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DoingとBeing、波と海

知事勉強会、今回はピエール・ロザンヴァロンという政治学者を巡っての議論。

まずは東大の宇野重規先生からのプレゼンテーション。以下、ひとしきりシェア。

ピエール・ロザンヴァロンはフランスの政治学者で、コレージュ・ド・フランスというフランスで最も権威ある研究機関で近現代政治史の教授を務めている。フランス革命から現代までの代表制民主主義から福祉国家と連帯の危機まで幅広く研究してきた。
主著は
『カウンター・デモクラシー』(2006)
『民主的正当性』(2008)
『平等な人々から成る社会』(2011)
『良き統治』(2015)

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などがある。

フランスの政治の伝統においては、自分たちで自分たちのことをやっていくのだから、(上から感のある)「統治」という言葉を最近はあまり使わなくなっているが、ロザンヴァロンはあえてここで古臭いようにも思える「統治」ということを言っている。日々、現実に統治ということは存在しているんだから、という問題意識。マキャベリの『君主論』に見られるように、ヨーロッパでは良き君主とはいかなるべきかという議論はずっと昔からあり、言論において「君主の鑑」というジャンルも存在しているくらいだ。良きリーダーとはいかにあるべきか。民主主義の元では見過ごされてきたそう言った君主論を、もう一回見直すべきではないかというのが、ロザンヴァロンの問題意識。

今までの政治論は代議制民主主義で立法権のほうばっかりに注目していたけれど、本当にそれでいいのかと。民主主義における執行権の強大化、民主主義の大統領化が脈々と進んでいる。ナポレオン1世・3世から、20世紀前半における二つの議論(テクノクラート化とシュミットの独裁)、そしてドゴールの第五共和政など。にも関わらず、これまでの民主主義論は代議制民主主義論(選挙・政党等)に傾斜しがちではないかと、ロザンヴァロンは考えているようだ。

ポピュリズム=政党政治の不振に対する不満が広がっている。これはずっと構造的に続いている。結果、有権者の不安や不満を直接、政治的指導者へダイレクトにぶつけようという流れが生まれている。中抜き現象といってもいいだろう。完全に政党組織を飛び越えて、カリスマ的なリーダーが権力の座についてしまうという現象が世界的に広まっている。そのようなポピュリスト政治家の暴走への歯止めをどうするか。今は選挙制度を中心に「承認の民主主義」にとどまっているが、もっと「行使の民主主義」にシフトしていくべきではないかと。

では、統治をいかにコントロールするか。
3つの基準がある。

・理解可能性:決定過程の透明化、市民の知る権利、情報開示、公開討論、良き統治の団体(GGO)、オープンデータ

・統治責任:政治家の刑事責任追求→政治的かつ集合的な責任、最終的には責任者が罰せられる必要、責任内閣制、野党

・応答性:Left Behindの不満、耳を傾けること、現代社会の多様性をいかに可視化するか

と言いながら、ロザンヴァロンは最後に、良き統治の重要な条件として、以下の2点を挙げて締めくくる。

「真実を語ること」「高潔さ」

これを担保するための具体的なアイディアはこのようなものが考えそうだ。
・統治者の高潔さと政府活動の番人である民主的機能評議会
・公共政策や行政組織をめぐる公的議論の民主的な質を評価する公共委員会
・統治者を監視する市民監視団体

以上、宇野先生のプレゼンテーションを受けてのメモ。

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