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No.003:HIP HOPな店通いと中学生の見栄に溢れたお洒落

本noteでの文章は私がディープな昭和-平成時代を連想しながら初めて書いている小説的な連載です。内容は全てフィクションであり、実在の人物や団体・店名などとは関係ありません。

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"Wild Style"通いとダンスの練習の日々

1991年、中学校で真似事的なダンスチームを作った僕は毎晩のように仲間と公園に集まり、段ボールを敷いてはブレイクダンスの練習の日々。
そして週に1回以上は必ず、繁華街でようやく見つけたHIP HOPの店"Wild Style"まで電車で30分の移動をして店に通った。

ダンスグループで1番洒落ているケイタは"Wild Style"に滞在する勇気がないようで、僕は1人で店に通うことになった。

相変わらず"本物のダンサー"には会えないが、通うたびに静かにしか息もできないような緊張も少しずつ緩和し、店の商品を物色する余裕も生まれてきた。しかし店で取り扱う洋服は12-3歳の僕に高くて買えるはずはなく、かと言って何も買わずに帰るばかりでは店番をしている女性スタッフの"姐さん"と仲良くなれるはずもない。

店にはCONARTと書かれたブランドのウェア、ラルフローレンのウェア、New York YankeesやChicago Bullsなど、アメリカのスポーツチームのロゴが入ったウェアなど、多くのウェアが存在していたが、僕が定期的に買っていたのはMIX TAPEとチャンダンのお香だけである。

MIX TAPEが1000円ほど。チャンダンのお香は5-700円ほど。
"昼のパン代"として親に貰っているお金は1日500円であり、パンを食べずに貯めた小遣いを持っては繁華街に出かけ、MIX TAPEかチャンダンを買って帰る。たったそれだけの買い物で1回の入店で小一時間は店に滞在する。

今思い出すと迷惑なガキだが僕は精一杯の努力をし、たまに店に通うことを我慢してパン代を使わずに金を貯め、HIP HOPのグラフィックが書かれたTシャツなどを買うこともあった。

そして購入したTシャツは高価なものを買ったことがバレると親にパン代を無くされてしまう恐れがあるため「近所の服屋で買った」などと適当な嘘をついて誤魔化すのだ。
母はHIP HOPのグラフィックが描かれているTシャツを高価なものだとは思わなかったらしい。

新たに購入したMIX TAPEは夜の公園でラジカセで流してダンスのBGMにする。
その頃には13歳になっていたが、何ともナメたガキの集まりで、夜の公園(と言っても19:00-21:00の2時間)で、当時の街の最先端のMIX TAPEをラジカセで流しながらタバコを吸い「この曲が最高だ」とか、そんな話で盛り上がる毎日。

当時の僕のお気に入りはEric B. & Rakimの"Juice"
2Pacが出演していることでも知られている映画"Juice"で使われている曲が大のお気に入りであった。

たまに「公園で大音量で音楽をかけてダンスを子供がいる」と警察に通報され、パトカーや原チャリで警察がやってくるのだが、治安の悪い僕らの校区では、他にシンナーを吸っている学生が居たり、タバコを吸うヤンキーの集まりがあったりで、僕らのように"テレビに影響されて踊りの真似事をしている中学生"は優等生に分類されるようで、警察からは「あまり大きな音を出すなよ」という注意だけで終わっていた。

お洒落探しのフリーマーケット

同じ"ダンスの真似事チーム"にいるお洒落なケイタ。彼には高校生の姉がいて、お洒落に関する情報はケイタが姉から聞いて持ってくる。
ある日ケイタが持ってきた情報は「繁華街の公園でフリーマーケットというものがあるらしい」ということだった。

13歳になった僕らは徐々にカッコつけることを覚え始め、近所の格安衣料店ではなく、ダンサーっぽい格好を求め始めたのだが"Wild Style"で売られているウェアは13歳の財布には厳しすぎる。

