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未だ昭和を生きる「偉い人」には分からない、大企業離れ時代を生き抜くのに必要なこと

藤野さんが大企業離れが凄いという話を書かれていましたが、私のまわりでもこの手の話を、特に優秀な学生層でよく聞くようになりました。

先日も東京大学でエネルギー関連で工学部系の教授を務められている方が、昔と違って今は超一級の学生ほど起業するようになりました、これから大きく変わると思いますよというお話をしていてなるほど、と。昔は二流人材が勘違いして起業みたいなのがあったけど、今は超一級人材が飼い殺しされるような大企業ではなく、自ら資金調達したり、先輩のスタートアップに合流してすぐに実戦で自らの知識を試したいと思うようになったというわけです。9割が会社員公務員で組織化された現代ですが、1955年頃は就業者の半数以上は自営業とその家族従事者でしたから、今が異常で均衡に向けて社会も少しずつ変わっていくのでしょう。

霞が関の知り合いと話をすると、大企業のみならず、国家公務員希望も同様です。まぁ先輩たちがあれだけ酷使されて、薄給なのに文句ばかり言われるという姿に希望を見いだせないというのもあるでしょうが、とある省庁の東大での説明会には大教室で4人しかこなかったこともあったとしみじみ語っている同世代の官僚も。

アメリカにいけば、GAFAなどでも技術職で高給採用するといっても、個人情報とかで金を生み出すような企業で働くこと自体がダサいみたいなことをいうZ世代もでてきて、とある最近社名かえたところへのエンジニアの応募数がこの10年間で大きく減ってきているというのも、書籍パーパスにも出てきました。次の世代はもっと意味性をもった自分の仕事を探すのが当然になっているようです。しかも腕がある若者ほど。かつアメリカ市場ではミレニアル世代、Z世代が全人口に占める割合が40%超、さらに労働市場全体に占める割合としてはもう半数とか超えてきているということもあり、完全にここに適合できないければいい人材なんか企業は採用できなくなってきています。だから変わらないといけないというお話になっている。

このようなことはあらゆるところで発生していて、つまりはかつては「いい仕事」と言われていたものを優秀な若者が評価しなくなっているということでもあり、別にもっと面白くやりがいあるものを見つけ始めているとも言えます。

そして、これらが次の時代に必要な社会変動を作り出すというのにも、個人的にも納得するところです。

藤野さんも様々な本を出されているのでぜひ未読の方は読まれることをおすすめします。

今ベストセラーになっている投資家みたいに生きろ、さらにロングセラーの投資家が「お金」よりも大切にしていること、はいずれも人生において役立つ投資家マインドについて学べるので、おすすめです。

社会が変わる時、「前時代の仕事」が無くなる

明治維新を迎えた頃、当然ながら武士の多くの仕事はなくなりました。幕府や各藩は解体され、新政府へと移行し、それまで先祖代々継いできた武家の禄などが急にもらえなくなった人たちは多数いたわけです。逆に武士だけでなく、士農工商で固定化されていた人材が一気にシャッフルされ、経済の新たな成長を作り出すこと、社会の近代化を促進することになっていったわけです。

その後に戦争に負け、日本は軍属という明治維新以降作り上げてきた強大なエリート組織を全面解体させられることになりました。東洋最大の株式会社でもあった南満州鉄道も解体されて満鉄株で大損こいたという高齢の方のエピソードもありますが、まぁここでもグレートリセットが日本としてはかかったわけです。しかし、これも良いところがありました。膨大な若くて優秀な人材が戦争や国策企業ではなく、完全に平和産業にシフト。しかも、焼け野原の中で自分で始めなくては飯食えないという状況になった優秀な人材が自ら挑戦するようになったわけでもあります。

戦後ベンチャーの代表格だったソニーの井深・盛田は両方とも海軍の研究所出身だったのはあまりに有名です。さらに戦後は財閥が解体、さらに大組織の多くのポストはパージされて戦時中の爺世代は追い出され、滅私奉公といって戦争で浪費された若い世代が直接的に担うようになり、さらに軍需産業のような軍部とつるんで膨大な利益を貪るような事業は廃止、公正取引によって独占寡占なども禁止されるようになったわけです。そして細かくなったかつての財閥組織も過去のやり方を大きく変えることになったわけです。軍のエリートがベンチャーを起こし、財閥は細切れになり若返りしたことで低迷していた日本経済が一気に復活を遂げていくことになるわけです。

