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赫らの紅

 この時期まだ火は入れていない掘り炬燵の縁に腰掛けて、隼治郎はいつものように庭を眺めていた。
「げに、この季節は最高じゃわ 良い時期に産んでもろうたもんよ」
 ここ数日で随分と赤が映えるようになった庭の紅葉に、眼を細めた。古希を超えた頃からさすがに幾分、老眼の自覚はあったが、世間で言われるところの視力はまったく問題ない。むしろ、それこそがこれまで生き存えてきた秘訣の一つでもあった。
「ん?」
 ふと、その奥に普段は見掛けない《何か》が居ることに気づいた。庭の向こうは細い川につながるけもの道くらいはあるが、途中にはそこそこの塀もあるし、侵入者があるとすれば、犬や猫の類。せいぜい猪か、あるいは最近人里にもよく出てくるようになったという熊か――否、とてもそんな嵩ではない。
「誰な?」
 脅かすつもりではなく、ただ少し距離があったので聞こえるようにと思って、少し声を張った。
「ひゃあ!」
 思いのほか、か弱く幼い、そして確実に人間の声――に、聞こえた。子供? こんな所に一人で? いや、本当に人間の子供か? がさごそと茂みの中を移動するその気配を確実に追尾しつつ、隼治郎は沓脱石の草履を素早く突っかけて、そちらに向かって駆け出した。いや、駆けて行こうとしたのだが、苔に足を取られ、転んだ。
「…いったあ」
 勿論、咄嗟に手をついたのでさほどのダメージでもなかったが、格好悪く膝を擦りむいたことに変わりはなかった。
「!」
 起き上がって視線を上げると、そこには五歳くらいの少年が居た。状況から考えて、先程茂みの中で驚きの声を上げた、件の追尾対象であろう。
「だいじょぶ? おにいちゃん」
 覗き込んでくる。何というくりくりした目。この世のものとは思えない愛らしさ。
「お兄ちゃんはなかろうて、大人は『おじさん』ぞ? ついでに言うなら、わしらぐらいのんは『おじいさん』じゃ」
 手脚の泥を払いつつ、面映ゆいやらおかしいやらで隼治郎は笑った。

【つづく】