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ポスト・コロナの展望

ポスト・コロナの世界について、滋賀県を拠点に、ここ2ヶ月ほどで20名を超える多様な識者の方のお話に触れてきた。ここで一旦、「ポスト・コロナの展望」として以下、自分なりにまとめたものをシェアしたい。忖度のなしの議論をするプライベートな勉強会だったためお名前を上げることは差し控えるが、国内外の第一線で活躍される識者の方々のお話から見えてきたことは、きっと多くの方の参考にもなるものと思う。

Beforeコロナからのグローバルな流れが加速する

2020年4月、「米企業、株主第一主義が大幅に軌道修正」という一文が、Covid-19関連で埋め尽くされるニュースの見出しに混じっていた。株主である資本家への利益還元ではなく、そこで働く社員やその家族はもとより、事業に関わるすべての利害関係者を大切にする「ステークホルダー資本主義」へと世界の企業は舵を切りつつある。ビジネスを中心とする人間活動が地球環境に与える影響が肥大化した結果、ビジネスはビジネスだけを考えていればよい時代は終わった。国際金融の第一人者である識者によると、世界の金融界も脱炭素へと大きく舵を切っているという。無限に拡大可能という前提に立ったスクラップ&ビルドの経済が終わり、有限な資源を上手にメンテナンスしながら活用するサステナブルな経済、サーキュラーエコノミーへと社会は移行しつつある。その担い手として先頭を切るのは、グレタさんをはじめとする若い世代だ。

現在、社会の変化を促す大きな要因がテクノロジーであることは間違いない。特にビッグデータを活用したAIロボットの発展は、私たちに「人間とは何か」「幸せとは何か」といった根源的な問いを突きつけている。WHOがその憲章前文で「健康」を定義した一文「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉のwell-beingであり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」の中に、ウェルビーイングという概念が登場する。GDPという経済的指標だけで国民の豊かさを測ることはできないことがリーダーの共通認識となりつつある中、一人一人の国民の「持続的な幸福度」であるウェルビーイングを高めていくことが大事なのではないかと言われるようになっている。ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相が、2019年1月のダボス会議(世界経済フォーラム)にて「経済的な幸福だけではなく、社会的な幸福にも取り組む必要がある」と述べ、ウェルビーイング予算の計画を世界に打ち出したのは、記憶に新しい。

そのようなサステナビリティやウェルビーイングへ向かう社会のシフトを、Covid-19は後退させるのだろうか。ダボス会議が提唱する「The Great Reset」をタイトルに冠する本の共著者ティエリ・マルレ氏は「Covid-19はきっかけに過ぎない。すでに存在するリスクを顕在化させ、加速しただけだ」と語る。環境研究専門の識者によれば、地球温暖化等の影響で未知のウィルスに遭遇する確率が高まる一方、都市生活の広がりによって人間の免疫が弱まっていることが重なり、たとえCovid-19が終息しても今後絶え間なく新たなウィルスの脅威に人類は晒され続けるという。私たちはウィルスへの向き合い方を改め、治る病気ではなく治らない慢性疾患として一生付き合う覚悟を持たなければならない。地球の温暖化を抑え、人間の免疫力を高めるためにも、サステナビリティやウェルビーイングはますます重要になっていくだろう。自分のためにも、他者のためにも、人間が生き方を根本的に見直さなければならないところに来ている。

そのような社会のシフトを促すガバナンス改革も必要だ。Covid-19以前から世界的にポピュリズム/ナショナリズムが台頭する政党政治への不信が広がっていたが、Covid-19の蔓延によって国連を中心としたグローバルガバナンス機構の機能不全も明らかとなった。フランスの政治学者、ピエール・ロザンヴァロン氏が指摘するように、理解可能性・統治責任・応答性といった「良き統治」の必須要件を保ちながら、統治者と市民の間で「高潔さ」を持って「真実を語る」対話を重ねることが重要になるだろう。Covid-19によって、政府と市民の新しい関係、生活、民主主義が問われる。それは社会的共通資本をベースとした共同体のアイデンティティを再構築するということかもしれない。誰もが自分が生きる社会のあり方を自分事として捉えるべき時だ。

自然災害大国日本の一極集中リスクが明らかに

Covid-19による危機で明らかになったものの一つは、政治と経済が東京に一極集中する国のあり方が抱えるリスクだ。感染症対策の観点から都市の過密がリスクであることは言うまでもないが、危機管理の観点からも中央集権的な一律主義の政治体制による現場からの遊離やスピードの遅さといった問題が一気に露呈した。フランスの人口学者である識者が「日仏両国とも、Covid-19によって中央政府への不信感が増し、地方自治体がそれを補う現象が起きた」と指摘するように、一方で中央の機能不全を補完する地方行政の迅速な現場での動きが注目された。また、企業や市民による自主的な対応も評価されている。地方自治、市民自治の重要性がこれほど真剣に取りざたされたことはかつてなかった。

地方自治とは何か。ある識者が「政治の都合で境界を引いた”県”よりも、資源を基礎に区切られた”藩”が重要ではないか」と言われるように、Covid-19は私たちの自治の境界を経済圏だけでなく、同じ水源や食料資源を共有するいわば生命圏ともいうべきより大きな視点から地方自治のステークホルダーを捉え直す必要があるのではないか。世界的経済学者の故・宇沢弘文氏が挙げられた、自然環境、制度資本、社会的インフラストラクチャーという社会的共通資本の3つの軸が、私たちに地方自治を捉え直すヒントを今あらためて与えてくれる。