つまりは社会が変わる時は、前の時代の仕事がドラスティックになくなるということを意味します。そして固定化されて無駄遣いされていた若い優秀なリソースが、新たな時代に向けて動き出す時とも言えます。

平成31年間の大企業の成長しない糞な状況をみれば、そんな組織のために若い人材を浪費するよりは、優秀な人材はそれら企業の若い人向けの給料分なんて自分でガンガン稼げることは多数あるわけですからどんどん自分でやったほうが良いわけです。今の日本にいるのは大企業の爺どものパージであり、そこにいる膨大に無駄なことされている若い人材の開放、とも言えるでしょう。自立してやっていくほうが人生の時間を有意義に使っていくほうがよいと思うわけですが、すでに若い優秀な人はとっくに気づいていて、大企業離れがどんどん進んできているわけです。

まさに藤野さんの言われるようにこの流れは大変期待ができることでしかありません。私の高校の時、私が起業するのを全面的に理解してくれたうちの校長、当時の早稲田大学高等学院長の印象的な言葉があります。

「若者の決断はすべてにおいて正しい」

つまりは未来を見据えて考える若者は、今や過去に名声を確立した上の世代よりも格段に未来志向なわけです。特に若くて優秀な人ほどそうでしょう。

今の偉い人達は気づかない、気づきたくない事実

しかしながら、このような状況の激変、深刻さについては、今の「偉い人」と話してもあまり深刻には感じていないことが多くあります。というか感じたくないというのが正直なところかもしれません。

私が高校時代に起業する時にも「せっかく早稲田の付属に通っているのだから余計なことはしないで大学進学して就職活動したほうがいい」という助言をするのは大抵は偉い方。大学の先生が特に多かった記憶があります。ま、勿論親切心でいっているわけですが、それまでの常識、今の価値評価基準が若い人にとって20年後、30年後にまで続いている保証はどこにもありません。

さらに偉い官僚の方とかにも、「木下さんは何か資格とか持たれているのでしょうか」という面白い質問を受けたり、「せっかく一橋大学院まで出ているのになんでそんな民間事業みたいな儲かりそうもないことをしているのだ。うまく人付き合いすれば予算を使ってもっと簡単に儲かる」という全く私がいっている稼ぐ意味とは違うことを言われる方も多いですが、つまりは「いい大学、いい資格、いい会社」みたいな既存概念がある方もいたりするわけです。ま、そういうのに馴染まない官僚の方は途中で外に飛び出てしまっているのを見ても「あーそりゃ正解」と思うわけです。まぁ可愛そうなもんで、学歴に縛られているわけです。こういう学校にいって、こういう会社にいくという他人や集団が決めた常識にとらわれて人生を生きてきた人たちの常識問題です。つまりはいい学校いい会社って選択肢が増えたのではなく、いい学校にいったから、いい会社という自動的なしばりで人生を決めてきてしまったわけですね。ねずみ講みたいなもので、常に若い犠牲者が出てくればそういう組織は成立しますが、「そんなんやってられんわ」と優秀若い人材の供給が止まれば終わりです。そういう流れに身を委ねているだけということに気づいていない大組織のえらいさんはたくさんいるのです。

けど、官僚の中堅若手とはなしをすると「いい学生がこないどころではなく、東大の説明会とかに昔からの慣習で大教室を指定されていったら10名も集まらないなんてこともザラ」と聞いたりするわけです。

つまり大企業でも霞が関でも中堅若手は同世代がどんどんやめたり、優秀な次の世代がどんどん外に流れていっているのを見ているわけです。僕らの少し上の世代はITバブル世代それ以降の優秀なヤツは自分でベンチャー興すとか、非営利組織とかに挑戦するとかいろいろなことやる人は普通に当たり前になって、すでに一定のロールモデルとなるような人がどんどんいます。そしてさらにパワーアップしている世代が次にはがっつり出てきているのを見るとこの連鎖は続くでしょう。

連鎖というのは足し算ではなく、常に乗数的に大きなうねりになっていくものでもあります。

このように大企業離れ時代が到来する中、優秀な人でも自らが乗り越えなくてはならない3つのブロックがあります。そして今大組織にいるけど、沈みゆく中で巻き込まれないためにも必要な心構えがあると思います。

