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昭和な拘束懲罰型管理は、リモートワークもある令和では通用しない〜いい人を退ける、オラオラマネジメント問題〜

私はずっと働き始めた高校時代からリモートワークが基本です。

自分の会社、若い頃チャンスに恵まれてその時々で(自由にw)働かせてもらったりした会社、財団法人、NPOなど様々なところで仕事をさせてもらってきたけど、全てそこに毎日いくみたいなことはなく、ふらふらしています。

なので、何時間働くとか、何をやって成果か、みたいなことを細かく管理したりせずに(そもそもできない)、会社組織としても、プロジェクトワークとしても、それぞれの自主性で納得いくことをやっていくチームで仕事をしてきています。ある意味適当で、週に顔合わせることがゼロだったりしても回る、回せる、が互いの重要なミッションの一つ。それで10年来、少しずつメンバーを増やしながら離脱もなく皆でやってこれてきている。

そういう意味では、成果に応じて金払うってのは正しいようで全く正しくないと思うのです。

お金は取引の一つに過ぎず、人によって価値も変わる

そもそもお金は取引の一つに過ぎず、信用や目的性などが一致するから、働いてくれて、対価の一つとしてお金を皆で分けて働いている。

人は成果を出したからお金をもらうのではなく、お金をもらい、その上で信頼関係や仕事の目的性も共有できるから長く共に働いてくれるのであります。

つまり、少なくとも責任者は可能な限り(限度はもちろんあるが)意思決定できるのだから、できるものは与える、が先。与えると言うかちゃんと先に配ることを互いに握ると言うこと。

ギブアンドテイクであって、テイクアンドギブではない

皆で互いに与えるからこそ成果は生まれる。
成果を出したから対価がもらえるというのはもう機能しないのです。

与えもせずにまずは俺の言うように働け、みたいなスタンス、働かざる者食うべからず、みたいな精神では、長く共にチームで働くことはシンドイもので、結局はどんどん人は離れ、安定的なチーム形成ができません。特に若くていい人なんてものはどんどん希少性が増していくなかでは、そこは下の人に対してほど、上の人間は謙虚にならざるを得ません。そしてそれが正しく、成果報酬なんて話をして「成果だしたら金やるよ」みたいなことは全く意味を成さないのです。

パワハラ体質のマネジメントはいい人を退けて、組織を弱体化する

昭和97年を生きる人は何時間働くか、上司がマウントとったり、イエスマンしか周りに居なくなったり、成果が見られないと罵声浴びせありとかするが、もう令和なのでそういうことはやめようよ、と思う。

大組織でも地域の小さな組織でも見られるそう言う場面が少しずつ減ってきてるのはいいことだな、と思うけど、まだまだ縛られている昭和の人はいるので、改めて。


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