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結婚したくない人がうらやむ気持ちについて考えた/夢見がちでもいい

昨日、記事を意気揚々と書いたけど、気持ちは揺れた。
(特に好きというわけでもない)芸能人の結婚報道に、ショックを受けたよ。

だけど、その時感じた「ショック」「びっくり」「ガッカリ」などの自分の感情は素直に受け入れたらいいと思った。
「びっくりするよね、ショックだよね」って。
拗ねて暴れたり、バッシングしたりして、人に迷惑をかけなければいい。

結婚という出来事に、
「未来永劫幸福だ」とか、
「運命の人と出会ったんだ!」とかのイメージを張り付けてしまうのだろうか?

実際、結婚した本人は
「幸せです。ただ別にそれで人間としての何かが変わるわけではない。
苦難をふたりで乗り越えていきたいと思います」という感覚だろう。

親戚付き合い、夫婦喧嘩、浮気、金銭トラブル、子供の問題など、
結婚後に起こる苦難は、たくさんあるだろう。
でも、私からしたら、それが"普通の人間の営み"だと思ってしまうので、うらやましい。

だけど、私は親戚やママ友との人付き合いをしたくないから、結婚したいと思わない。
じゃあ、うらやむ必要ないね?


ところで、「子供部屋おばさん」という言葉があった(今もある?)。
私はそんなおばさんになりたくなくて、頑張っていたんだけど、
私には「夢見がち」の要素がないと生きていけないと、最近思っている。

私は20代の頃、舞台関係の人の追っかけをしていた。
40代のファン女性と意気投合し、よく舞台を見に行って話した。
彼女は「彼と結婚したいんだよね」と語っていた。
冗談であってほしいと思っていたけど、真剣だった。
「彼に近づきたいから引っ越す!」と鼻息を荒くしていたんだよね。

当時の私は、「40代なんだからもっと現実を見てよ」と思っていた。
40代は、大人のイメージがあったし、結婚・出産のリミットや親の介護を考える年頃だと思っていたんだよね。

実際、今、私がアラフォーになったけど、夢見がちのままだ。
あの頃の40代ファンの方、ごめんなさい。
さすがに「推しと結婚したい!」とは思わないよう努めているけど。

20代の私なら、「干物女」と今の私を揶揄しただろうか。
いつか好きな人ができる、と期待していたのにね。

だけど、かまわない。
9割ぐらいの人間が「恋愛したい」性質だと私は思っている。
「したい」というよりも本能的に求めるものなのかもしれない。
私は「恋愛したい」とも思わなければ、本能的にも求めない。
だから、そういうタイプの人間なんだ。

でも、「大切にされたい」「必要とされたい」気持ちはあるので、
私のことを大切に思ってくれる人がいたらいいな、とは思っている。

結婚する=お互いを大切かつ必要だと思う人がいる(自分にはいない)と思うから、
うらやましいんだろうな。

大事なことは、
・自分の現状を、他人と比べて否定しないこと。
・結婚したからといって幸せになれる(変化する)わけではないこと。

つまり、幸せな人間と幸せな人間の結婚=幸せ、ということかもしれない?


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