「フリーマーケットで中古の服が安く手に入るらしい」という情報を得た僕は、親に頭を下げて小遣いをもらい、正式に繁華街に出る許可を得た上でケイタとフリーマーケットへと出かけた。

"どんなブランドが良いのか"・"どんな格好が良いのか"という情報はもちろん持っていない。唯一僕が持っている情報は、たまに"Wild Style"で見かけるダボダボな格好をした顧客の服装と、店内で流れているMTVの映像で黒人アーティストが着ている服である。

"Tシャツは頑張れば自分で買えるから、とりあえずダボっとしたパンツ"

それがフリーマーケットで僕が探すものとなった。

高校生スケーターとの出会い

多分5,000円ほど親から貰った小遣いと、パン代を貯めた5,000円ほどで、10,000円ほどを持った13歳の僕とケイタが、人生で初めてフリーマーケットの会場を訪れる。

そこでは公園いっぱいにテントやシートが敷き詰められており、老若男女問わず様々な人が様々なものを売っている。
そんな会場の中では古着屋を営んでいるという人が出張販売的に店の服を売っていたりと、販売主との会話で僕らも少しずつ世の中の仕事や仕組みを理解していった。

そして会場の中で、スケボーに乗っている兄ちゃん達がいる。
その連中はラジカセでHIP HOPを流しながら、洋服を販売していたが、そもそもスケーターという人種を見るのも今日が初めてであり新鮮な驚きに興奮してしまう。

洒落たケイタは少し緊張しているようだが、僕は"Wild Style通い"に慣れたお蔭でフリーマーケットの販売主に話しかける程度は出来るようになっていた。

そこで古着を売っていた兄ちゃん達は大学生で、クラブ通いをするための小遣いを稼ぐために、着なくなった服を売って小遣いを稼いでいると教えてくれた。

僕はすかさず「この街にクラブなんてあるんですか!?」ということを聞いて、大学生の兄ちゃんも面白がってくれたが「さすがに中学生は入場できないな」と教えてくれて、クラブの魅力やスケーターという人種について、タバコを吸いながら教えてくれ、ラジカセでBeastie BoysやCypress Hillなどを聞かせてくれながら、西海岸だの東海岸などのいうことを話してくれたお蔭で、どうやら僕が好きなのは"東海岸"だということを覚えたのだ。

僕にとっては"この街"どころか、映画Beat Streetのようなクラブが日本にあるとも思っていなかったが、世の中はバブル真っ只中で実はディスコもクラブも存在していたのを後に知ることとなる。

KOOLとの出会いとクラブへの憧れ

大学生が吸っているタバコに目をむけると"KOOL"と書いている。
僕らが持っているタバコは、マイルドセブンやセブンスターで、マルボロやラークを持っていれば洒落ている程度のもの。

「なんですか、そのタバコ」と、すっかり大学生との会話が楽しくなった僕は"KOOL"というタバコを見せてもらい「最近のクラブじゃこれが多いんだ」という情報を得たついでに、そのタバコを吸わせてもらい人生で初めてメンソールのタバコというものを吸った。

何とも滅茶苦茶な時代だったが、僕らの暮らす住宅街では売っていない"KOOL"が売っている場所を教えてもらい、僕は帰りに立ち寄ろうと決め、色々と洋服を見せてもらった上でダボっとしたデニムを2本入手し、ケイタも麻で作られたパーカーのようなものを買い、大学生の連絡先も教えてもらった後に帰路についた。

そして帰路では"KOOL"が売っているという自動販売機でKOOLを数個購入し、電車に乗ってKOOLに火をつける。

今ではあり得ない光景だが、当時は電車でもタバコが吸えたもので、僕らの利用する電車は治安の悪い地域を走っているため、学生が学生服でタバコを吸っている光景も珍しいものではなかった。

こうしてまた僕はクラブという存在を知り、本物のダンサーに出会うことに一歩近づいたと感じるのだが、親から貰ったお金でKOOLを買ったことに罪悪感も感じており、少し切なく感じた。

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