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転勤族の子ども~その2 埼玉(蓮田)時代

こりずに続けてまいります。東村山まで一応話は書いたんですよね。
結局1年しかいなかったわけですが、これは転勤ではなく…当時東村山というのは「校内暴力」で非常に話題になっていた場所でして。親が心配して、このまま中学に進学させていいものか?と思ったようで。

それで父親が休みの日には、あちこちマンションや一軒家を見て回っていたわけですが、その中で抽選に当たり、マイホーム購入で、引っ越しが決まったのが埼玉県蓮田市というところで、地名は「西新宿」という、いかにも街っぽい名前がついていましたが…実は全然のどかで(笑)

いわゆる「新興住宅街」だったんですよ。まだ結構自然も残っていてね。新興住宅街だからみんな引っ越してきたばかり。ご近所さんも仲よくしやすい環境だったかな。小学校までは徒歩数分という、何という恵まれた環境!

遅刻してもOK(よくないけどww)それでも集団登校は規則でしてましたけど。学校も新設校でまだ新しく。1学年3クラスだけでアットホームな感じでした。次々転入してくるんですよ、新しく家が建ってたくさん引っ越してくるんで。ひと月に数人とかざらだったんじゃないかな~。

それで私も5年3組に入ることになるんですが、やはり当時は志村さん全盛の頃ですから…「東村山から来た」って言うとみんな思い出すわけですよ、あの歌を…(笑)

若いなぁ、志村さん。で、転入したとき挨拶すると「何丁目?」とか聞かれて。私は青葉町2丁目だったんだよな~1丁目ならよかったんだけど。

それはさておき、埼玉には「戸田🚤ボート」って競艇場があり。私は苗字から「戸田ボート」と呼ばれたりしていました(笑)新しく入ってきた子ばかりなんで、仲良くしやすかったですよ。打ち解けやすい。

5年6年はクラス持ち上がりで、だから団結力も高まったのかな。先生も2年間一緒でした。信州出身(たしか)の先生で、あだ名が「貴族」言われてみれば切れ長の目、鉤鼻。いいあだ名だったと思います。←学生時代に仲間につけられたらしい。(画像はイラストACより)

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まぁこういう感じですかね(笑)この先生がコワモテで、最初はとっつきづらいと思っていましたが、良い先生でね。私はどうも女性の教師より男性教師のほうが相性がいいみたいです。

当時から適当に読んだ本の感想やなんやら書くのが好きだったんで、相当長々と大学ノートに綴り、それをうちの学校では「生活ノート」と呼んでいましたが、日記ですけどもね。先生が読んで返事をくれるんですよ。

だけど異常に長文だった私のノートには、かなり読むのに時間を要したらしく…ある日先生のきれいな字で「君のを読むだけで1時間かかったよ」と書かれており、非常に申し訳なく、子供心にも思ったんでした。

授業を脱線して話す雑談をご自身では「むだっぱなし」と称されており、自分の学生時代や趣味の登山の話をしてくれて、ほとんど1時間つぶれたような記憶…もあります(笑)

私たちは、雑談がはじまるともう目を輝かせて…聞き入ったものです。先生お元気でしょうか?今から約40年前に、埼玉県蓮田市立黒浜西小学校で、教鞭をとられていた清水輝彦先生をご存じの方、いらしたらご一報くださいm(__)m

と、またもやとりとめない話を書きましたが、書きたい放題・打ちたい放題打てるって楽しいなぁ~やっぱり。

(追伸)冒頭の写真は鎌倉のホテルで当時撮影したものです。なんか時代を感じますよね。今は三谷幸喜脚本で大河は「鎌倉殿の13人」を放送してますが、当時は「草燃える」という、やはり鎌倉時代を舞台にした大河ドラマを放送してまして。私はこのドラマのおかげで、すっかり鎌倉時代好きになったんでした。とはいえ、今はほとんど忘れてますけどね💦


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