実力vs余裕

例えば学生時代何かしらに秀でた才能がある、もしくは努力をしてきて人としてのレベルを高めた。これを通じた先に就職があると思う。その時に自分の思い描く理想と現実の差を見るとかなり絶望するわけだ。

この時にどっちを選ぶかが悩みになる。理想を捨てずにレベルの高いところ、つまりは自分の実力と同等かそれ以上のところに就職するか、理想とは違うが安全に自分の実力より下の就職先にするか。

理想を捨てずに高いレベルを目指して入った場合、常に全力を出し続けなければなかなか仕事をするのが難しいのではないだろうかと俺は思う。というのも、実力とは、全力を出した時の1番ピークの部分を実力と考える人が多いと感じているから。握力だって、全力で握った時のピークの数値を示しているわけだから。

ってことは、自分の実力と同じくらいの就職先というのは、全力で仕事をした時の実力が同じってことだ。出勤時は常に全力を出し続けていなければついて行くことすらままならない。まあそれもいずれは慣れるのだが、なかなかそうも言っていられないのが最初の数年。

全力の70%くらいのところに就職すれば、実力の中でもそれなりに余裕ができて、あれこれ任されたり昇進だったりと、なんだかんだでいい風に続くのではないかと思う。自分には余裕がある、周りを見渡せる余裕があるからチームのリーダーになってみんなをまとめられる。

余裕があるということは実力を全て出し切らずともある程度の評価を得られる。本当に必要な時に100%、ないしは120%の実力を出してやるべき事をこなす。疲れはない、しかし高い給料になるかと言われればそうとも言えない。まあ福利厚生も企業の大きさ次第で差があるだろうし。

こんな事を話すのも似たような経験が俺にもあるからだ。俺自身が発達障害だったために、普通に就職するか、特例子会社に就職するかがすごい悩みの種だった。無理して普通の就職をすれば少し高い給料と引き換えに毎日がストレスと肉体的な疲労でぶっ倒れそうになるだろう。反対に無理をしなければ多少ミスを犯しても罵声を浴びせられることはない、でも常に何か物足りない。

本当にやりたかったのは実は仕事と全然関係ないって事はよくある話だと思う。ヒーローになりたいとかでもそうだし、人々に夢を与えるアーティストとかもそうだ。今自分がやっている事は少なくとも妥協、これで一応生活はできるって事なんだと思う。しかもそれは珍しいことではなく普通の人たちも同じだろう。

実際にやりたかったことというと音楽関係だ。夢はあった。でもその夢は潰れてしまった。会社の方針が変わってしまったということもそうだが、自分の好きのイメージとずれてしまったのも一因だ。

やりたいことを失った俺は普通に働くことを目指すしかなかった。しかし、無理に働けば好きを好きという余裕もない。でもランクを下げるのもなかなか難しいと思い始めた。そんな中で自分に合うのは特例子会社であると思った。

色々探した。大学を卒業する以前にも就活なんかしたことないから、一生懸命探した。なんとか今の職場に就職することができた。でも何か物足りない。でもこれ以上は要求しすぎだ。そんな事を言い聞かしたりしたこともあった。

別に普通の職場に就けないことが悔しかったとかそんなこともない。元々支援学級で育ったから、小中学校の頃に戻ったと思うと全然苦ではないのだ。だから特別行きたくないとかそういう感じはしていないし、むしろ周りを見ていて面白い。自分には全く思い付かないような事を見られるし、見ている世界が全く違うとわかればなお面白い。

自分のできるレベルよりも下げて就職するのはアリではないかと思う。伸び伸びとできる方が人らしく生きれるからだ。また無理をしてでもいいところに入るのも、これもまた良いことではないかと思う。自身の特徴や特性をしっかりと理解した上でならどんな場所に入ってもいいと思う。

そこで自分の心がどう感じるかが問題だ。俺は今の環境にかなり満足しているし、色々と相談も乗ってくれる。これ以上の環境は求めても存在しないと思っている。ただ、もし、それらを感じるようであれば、それは自身の心に余裕がないのではないのかと疑ってみた方がいいのではないかと考えている。

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