(1) 学校ブロックの回避

私が起業する時にも発生した一部の先生によるブロックです。進路指導であったり、就職指導とかに熱心な先生ほどに「いやいや一度大企業に入って学んだほうがいい」というようなことを言ったりするでしょうが、別に大企業に入らずとも大企業と仕事すれば十分に大企業仕事はわかります。さらに若くても古臭い考えを持っている同級生もいるでしょう。学校という単位で行動していると視野が狭くなるから要注意。優秀な学生は学生時代から外に出てガンガン動いているのも特徴的です。

(2) 家族ブロックの回避

まぁいい学校、いい資格、いい会社的な思考は、親世代にも根強くあったりするでしょう。実はこの点をみても外部評価が高い大学にいくというのは良し悪しなのです。それなりに知られた学校であれば、こういう会社へ、といったような定番ルートが意識されるわけで、変な親の期待に応えようみたいな「いい人」はせっかく優秀でも既定路線にいってしまうことになります。もちろん親がアグレッシブで大企業になんかいったらやばいよ、という人も実はどんどん増えているのも確かなわけです。

大組織にいながらやばいと思って行動する時にも恐らくは家族のブロックは絶大でしょう。

(3) 偉い人ブロックの回避

何かまわりにいる大組織の偉い人とかに相談するのもだめでしょう。彼らはその組織にいって成功したわけなので、それが一番だと思うのも当然だし、思いたいのも当然でしょう。裸一貫で始めて大成功するような人をどこかで歓迎せず、特に若くして成功する人を心のどこかであまり良しとしないのもサラリーマン社長や役員の器量の狭さでもあります。特にバブル後のコストカットなどで評価されたような人は、未来を見通す力は皆目0というのが多いので、話を聞く必要もありません。コストカットし続けていたら給料も上がらなくなり、内需が冷え込んで自分たちの首さえ締めてしまったというくらいには社会全体感覚がない人が多いです。

そして否定する若者を頭ごなしに否定したり、留意させたりすることが多数あるのは、自分の人生の肯定をしたいからというのも少なからずあります。

ま、ただこのような3つの他人によるブロックを超えるくらいの人じゃないと、到底その後の厳しい自分で選んだ人生を歩むということはできないわけでもあり、これらブロックはある意味の人生のウォーミングアップみたいなものとも言えるでしょう。

結局自分の人生は自分で見極め行動するほかないわけです。

若いうちに自分で稼ぐ力を養う

さらに自分で生き抜くためには、最低限自分の飯はどうにかしないといけない。というか、いざという時に自分でどうにかなるという自信があるか、ないか、で思い切った決断の可否は変わるからです。

大きな組織で役割を担うというのを完全否定するつもりはないですが、狂った大組織で犯罪まがいのしごとを担わされても「仕方ない」と思ってやってしまうのは、自分の生活が会社に依存しているからです。会社をやめて自分でやればいい、と思えるようなスキルがないがために、その組織に固執するしかなく、だから仕方ないといって犯罪まがいのことに手を染めるわけです。しかし組織のため、組織の中では評価され、共犯者たる仲間とも言い訳はできる。だけど、結局は個として自立できておらず、依存によって成立しているからこそ、正しい意思決定を実行できないということでもあります。

そうならないためには、自分で判断できる力と共に、その判断を表明できるだけの独立した稼ぐ力の必要性です。つまりは大組織にいこうと、自分で商売やろうと学生時代とかにやはり自分で稼ぐ挑戦は万人がすべきなのです。その上で「あー俺は大組織でやったほうがいいな」と思うならば行けばよいし、「あー俺、初任給とか別に楽勝に稼げるし、これ突き詰めて成長したいわ」と思える人は自分でやったほうがいいよ、と思うわけです。

さらに若者の決断の連鎖が続いて、加速度的に社会が変化していくことなるでしょう。となれば、やはり変化させるほうに回ったほうが得です。ま、私はもう若者とはいいがたい年ですが、自分なりにも未来に向けて思考することは絶えず続けたいと思わされます。何より若い人たちと仕事する時間を意識的に作り学び、次の時代を読みとときながら仕事をしていきたいと思わされます。

このような時に地方は既存組織がまだまだ牛耳る力が強いので、これがまた地方都市の成長可能性を阻害してしまうことにもなっているように感じるところです。地方財界の解体こそ大切ですね。ま、これも地方都市の企業群の変化をみていたり、若返った社長をみると意識して動き出しているので楽しみな限りです。


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