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さよなら東京、こんにちは福岡。 その4
野田祥久郎(のだしょうくろう)という名前を思いついたのは29歳になって1ヶ月後、品川にある昭和大学病院のベッドの中だった。
その日は朝から体調が悪く、寒気と喉の痛みが時間が進むごとに酷くなっていった。2日間、恵比寿三丁目スタジオに缶詰め状態だったけれど、2日目午前中の準備はアシスタントに任せて病院に行った。
1月の終わりだったのでインフルエンザかなと思ったけれど検査は陰性だった。薬をもらい、寝れば治るだろうと思ったけれどそんな甘いものではなかった。
その日、撮影を終わらせて返却準備やその後を悪いと思いながらアシスタントに任せ家に帰り直ぐに寝た。次の日、熱はさらに上がって喉は唾も飲み込めないくらいの痛みがあった。
本当にインフルエンザじゃないんだろうか? 潜伏期間とかで発見できなかったんじゃないんだろうか? と思い違う病院に行ってみたけれどそこでも陰性だった。
それから5日間39度以上がずっと続き、病院でもらった薬も効かない。彼女にもらった市販のロキソニンがなぜかめちゃくちゃ効いて飲めば熱だけは数時間下がるけれど、直ぐにまた39度を超える。喉は真っ白になり皮膚は爛れる。
それでもフリーランスで仕事をしている以上、穴を開けられないので商品やリースのピックアップに回りながら、普段は一人で終わらせることもアシスタントを借りながら耐えた。
このときほど、会社員なら......。フリーでもPCだけで仕事ができる職業だったら......。と思ったことはない。
6日目、この日は相変わらず39度が続いてもうダメだと思い、昭和大学病院で診察に行くと即入院。病名は全く聞いたこともない感染症で難しい漢字の羅列を見せられた。いま思い出そうとしているけれど、全然思い出せない(笑)
それから3週間、ベッド生活をすることになる。
その間の仕事はスケジュールが空いている数人のスタイリスト仲間にお願いをして、それでも間に合わないので、その友達の知り合いのスタイリストさんにお願いしてもらったり。
恵まれた仲間を持ったと、このとき改めて感謝した。
この3週間の生活はなんだか久しぶりにゆっくりできた? 気がした。
お見舞いで本をたくさんもらった。その中に東野圭吾が数冊あった。初めて読んだけれど面白かった。
『パラレルワールドラブストーリー』
今年の5月31日に公開。玉森裕太 吉岡里帆 染谷悠太
他にも伊坂幸太郎や石田衣良があった。どれもワクワクする小説ばかりだった。
このとき伊坂幸太郎、石田衣良がペンネームだと初めて知って、何か名前を考えようと試行錯誤して本名をもじったりして考えたのが野田祥久郎だった。
ぱっと見、RADWIMPSの野田洋次郎見たい、、、。
ペンネームを考えたら小説を書きたくなる。プロットも考え始めた。
初めての小説は当時は面白い! と思ったけれどたくさん書いていく内に読み返すとすごく面白くなかった。
そこから僕は文章を書くことを始めた。シンプルな生活を始めた3年前のことだ。
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