見出し画像

「みどりの日、だったんだ」

と後から気づいた(笑)

 ---

昨日(=みどりの日)、ちょっと久しぶりに「散歩」に行った。

数十分で歩いて往復できる範囲なのだけれど、
一人であのルートを行ったのは初めてだった。

微妙な場所にちょっとした公園があって、
公園と言っても、草っ原に
人が腰掛けるのにちょうどいいくらいの石が
いくつか置いてある程度の、
まっとうなベンチもブランコも何もない
それほどの面積もない、本当に“ちょっとした”公園。

端には桜の木も何本かあって、
従来通りならば、桜の季節には
わざわざお弁当を持って来てる
少人数の「お花見」グループも時々見掛ける、そんな場所。

数年前から父の散歩に付き合うようになって、ここにも何度か来た。
つまり、自分がここに来る時は常に父と一緒だった。

去年の桜が満開の頃にも二人で来た。
石の上に一緒に腰掛けて、ちょっとのあいだ「休憩」して
(度々頻脈になるので散歩の時にはマメな休憩が必須であった)
その間に自分は頭の上の桜の花の写真を撮って、
普段から父に持たせている、自分のと同じ機種のスマホに
わざわざ「Androidビーム」で送ってみたりした(笑)のを覚えてる。

今年も、一緒に桜の花を見に行けるとしたらここくらいかな、と
あの頃は、漠然とそう思っていた。

桜が咲く頃には連れて帰りたかった。
もしそれが無理でも、夏頃までには連れて帰れると思ってた。

今は、勿論花はとうに終わって
その桜の葉っぱも青々としていて、
周囲の他の木々も、キレイな緑色の葉っぱを茂らせて
結構な強風にわさわさと揺れているのを、
数分間ただ眺めて、涙目でその公園を後にした。

そこからちょとだけ歩くと、小さな小さな神社があって
その横を通ってちょっと家のほうに戻りかけると、
道端に立派な銀杏の木が一本立っている。
実はこの銀杏の木は我が家の二階からもギリギリ見える場所で、
父は季節になると「ちょっと色が変わってきた」とか
「もうすっかり黄色い」とか言って、いつも気に掛けていた。
そして、時々歩いて現地まで様子を見に行っていたのだった。

そして、いま通り掛かったその銀杏も
初夏の新緑というよりもむしろ深緑に近い濃い緑色の葉っぱがびっしり!
だったのだけど、ふと足元に落ちていた一枚を見て
「こんなに元気そうな緑色の葉っぱでも落ちてしまうのか」
と、何とも言えない気持ちになって思わず拾い上げ、
その一枚を家まで持って帰って写真に撮ったのが
今回のヘッダー画像(笑)


今日は「こどもの日」か。

おまえはいつまで経ってもわしの子だから

わしはいつでも、いつまででも味方だから

そう言ってくれてたのにな――

置いていかれたのが悲しいばかりで、
まだしょっちゅう泣いてるダメな子で申し訳ない
…とは思うけど「時が解決してくれる」には程遠い感じ。