企業戦略家の識者は「この国には、都市が滅んだ時のプランBが必要だ」と言う。都市が滅ぶとは少々刺激的だが、今後三十年以内に首都直下型大地震が7割の確率で起こると予見されているように、この災害列島ではあらゆるリスクシナリオを想定することが必要であることは、近年続く大災害を思い起こすだけでも誰もが納得できるだろう。想像したくないことを考えないほど危険なことはないが、果たしてこの国には東京首都圏の機能が完全に麻痺する事態に対するバックアッププランはあるだろうか。変化の激しい時代には、社会システムのレジリエンスが大事であると言われる。それぞれの自治体が日本代表として必要に応じていつでもプランBを担う覚悟と準備が必要ではないか。特に「密」を避ける「開疎」の状態が自然に実現された里山エリアを豊富に擁する地方自治体こそ、その適任者だ。

滋賀というLocalhoodの独自性

関西経済圏において日本でも数少ない人口増加地域として豊富な労働力で貢献する滋賀県は、琵琶湖という水源と豊かな自然から生まれる食料資源によって関西広域の生命圏を維持する重要な役目を担っている。文化的には近江商人の活躍に見られるオープンでフロンティア精神溢れる気風がある。また、天台宗の本山である比叡山を擁し、また浄土真宗など民衆の信仰も根強く、豊かな精神文化も育まれてきた。

近江商人といえば「三方よし」が有名だ。売り手よし、買い手よし、世間よし。もしドラッカーが生きていたら、ステークホルダー資本主義の源流は日本の滋賀にあったと言うに違いない。近江商人と仏教の関わりを研究する地元住職の話によれば「三方よしは商人としての側面が強調されているが、近江商人という全体像には、四方よし、が本当です。四方目の”仏法よし”に、人間になる道という意味を込めていた」と言う。「三方よし」を目に見えるステークホルダーの調和とするなら、「四方よし」は神仏や先祖への帰依を含めた目に見えないステークホルダーとの調和を意識していたのではないか。現在の生命だけでなく、未来の生命も、過去の生命も、目に見えないあらゆる生命を勘定に入れて考え行動する滋賀の伝統は、今日世界で台頭するステークホルダー主義の議論をさらに前進させる基盤となりうる。

都市と地方という従来の枠を超え、Dependent(中央依存)でもなく、Independent(独立)でもなく、Interdependent(相互依存/助け合い/縁起)を旨とする「多方良し」のLocalhood。そこは「こころで実感できる、幸せにつながる世界」であり、「誰も取り残さない、すべての人の世界」であり、「感染症に負けない、免疫力のある世界」であり、「一時的・刹那的ではない持続可能な世界」だ。どんな人でも居場所が見つけられて、すべてが透明で何も隠されているものはない。かつての近江商人たちのように、Local to Localで海外の友人たちと直接つながり資源をシェアするのも自由だ。

ポスト・コロナの世界

あらゆるものが複雑にコネクトし合うグローバリゼーションによって、今や私たちは対岸の火事の存在しない世界を生きているということを、Covid-19は示した。フランスの思想家ジャックアタリ氏が指摘するように、倫理的利他主義から合理的利他主義へと人類が移行しつつある。しかし、そのような新常態を実現しなければ私たちに未来はないとわかっていても、変化には常に痛みが伴う。我慢したり苦しんでやるのではなく、楽しいからやる取り組みでありたいし、そうでなければ長続きしない。どこにも答えがないし、誰も正解がわからないのだから、失敗を恐れず、失敗も楽しみながら、マルチステークホルダーでの対話を重ねて試していこう。そうした対話からサステナブルな地域社会が生まれていくし、対話そのものが私たちのウェルビーイングを高める処方箋にもなる。

すでに進むべき方向性は見えている。社会のデジタル・トランスフォーメーションを促進するためにも、統治ガバナンスの仕組みの徹底的な透明化を進めること。Covid-19を気候変動対応のブレーキではなくアクセルとして経済・産業構造の転換につなげていくグリーン・リスタート。「健康は状態ではなく能力である」とするポジティブヘルス発想で、治療だけでなく予防や健康増進に力を入れたより包括的なウェルビーイング志向の医療体制へと変革すること。セクターを超えて社会的共通資本を積み上げ、市民コミュニティでの対話からコモンズが生まれる新しいプラットフォームを作ること。エコノミー中心からより包括的なエコシステムとして地域を捉え、生体流域ベースで人々の生活や文化が発展する仕組みを整え、開疎で豊かな里山の自律的な再生循環型エコノミーを創造すること。そして、そのようなエコシステムそのものの魅力によって関係人口を増やし、従来の観光客も一時的市民として長期滞在でその豊かさを味わうツーリズムを提案すること。これら、あらゆる分野で未来の変革を担う若い世代が、地球市民として利他意識を持って育つ教育環境を整えること。

心強いことに、こうした方向へと歩み始めた先進事例があちこちに出てきている。TEEB(The Economics of Ecosystems & Biodiversity)の研究が進み、持続可能な都市の基盤になる健全なエコシステムを作る取り組みが、シンガポール、オーストラリア、フランス、ドイツなどで始まっている。スペインのバルセロナでは、市民と行政の対話を促す新しいデジタル・プラットフォームが活用され始めた。未来をすでに実現しつつある場所が世界中に増えていることは、希望だ。

The End of Tokyo

以上、ポスト・コロナの展望として、まとめさせてもらった。最後に、それを受けて自分なりに見えてきたビジョンを書いた続編的な記事をシェアして閉じる。

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