次のコーナーでは一転、薄暗い展示だ。「先コロンブス期の遺産」である。
よく残っていたなと感じるほど古い時代の布やユーモラスな造形、絵付けの土器などが展示されている。また、普段は常設展示でみることのできるアステカ時代の石彫も展示されていた。2m以上あり、迫力がある。暗がりで下からライトアップされた巨像に、古代への思いを募らせる。もはや異世界だ。
また、アメリカ大陸を考える場合に、大航海時代の動乱、植民地化は避けて通れない。同時に、それ以前に育まれていた文化にも着目する必要がある。
そのうえで、植民地時代以降、先住民の世界観はどう変容していったのかを知る手掛かりとして、メキシコの先住民族ウイチョルの毛糸絵や肩かけ袋、パナマの先住民族グナの衣装や、アマゾン地域の仮面と焼き物が明るい光の中で展示されている。

次のコーナーに行く前に、「REPASO」というインフォメーション・スポットがある。ラテンアメリカとは、どの地域のことを指すのか、どんな国があるのか、といった基本情報から、「月刊みんぱく」から記事を抜き出してきたディープな情報まで知ることができる。さすがに国は場所と国名を合わせられると思っていたが、タッチパネルでできるクイズにチャレンジしたところ、意外と細かくは場所を憶えていなくて正解率低かった。ちょっとしょんぼりした。

そして、「キリスト教の展開」と「アフリカ系の人びとの創造力」の展示となる。
メキシコには11月1日と2日に死者の日という日本でいうお盆みたいな日がある。「リメンバー・ミー」という死者の日を扱ったディズニーアニメがあるが、死者の霊が生前の自宅に帰ってくるという日なのだ。祭壇が作られ、遺影とともに十字架が供えられる。その祭壇は、マリーゴールド(奇しくもキク科)で埋め尽くされる。メキシコ版仏壇だ。これを見て、キリスト教っぽさはあまり感じない。かつて宣教師たちはずいぶん布教活動を頑張ったということは知られているが、それでもなお染まり切らない土着の宗教観には恐れ入る。なんなら十字架、ついでじゃないか。
アフリカ系の人びとだって一緒だ。奴隷として連れてこられた彼らが作る椅子や櫂には、独特の文様や色使いがある。人のアイデンティティは簡単に失われない。

さらに、ラテンアメリカはアジア文化からの影響も受けている。メキシコでは漆器、グアテマラとエクアドルでは絣布が、アジア文化の影響を受けて作られていた。漆器といっても、漆ではなく昆虫や種子の成分を使っているそうだが、材料だけでなく模様も色彩も日本らしさはない。あまりにもラテンアメリカの美的感覚が強い。
おそらく猫だと思われる柄の物入れもあり、猫自体はとても可愛いのだが、だからといってすべて猫で埋め尽くすか?余白をすべて埋め尽くしちゃうところにラテンアメリカの感性をみた。
絣布もそうだ。懐かしさを感じるのに、見たことのない模様なのだ。同じ技法でも、別の地域に住んでいる人が作ると違うものができあがる不思議を教えてくれる。連綿と築き上げてきた文化や歴史、その結果としての感覚は、どうしても現れるのだなぁ。

展示室2階にあがると、第3章「民衆芸術の成熟」が待ち受けている。展示パネルの説明文と図録からの受け売りだが、メキシコとペルーの政府が近代化政策の一環として手工芸品を民衆芸術として振興する公共政策を実施しているらしい。こうして政府主導で成熟していった民衆芸術が展示されている。チラシや館内マップにも使われているナワルも、ここで展示されている。また、生命の木という焼き物もここに展示されている。岡本太郎はメキシコの文化、芸術に影響を受けたと言われているが、以前大阪の中之島美術館でやっていた岡本太郎展でみた「生命の木」はまさにメキシコの生命の木からインスピレーションを受け、作られたのだと知ったときのことを思い出した。
メキシコとペルーの展示の後に他の地域の民衆芸術も紹介されており、その中でもブラジルの「紐の文学」というのが面白かった。本が紐で吊るして安価に売られており、表紙や挿絵は木版画で描かれている。その木版画が美術的な価値を見出されているのだが、確かに良い。というか、本が吊るされて売られているというのが、すでに良い。買いたいもん。

そして、第4章「民衆芸術の拡大」へと続く。ここでは、チリの貧困層のあいだで始まったアルピジュラというアップリケ画、メキシコのゲレロ州で起きた失踪事件の真相解明を求めるアヨツィナパ文書など、暴力の記録を残す目的で作られた作品を紹介している。そして、もっとも衝撃を受けたのはメキシコ・オアハカ市で制作されているストリートアートだ。2006年に州政府の不正義に抗議する目的でストリートアートの制作が活発化したとのことだ。そのストリートアートの原画となるのが木版画で、木版画が使われているのには日本の影響もあり・・・、というような話は図録を読んでいただいくとして、わたしがなぜ他よりもオアハカのストリートアートの展示に衝撃を受けたのかというと、実はオアハカに行ったことがあるのだ。当時のわたしは2006年に州政府と民衆との争いがあったことを知らなかった。なにも知らずにオアハカの街を観光し、とても楽しんだ。とても楽しかったのだ。良い思い出しかなかったのだ。しかし、そう、確かにあったのだ、この地で争いは。わたしの思い出の中では歓喜しかない街が、十数年前には深い悲しみや怒りがあったのだと知り、衝撃を受けたのだった。
知らなかったことは仕方がないので、当時の自分に言うことは何もない。ただ、知った上で、また訪れたいと思う。知った上で、オアハカの街を楽しみたいと思う。

また、この章の最後には、民族衣装を集団的知的財産として法的に保護することを求める活動についても少し触れられていた。数年前のみんぱくの特別展「先住民の宝」で初めて知ったことだが、国内外のアパレル産業が民族衣装の文様を盗用し、利益を搾取している問題について、抗議活動をおこなっている。
文化の盗用については、気付かないうちに当事者、それも搾取する側に回ってしまう危険性が高いので、意識するようにだけでもしたいと思っている。特に世界の色々な文化や風習を素敵だと感じる人ほど、エスニックで素敵だと思ったものを購入したり身につけることがそれらを踏みにじることになるかもしれない。

展示の最後は、「ラテンアメリカの多様性」という章で、ラテンアメリカのたくさんの地域の仮面が展示されている。仮面が意味するのは、各民族の風俗、歴史などで、たくさんの仮面が展示されていることで、その多様性が表現されている。
仮面の道を通り抜けた後に、鏡がある。背景にたくさんの人が載ったタペストリーがあり、その中にわたしが立っている。わたしも、彼らと同じ世界で、一緒にこれからを生きていく。
今回の展示、「ラテンアメリカの民衆芸術」が伝えたいことのすべてが、ここに集約されていた。
一緒に展示をみにきていた友人を呼んで、鏡の前で一緒に写真を撮った。
わたしたちは、この世界を一緒に生きていく。その誓いのように。

この展示に関わるすべての人に敬意と感謝を。
これからの世界を一緒に生きていく仲間として。

ーーー

おまけ。
なんでそんなにラテンアメリカ好きなん、って聞かれたら答えるの難しいけど、メキシコに3か月くらい行くくらい好き、というのは確か。

第1章で展示されてたペルーの帽子も、作るぐらい好き。なんでか大好きラテンアメリカ〜!


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