since 1961、2020年の1月で60、いわゆる「還暦」を迎えました。
妻は16歳下、子どもはいません。
趣味、好きなことは、街を歩くこととか食べること、落語、ディズニーまわり(妻とともに、好きが昂じて、かつては舞浜に住んでました。)とかいろいろありますが、詳しいことはまたおいおい…。
このnoteでは、いろいろと気になっていること(めちゃくちゃあります)を伝えつつ、その中で自己開示もしながら、みなさまのお役に立てる情報とか、たいして役に立ちそうもないけどまぁおもしろいかな的な情報とか、いろいろ発信してまいりたいと考えております。
仕事のこと。いろんなことをやってます。
仕事は、ひとつ目はフリーランスオフィスの代表。
制作ディレクターやグラフィックデザイナー、ライターとして、いろいろな仕事に関わってますが、デザイナー志望の若い方たちに業界のことを伝える講演に登壇したりもしてます(年に2、3回くらい)。
ふたつ目は一般社団法人の社員。
妻が代表理事をしてます。ソーシャルグッドなふたり出版社って感じでしょうか。この2月で4年目に突入。基本的にはメディアの発行をしてますが、その他にもいろいろな方のご協力をいただき、さまざまななことをやってます(またはやる予定)。それもまた、おいおい…。
みっつ目はつい最近までは会社員でしたが、還暦で定年となり、現在は業務委託となってますので、ひとつ目の仕事のひとつに含まれるようになりましたね。
あとちなみに上級 終活カウンセラーでもあります。ただ、資格を持っているだけで、現在は本格的な活動はしてません。ぼちぼち本格化させる予定ではおります。
子どもの頃は、60なんてただのじじいだと思ってた。
なので、いざ自分がなってみると、これはなかなかのショックですね(笑)。59と60じゃ、心の持ちようがだいぶ違う。
私は東京の台東区蔵前というところの出身で、いわゆる下町なので、気さくというか、馴れ馴れしいじいさんがいっぱいいました。土地柄かもしれませんが、そこらへん歩いてるじいさんからお菓子もらって食ったり、「ウチでメシ食ってけ」とか言われて、近所の家で食って帰ったり…(笑)。
今は両国にありますが、私が子どもの頃はこの蔵前に国技館があって(蔵前の前の時代も両国)、裏の駐車場にいる気さくなじいさん(いま思えば「おじさん」かもしれない、たぶん整理員の方)の「手引き」で、裏から侵入して最後の三番くらい(大関・横綱戦)をこっそり鑑賞してました。当然今は子どもでも100パー無理でしょうねぇ。ほんとはこんな言い方してはいけないんでしょうが、なんか「いい時代」でした。
いまの60代は昔と違って元気ですね。ボディビルで鍛え上げた筋肉じいさんのムキムキコンテストとか見てると、つくづくそう思います。
あと保険。いまは85歳まで入れる保険なんてありますもんね。ほんと長生きになったんだなぁと思いますね。
結婚してからは、浅草界隈→舞浜→福岡へ。
結婚して最初に住んだのは東浅草というところでした。妻と外出する際、マンションのゴミ置き場にゴミを捨てようとして、そこ、シャッターがあって普段は閉まってるんで、妻がシャッターを開けたところ「ヒィーーーーッ!!!!!」ってなって! 「なんやなんや」と見たところ、段ボールのうえで横たわって下半身モロ出し、文字通り開陳状態の路上生活者の方がいらっしゃいました。
次に住んだのが、同じく台東区の橋場というところ。南千住に近いところでしたが、そこもまた道の上でゴロゴロしてらっしゃる方が多く、そういう方から私はなぜかご挨拶されてました。近くに相撲部屋があって、その関係者と思しき立派な体格の方からも、なぜか…(笑)。
その次に住んだのが千葉県浦安市富士見というところで、駅は舞浜、ディズニーランドの徒歩圏でした。そして、今は福岡。土地土地いろいろ特長があって、おもしろいもんですが、そんな情報もいろいろ出していきたいと思っています。
ダイエットヒストリーも包み隠さず公開します。
そのうち詳しく述べたいと思います。
ちなみにいちばん重い時は110kgちょっとありました。現在は80kg台の後半をうろついてます。