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軍艦島は端島(はしま)って名前なの!?【九州旅行#6】


Day3.長崎の歴史を学びに行こう


前日は遅くまで夜景を見に行っており、ホテルの夜ご飯を食べそびれた挙句、22時を過ぎると長崎駅周辺のお店がほとんど閉まっていたため九州まで来て某牛丼屋のお世話になるとは思いもしなかった。

そんなことはさておき、学生時代に社会の授業を受けていると「長崎県」は耳にタコができるほど出てくる地名で、日本の歴史と密に関わってきた土地ということは、あまり勉強が好きではなかった私でもなんとなく分かっていました…

詳しくは知らんけど。

というわけで、長崎の歴史に触れて行こうdayスタート!

朝の散歩も兼ねて、長崎駅から徒歩20分移動し国指定史跡「出島(出島和蘭商館跡)」に到着。

めっちゃ天気がいい…最高。


徳川幕府により製造された人工の島である出島は、1636年に完成し鎖国中の日本に唯一西欧にに開かれた窓として日本の近代化に大きく関わりました。

明治期に役割を終え出島周囲は埋め立てられてしまいますが、1951年に長崎市が出島の復元整備を開始し16棟の建物や景観が当時の姿として復活しました。

入館料520円で、建物内に入れる場所は資料館となっており当時の出島の資料や生活様式などが展示されており見所は盛りだくさん!

門番に扮した歴史スタッフさん


出島で歴史を十分に学んだ後、世界文化遺産に登録されている『端島(軍艦島)』を見るため船に乗りに港へ向かいました。

今回は、軍艦島コンシェルジュといる会社のツアーに参加しました。軍艦島へ行くツアー会社が多く何回か港を間違えて出航5分前に滑り込みで到着。(軍艦島コンシェルジュを利用される方は「軍艦島デジタルミュージアム」と検索して向かわれれば間違えないと思います。)


いざ、出航!!

長崎県の沖合にある端島は島全体の見た目が戦艦「土佐」に似ていることから軍艦島と名付けられたそうです!

そもそも、軍艦島が正式名称だと思っていた私はこの話を聞いた時にガイドさんが何を言っているのか一瞬分からなかったことは内緒にしておきましょう。

船には屋内外に座席があり、ほとんど満席になるくらいのツアー客がいました。

偶然一番後方の席に座ることができたため「ラッキーやったぜぃ」などと思っていたのですが…

いや、寒ぅッ!!


想像以上に海風が冷たくて軍艦島へ到着までの約1時間携帯の着信のように震えながら、唇を空の様に青くして景色を楽しみました。

女神大橋
いよいよ端島(軍艦島)が見えてきました


軍艦島周辺は波が高く上陸ポイントへの船接岸が難しい場合があるようで、天候などによっては上陸できない日もあるそうです。

波のコンディションがよくスムーズに上陸できました!

そもそも端島(軍艦島)ってなにをしてた場所なん?

1810年ごろに端島にて石炭が発見され、石炭の発掘・炭鉱施設として栄えこの島は産業革命の時代を支えていた。しかし、エネルギー需要が石炭から石油へ移ったことで炭量も人口も徐々に減少していき1947年に閉山し無人島となったそう。

ツアーガイドさんから当時の生活様式や歴史を教えてもらいました


端島には、沢山の住居に病院や学校、映画館まであり島のみで完全な都市として機能していたそう。

端島が一番盛だった頃は、面積0.063㎡の島に約5,000人が住んでおり人口密度が世界一だったみたいです!

また、住民同士も非常に仲が良く島に二人だけいた警察官も常に暇をしており、たまに酔っ払いを注意する程度だったそうです笑

当時の初任給は、驚愕の60万円だったようで、テレビの普及率が10%の時代に軍艦島では100%と、優雅な暮らしをしていたそうです!それだけ給料を貰っていたら納得の数字ですよね…

釣りを楽しんでいる方もいました!


帰りの船内では、船内ではもちろん屋内の席(しかも最前席)を確保。帰りの船内でもツアーガイドさんが最後まで軍艦島の歴史や豆知識を教えてくれました!

船内の様子

今回のツアー料金は、フェリー代4,000円に軍艦島上陸時の見学施設料310円で総額4,310円でした!

想像していた以上に軍艦島ツアーが楽しく様々なことが学べて有意義な時間が過ごせました!
皆さんも長崎に行かれたら是非参加してみては!

次回、お腹も空いたのでご飯を食べにいきます!
九州旅行⑦へ続きます。

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