僕がサブスクだけでは、物足りない理由。

サブスクという、素晴らしいサービス。
サブスクのおかげで、映画やアニメや本が見放題になった。

すごいことよね。
僕もたくさん観る。
特に最近はアニメだ。

ジョジョ、笑うセールスマン、ダイの大冒険などなど。
映画だったら、007シリーズを観なおした。
観たいものがすぐに観られる時代。

月500円~1000円程度でいくらでも。


でもでもさ、

なんか物足りないのよね。


なんでこんなに豊かなのに、
なんでこんなに便利なのに、
物足りないのだろう?


ずっと考えてたの。
最近答えが見つかった。


僕は、作品が観たいのはもちろんなんだけど、

もう一つしたかったことがあった。


「作品について深く語り合いたかった」んだよね。


さまざまな本、映画の作品について、深く語り合うことが好き。


「あそこのあの場面で、僕はこう考えて、こういうふうに思ったんだ」って。もちろんこうやってブログに書いたり、SNSに書きこんだり、音声録音したりして、伝えることはできる。


ケド僕は、相手がいて、話していることの反応を見ながら、話すことが好きだし、なによりそれが大切だと思っている。


相手のツッコミや、そういえば私はこう思ったな、っていう相手の心から紡ぎ出す言葉から、また自分がさらに語った場面について深く考えるキッカケになったり、相手から引き出される思いや経験の中から、見方が変わったり。

好きな作品について、想いを共有する相手がいることで、心が深く満たされる。「好きなことを話し合える”相手”がいる」っていうことが、少なくとも僕には重要みたいだ。


ほら、オリンピックとか、スポーツ観戦は、もちろん観る楽しみもあるけど、終わったあとに、あれがすごいよね、これが感動したよね、って、語り合う時間も楽しみの一部じゃない?

「試合や作品そのもの」だけに価値を置くんじゃなくて、


誰かと一緒に語り合うことで価値を創りたいんだ。

その価値は、作品+α=たったひとつの価値のある作品 となり、無限に価値が生まれる。


ネットフリックスやアマプラで、作品を観ている人が増えてきているんだけど、作品についての想いを「語り合う場が不足」しているような気がするんだ。


昨今の窮屈感は、けっしてコロナのせいだけではないし、作品の質が落ちてきているわけでもない。

本や映画、観たモノについて語る場、語る習慣がなくなってきているのが原因だと僕は考えている。


僕は、語る習慣がないと、感じたことを見逃しがちだし、感じたことを語ることをしていないと、「なんか物足りない感」や作品が面白くなかったせいにしがち。

語る習慣、語る人がいると、同じ作品でも、そういう面白さがあるのか、っていう視点が見つかるし、面白がり方を学べる。視点が広がる。面白さは、他人が持ってきてくれることも多い。


語り合う仲間がほしい。

語り合う仲間がいればいるほど、おもしろさは2倍、3倍、いやそれ以上に増えていくから。


しょーいち


PS
語り合う場所をこれから生成していきたくて、今月からスタートしていきます。

サポートしていただいたお金で、本を読みます。 https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/GJ7E5BERD0X3?ref_=wl_share