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公教育の価値と意味〜いまだ投資されない新時代の教育インフラと「ゆとり教育」の失敗の本質〜

色々と模索はしているものの、結局のところ日本は公教育への投資が乏しすぎるんだなぁと痛感したのですよね。GIGAスクールで配布された端末の充電は自宅でやってきてくださいというお話を聞いて、さらにSIMも刺さってなかったりするとかで(wifiルーターの貸し出しはあるようですが...)原則として自宅に電気とインターネット通信環境がある前提なんだなと。

さらに言えば、端末自体に制限がかなりかかりまくり、Yahoo!地図は使えるけどgoogleMapは使えない(chrome端末w)ということが起きたりするようですね。有害サイトとかはだめにしても、別に普通のアプリすら制限がかかる端末しかないというのは、これまた家庭環境によっての差が埋まらないな、と。

そもそも親が分かっているかどうか、というのも大きいですよね。結局は基本操作とかそういうものは学校でやるにしても、家庭にパソコンやタブレットがあり、高速回線をひいて日々活用している親か、そういうのに疎い親か、でもかなり差がついていくことになってしまっている現実があるんですよね。

公教育というのは一定水準の教育や生活環境を実現する上で、子どもたちに税金で投資するという仕掛けです。教育は消費ではなく投資であり、数年後、数十年後に確実に日本や社会全体の生産力として貢献してくれるという仕掛けの中で投資回収が行えるので、世代間を超えて、家庭の所得差を超えて行われることで社会の最大成長を目指していくことのはずなのですが、もうそういう論理すら失われつつありますね。。。なんか歯車がうまくまわっているような回っていないようなーというところを感じます。政策に携わる人も、それをアレンジする人も、現場で回る人も、いい加減にやっているわけではないけど、何か噛み合わないのは本当に残念なところですね。

○ 家庭支出で支えられている日本の教育支出

以前日本の教育における公的支出が乏しいというお話を整理したことがありましたが、日本の教育支出がそこそこ高いのは、家庭支出がなされているから、というのがありました。

OECD統計には、学生1人当たり経費が記されている。それによると、日本は2010年に1万6015ドルであり、OECD平均1万3528ドルより高額である。大学教育経費は、大まかな大学教育の質の指標と考えられるが、それに関して日本の大学教育の質は、OECD諸国と、そん色ない程度とみてよい。しかし日本の国公私立を合わせた、学生1人当たり公財政支出は、2010年に6249ドルである。OECD平均は、8676ドルである。日本の学生1人当たり経費が高額なのは、家計の多大な負担によるものであることを忘れるべきでない。
https://www.shidaikyo.or.jp/riihe/research/528.html

昨今の論文引用数とかで順位がガタ落ちしているのは、それだけ基礎的な研究などがないがしろにされているということなのでしょう。トップでの引用数での評価というのは、いかに基礎的なところにかかる革新的な研究と向き合えているかどうかということですので。しかもそれは一朝一夕でどうにかなるものではなく、この30年ほどの日本の教育、研究政策、そして民間企業の研究開発投資の方針の結果とも言えるでしょう。

つまりバブルの後にそのショックを回復するためという焦りからも短期的なことばかりを官民ともに追い続けて、中長期のコストは削りまくってしまった結果が今現れてきているのだと思うところです。

出すもの出さなければいい結果はでないのです。投資なくして利益なし。

○ ゆとり教育で明らかだった教員への追加投資の必要性

皮肉な話ですが、日本経済が好調ということで学習指導の方向性をいわゆる「ゆとり教育」方針にしたものの、学校の先生たちがそのような幅のある教育内容、具体的には学校の外の社会情勢なども含めて学ぶといったことに適合が困難な場合が多く、結局のところは中途半端になってしまった。そして親の一部はそのような教育ではだめになるということで、どんどん塾に通わせ、進学させようとするようになり、加熱化しているという現実があります。

個人的にはゆとり教育そのものが悪いのではなく、そもそもゆとり教育という幅のある社会と接点のある人が設計しないと無理なものを、学校に押し込めて朝から晩まで働かせる設計の従来からの学校の先生たちに、その新たな役割をそのまま担わせるというインプリメンテーションに大問題があったのだと思うところです。

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