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「もちろん売名だよ。売名に決まってんじゃないか」。批判に最高の啖呵を切った男の福祉論

原点は15歳のときだそうです。以来、被災地への支援や数々の福祉活動に精力を傾けてきた、俳優で歌手の杉良太郎。「売名」「偽善」といった批判に、彼はこう答えました。

「もちろん売名だよ。売名に決まってんじゃないか」

福祉活動の原点は15歳の時。養老院(現在の老人ホーム)に白黒テレビを寄付したこと。

テレビは、一番安いのを買っていきました。そのころめちゃくちゃ高かったから。
あの時代の養老院には、家族に捨てられ、つらい思いをしている人も多かった。楽しみも少ないだろうなと思って、テレビを贈ったんだけどね。
そしたら、おじいちゃん、おばあちゃんがベッドの上に正座して、15の子どもに向かって手を合わせてた。
手を合わせるっていうのは、普通は神や仏に対してでしょ。人間に手を合わせるところなんて、見たことがなかった。
自分なんかに対して、お年寄りが手を合わせてくれてる。感動しました。強烈な印象として残ってます。

東日本大震災の後、被災地で炊き出しをしたとき、テレビリポーターから言われたこと。

2011年、東日本大震災の後、トラック20台分の支援物資をかき集め、被災地で炊き出しをしたときのこと。メディアから「売名ですか?」と問われた時のエピソードは、いまだに語り草となっています。

カレーを温めてる時に、「杉さん、杉さん」と聞こえて、ふと顔を上げたら、テレビカメラがあって、リポーターにこう言われました。「それってやっぱり売名ですか?」って。
「もちろん売名だよ。売名に決まってるじゃないか」ってすぐに返した。これまでずっとついて回ってた言葉だし、私自身もう慣れっ子になっていたので。
本当は相手にしないほうがいいんだけど、売り言葉に買い言葉でね。まぁ、修行が足りないね(笑)。

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「最高の啖呵ですね」と言われた彼は、こうも答えました。

いや、私にとっては普通なんです。外務省の高官にも言われたことあるしね。「売名ですか」って。その時も同じことを言いました。
「もちろん売名です。でも、ひとつ付け加えていいですか」と。
「私はいままで、これだけのことをやってきました。あなた、私がやってきたこと全部やってから、もういっぺん同じ質問をしてもらえますか」。そう言ったら黙っちゃった。

「福祉は一方通行」が持論。私はもう「ありがとうございました」すらめんどくさい。

難しい。福祉は難しいよ。やっぱり相手がどう思うかだから。
災害でも何でも、苦しいのは当事者でしょ。経験してない人間が理解したつもりになっても、実際のところはわからないですから。

被災者の人たちと一緒に過ごす。ハンセン病の人たちと直接触れ合い、抱き合う。そういうことを何日も何日も重ねていくうちに、段々と理解が深まっていった気がしますね。

この人のために、この地域のために、貢献できたらいいな、少しでも役に立てたらいいなと一方的に思うだけ。そこから何かをもらうとかじゃない。
「ちょっともうけさせてくださいよ」とか「何かおみやげないですか」なんていうのは論外だけどね、私はもう「ありがとうございました」すらめんどくさいと思うね。
この人「ありがとうございました」って言うかな、とかめんどくさい。そんなこと考えてられないよ。

様々な施設を慰問されてきたなかで、特に印象に残っている、忘れられないスーツのシミ

最近になって思い出すのは、50年前に広島・長崎の病院を慰問した時のこと。戦争や原爆に対しては思いがあったから、被爆者の人たちに会った時は声も出なかった。

歌い終わった後に握手してほしいと手を差し出されて、その手が水ぶくれだった。握手したら、プチッと音がして中から汁が吹き出しました。
真っ白いスーツを着ていたんだけど、握手して抱き合っているうちに、うっすら黄色いシミがついた。まるで地図みたいにね。それをはっきりと覚えてる。

彼はここで罪悪感を背負ったと言います。

問題はその後。私はトイレに行って手を洗って、服についたシミをハンカチで落としたんです。
誰かに見られたら何て言い訳をしよう。表面では善人ぶった顔で握手して抱き合って、陰では一生懸命、手も服も洗ってるじゃないか。
これは人には言えないなと思った。墓場まで持って行かないといけない。ものすごい罪悪感を背負っちゃったわけです。

最初にこのことを打ち明けたのは、一緒に慰問に行った作家の川内康範先生。慰問から15年くらい経って、ふと当時の話になりました。
川内先生から「良(りょう)には真実を話すけど、実はトイレで手を洗った。いまでも、ものすごく後悔してる」と言われた。
「初めて言うけど、自分もあの時手を洗ったんだ」と答えました。いまなら一生の宝としてこのスーツをとっておこうと思うけど、25の若造にはそこまで知恵が回らなかったね。
でも、50年前に行っておいてよかったな。行ってるから、この話ができるんで。

自伝に綴った言葉「本当の金持ちというのは、生きている間にいくら使ったかで決まる。それも、誰のために使ったかが重要」

広いベッドは好きだけど、部屋一面の大きなベッドがあったって、寝るのに使うのは1人分のスペースだけでしょ。

なんぼおいしいステーキあっても、牛まるごと焼いたって、胃袋ひとつじゃ食えんよ。カネの亡者にはなりたくないね。


上には書きませんでしたが、彼は100人以上のベトナム人の子の里親でもあります。

本当の、正真正銘の「フィランソロピスト」「篤志家」(とくしか)とは、こういう人のことを言うんだと思います。


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