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No.005:憧れのダンサーとの付き合いの始まり

本noteでの文章は私がディープな昭和-平成時代を連想しながら初めて書いている小説的な連載です。内容は全てフィクションであり、実在の人物や団体・店名などとは関係ありません。

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長年憧れていた"本物のダンサー達"との出会い

HIP HOPの黄金期と言われる1990年代、僕(中井 丈一)はテレビ番組"天才・たけしの元気が出るテレビ!!"の人気コーナー"ダンス甲子園"の影響で、小学校高学年から中学校にかけてダンスの真似事グループを作った。

ヤンキーやバンドマンの多い僕らの学校で前例のないことをやっていることに、どこか誇りを感じていた僕は"本物のダンサー"との出会いを求めて繁華街にあるHIP HOPの店"Wild Style"に通い詰め、ようやく"本物のダンサー"がレッスンをするダンススタジオにたどり着く。

1993年にリリースされたA Tribe Called Questの名曲"Award Tour"が僕の人生を変える曲のひとつとなり、僕はダンススタジオで講師を務める"ケンジさん"に出会う。

本物のダンサーとスタジオの準備を行う時間

"Wild Style"の店員さんに教わったダンススタジオの入り口で、講師を驚かせてしまった僕は、自己紹介を行なって見学に来た旨を伝える。

「あぁ君か!Wild Styleの姐さんから聞いたよ」と笑いながら僕を迎えてくれたケンジさんは「これからレッスンが始まるからスタジオの掃除だ」と伝え、僕も手伝うことを伝え掃除に取り掛かる。

「入り口の横にモップがあるから2つ持ってきて」と頼まれた僕は、スタジオの外に立てかけてあった2つのモップを持ってスタジオに戻る。
1つは綺麗なモップ、もう1つは汚れたモップ。

どちらをケンジさんに渡すのが正解か分からない…
僕にとっては「ひとつ間違えたら将来の可能性を潰しかねない」という過度な緊張が走る。

僕が選んだのは"僕が綺麗なモップを持って滅茶苦茶掃除を頑張る"という選択で汚い方のモップをケンジさんに渡したが「こら!汚いのを若者が使え」と指摘を食らった。

「しまった、選択ミスをしてしまった!」

後に知ることになるが、ダンスの講師でもあるケンジさんは僕の人生の師匠的な存在となる。そして何かと小さなやりとりの中で無意識に僕に人生教育をしてくれていた。

大人の常識が分からない世間知らずの中学生には、何とも難しい世渡りだ。不良の社会でもそれは同じで、先輩との会話でも回答の選択肢を間違えると殴られることがある。悪気がなくとも人生の分岐点を間違えてしまうことで、意図せず方向に人生が進められることがあるのを痛いほど知っている僕は、デカい声で「すみません!」と答え、綺麗なモップをケンジさんに渡す。

中学校の校章が描かれたボタンの学ランを着た僕は、汚いモップでスタジオ内を丁寧に掃除し始める。

講師のケンジさんは、最高に決まっているデニム姿から3本ラインの入ったADIDASのジャージに着替え、黒い"PORTER"と書かれたカバンからラジカセを取り出す。
「出た!やっぱりADIDASなんだ!」と思った僕は脳に"PORTER"というブランドもインプットした。

ケンジさんは何やらCDがたくさん入ったポーチのような黒いケースを取り出し、その中から1枚のCDをラジカセに入れて大音量で流し始めた。
そこから流れてきたのはA Tribe Called Questのアルバムで、"Award Tour"が収録されている作品だ。

僕はすかさず「A Tribe Called Questのアルバムですね!」と精一杯伝えると、「おぉ、Tribe知ってんのか!」と笑いながらケンジさんが返事を返す。中学校で出会うこともない目上の方々の年齢など想像もつかないが、僕は長年の憧れであった"本物のダンサー"と会話をしていることが嬉しくてたまらない。

僕が丁寧にモップをかけていることを見ながら、ケンジさんは念入りにストレッチを開始してレッスンの準備に取り掛かる。するとレッスンの受講者でもあるダンサーが少しずつスタジオに訪れ始めた。

