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ChatGPTとの対話から見える人間の未来を考えてみた

ChatGPT様に、最近の政治について、ちょっと気になっていることを聞いてみた。ChatGPT様は、私の考えが少し偏っていることを指摘して、バランスを取れたものの見方をするようにアドバイスくれた。

さすがに、OpenAI社も社会的に広めていくためには、どこかに偏っては行けないと判断しているらしい。もっともらしい、無難な答えを返してくれると感心した。

でも、無難でバランスの取れた考えだけなら社会は発展していくのだろうか?人間の思考はみんながバラバラで、違うことを考えているからこそ多様性が生まれて、社会のより良い発展につながるような気もする。

さて、AI、つまり人工知能はどこまで発展してくのだろうか。人間の思考力を遥かに超えて、AIが人間を支配する日がやってくるのだろうか?

ちょっと見方を変えて、身体拡張としてのテクノロジーについて考えてみた。移動手段としての足の機能の拡張が乗り物であり、モノを操って多くのことを行う手の機能の拡張が様々な道具や器具だ。

乗り物はすでに人間の足の能力を遥かに超えて、数時間で飛行機で海をわたり、今や民間に対して宇宙旅行も売り出されるようになっている。

道具の進化を考えてみると、シャベルカーやダンプカーは人間が持てるよりも遥かに重くて大きいものを軽々と運んでくれる。

人間の手だけでは食材を小さくしようとしてもちぎるくらいのことしかできないが、包丁などの調理器具を使い分けることで繊細で美しい装飾を料理に施すことも可能だ。

様々な分野のテクノロジーが、人間の能力を遥かに超える機能を備えたモノを生み出している。しかし、人間の足や手の価値が損なわれているだろうか?そんなことは決してない。

乗り物がいくら発達しても、私たちの身体を支えて、移動する手段としての足の重要性は変わらないし、道具を使いこなすためには手を使う必要もある。手の重要性も変わらない。

身体をテクノロジーでいくら拡張しても、拡張された身体が元の身体に取って代わることはない。

しかし、気をつけなければいけないのは、テクノロジーに頼り切りになってしまうと、身体は退化する。車に乗ってばかりで歩かないと足が弱るように。

脳の拡張であるAIと人間の関係も、車と人間の関係に似ているかもしれないと思う。

ChatGPTはとても便利だ。私もライティングの仕事で、完全コピーはできないけれども、先に文章を書いてもらって、それを参考にするとスピードアップできると気がついてしまった。

でも、ChatGPTに完全に投げてしまったら、多分依頼主にバレたら怒られるだろう。首になるかもしれない。

あくまでもAIが書いた文章は参考にしつつ、自分の文章で完全に書き直す必要がある。しかし、完成した文章の内容を先に目にしておくと、作業がかなりスピードアップすることに気がついた。

ChatGPTは、AIが出力したものをどう活用するのか、人間の方の知性がより試されているような気がする。

車が便利だからと、家の中と庭しか歩かずに車移動ばかりしていたら、足が弱ってしまう。同じように、ChatGPTにレポートや作文を全て丸投げしてしまったら、その人の知力は退化していく一方だろう。

一方で、ChatGPTなどのAIから出力されたモノを活用できる人は、作業を効率化させて、どんどんと次のフェーズに進んでいく。

Audibleの「テクノロ塾」というポッドキャストを聞いていると、AIを活用してどんどんと進化している人たちのことがよくわかる。

AIは脳の機能を拡張したものであるが、果たして完全に人間の脳の機能を完コピできるフェーズまで進化できるのだろうか?

人間の脳の最も大きな特徴は、無限とも思える発想力にある。そして、現在のAIは、すでに人間が出力したものを読み込んだ情報しか元情報として使えない。

AI自体が新しい発想を作り出すことはないのだ。

テクノロ塾では、こんなことが語られていた。(言葉は私の記憶からで正確ではない可能性があります。どのエピソードで聞いたのかわからないので、興味のある方は実際に聞いてみてください。)

ChatGPTが出現して、みんなプログラムをAIに書いてもらうようになり、新しいプログラムのコードを掲示板に発表する人が少なくなったら、ChatGPTのネタがなくなり、出力されるプログラムの質が低下してきた

テクノロ塾

ChatGPTは、すでにネットに書き込まれているレストランの情報は教えてくれるけれども、誰も情報を書き込んでいないレストランの情報は教えてくれない

テクノロ塾

人間が人間であることは、新しいものを生み出していく力である。AIがいつか、自分自身の判断で人間を超えたモノを作り出す可能性はあるが、まだまだそこまでは至っていないようだ。

人間が人間であることは創造性である。そこをしっかりと磨いていくことが、AIがいくら発達してもAIに負けない人間であり続けるために重要なことではないかと思う。

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