ダンサーに囲まれる至福の時間

「ケンジさん、お疲れさまです!」という挨拶でスタジオに来るダンサーの面々。

大人の挨拶は「お疲れ様です」なんだと確信を持った僕は、学ラン姿のままモップを持って「どうも、お疲れ様です」とダンサーの方々へ頭を下げる。

何を話して良いのか分からない僕を講師のケンジさんがフォローしてくれ「少年がダンスの見学をしたいんだってさ」と他のダンサーにも紹介し、大人の気配りというものに感動するのであった。

「名前なんだっけ?」とケンジさんが僕に尋ね「中井です」と答えると「下の名前は?」と再びケンジさん。

「丈一です」と返答すると「じゃあジョーだな、ジョー」とそんな流れで僕はジョーと呼ばれ始めたのだが、小っ恥ずかしくて仕方ない。
「それは嫌です」と答えたが、ケンジさんは"ジョー"という呼び名が気に入ったようで変えてくれる気配はない。

19:00が近づいて、続々と集まる洒落たダンサーの方々。
みんなそれぞれに、ニックネームのようなものが存在していて、単に名前で呼ばれる人もいれば、横文字のニックネームが付いている人もいる。
その都度「この少年はジョーだ」と紹介され、相手の名前も伺うのだが、とても覚えきれない。

風変わりな握手

集まった20人ほどのダンサーや講師のケンジさんから、僕は可能な限り1日の間で出来るだけ多くのものを、目で見て盗まなければならない。
今の時代と違ってスマートフォンで動画を撮って後で見返すという技術もなく、ひたすらに凝視して覚えるだけが、このスタジオで見たことを覚えて学ぶ方法なのだ。

そこで目に留まったのが、ダンサーがケンジさんやダンサー同士で風変わりな握手をしているシーンだった。
「お疲れっす」などと言いながら、手を叩いたり回すような動作をしつつ握手を交わしてハグをする。

「なんだ、このカッコいい動作は」と思いながら何とか盗もうと思っていたが、全く盗めなかった。

レッスンのスタート

いよいよ19:00になりレッスンがスタートする。
それまでワイワイと話していた男性女性含めた20名ほどのダンサー達が真剣な表情に変わり、ケンジさんが今日の課題などを話し「今日は見学の少年、ジョーが居るから」と紹介をする。
僕は起立して「どうもお疲れ様です」と頭を下げて挨拶すると、なぜか笑いが起きてしまう。
非常に美人なダンサーもいる中で笑われるのは、カッコ悪くて恥ずかしい。僕はどうやら言葉のチョイスを間違えたようで、"お疲れ様です"を使いこなすのはまだ早かった。

レッスンは大音量でHIP HOPの音楽を流しながら、ストレッチを行い、リズムトレーニングとケンジさんが伝え、"ウォーターゲート"だの"ポップコーン"だのとケンジさんが言えば、みんなの動きが変わる。
そうした一連の流れを見て「これは動きの名称か」と僕は必死に記憶するが、インターネットのない時代ではそれが合っているかの検証を行う術はない。

休憩時間の喫煙タイム

休憩中にはダンサー達がスタジオの外でタバコを吸いながらダンスや酒の話をしており、僕も学ランの胸ポケットから"KOOL"を取り出す。
「おぉジョーはKOOL吸ってんのか!」と、怒られることもなく一緒にタバコを吸いながら「ダンス見てて面白いか?」「なんでダンスをしようと思ったんだ?」なんて先輩ダンサーに聞かれながら雑談の時間を過ごす。
僕にとっては夢のような時間である。

レッスンが終わり帰路へ

そしてLOCK DANCEという種のレッスンの時間、HIP HOPという種のレッスンの時間と続き、それぞれにルーティンという一連の振り付けが決まっており、生徒側のダンサーが踊るのをケンジさんが指導し、最後は全員で踊って初心者クラスが終わった。

「次は上級者クラスだ」と楽しみにしていると、ケンジさんから「少年は門限の時間だから帰りなさい」と帰宅を促され、僕は深々と頭を下げ「ありがとうございました!」と部活動並みの大声でお礼を告げて帰路についた。

帰りの電車では、疲れた表情でタバコを吸うサラリーマンに混じって、僕は窓際で電車の窓を開けて外の風を吸いながら、必死に今日1日の濃厚な時間に見たことを忘れないよう、タバコも吸わずに頭の中で単語・服・ダンスの動きなど、様々なものを記憶しようと必死に思い返していた。


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