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死者の民主化

「喪失そのものが不確実で、失ったかどうかがはっきりしない喪失」は、あいまいな喪失、と呼ばれる。

コロナのような感染症が蔓延すると、あいまいな喪失が増える。僕の身近でも、コロナで親戚が亡くなったけれど、通常の葬儀をあげることが叶わず、家族ですら遺体に面会することが困難で、そうしたあいまいな喪失体験が心に影を落としているという話を聞いた。

しかし、この傾向は、実はコロナに始まったことではない。もう何年も前から、新聞のお悔やみ欄には「家族葬」「密葬」「会葬お断り」「遺族だけで執り行いました」の文字が並び、大切な人とのさよならの機会が奪われ続けている。

「遺族」という言葉がある。

死んだ人のあとに残された家族・親族。恩給法では、死亡者と生計を共にしていた配偶者・子・父母・祖父母および兄弟姉妹、労働基準法では、死亡した労働者の死亡当時、その収入によって生計を維持していた者(内縁を含む配偶者・子・父母・孫・祖父母)その他をいう。
https://kotobank.jp/word/遺族-432750

確かに、法律の定義では、そうかもしれない。しかし、かつてのような大家族時代とは違って、今のように核家族化・単身化が進んだ時代に、果たして弔いの全権を法律的な「遺族」に限定して委任することは妥当なのだろうか。

ましてや、寿命が伸び、生き方や働き方、住む場所も多様化する中で、一人の人の人生をとってみても、実に多様なステークホルダー(関係者)が存在し、その関係性の性質も、関係性の数だけあると言っていい。

平野啓一郎さんの「分人(dividual)」の考え方を借りるなら、一人の人間には、その人を構成する異なった分人が、他者との関係性の数だけ存在する。

その人にとって、いわゆる家族との間で見せる顔は、その人の一つの分人にすぎない。それにも関わらず、その人が亡くなった時、いわゆる遺族しか弔いの機会を持てないということになれば、その故人の分人の一つしか浮かばれないということになりかねない。そして、取り残された大部分の分人の数だけ、あいまいな喪失が生まれることに、なりはしないか。

ある領域において、これまで一部の特別な人間に限定されていたアクセシビリティが万人へと解放・開放されていくことを、その領域における「民主化(democratization)」と呼ばれる。

今こそ、「死者の民主化」が必要だと思う。関係性に差別なく、誰もが誰をも弔うことのできる世界は、誰もが誰かから「生まれてくれてありがとう」と言われる世界でもある。死者の声に耳を傾ける機会を大切にすることは、まだ生まれていない未来世代に意識を向けることにもつながるはずだ。今この世に生きる人の数をはるかに超えた、死者と未生者の間のいのちのバトンをつなぐところに、私たちの人生がある。

従来型の資本主義が行き詰まり、これからはマルチ・ステークホルダー型の資本主義に移行していくと言われる。政治においても、まだこの世に生まれていない未来世代の声を意思決定のプロセスに招き入れる仕組みが世界中で模索されつつある。資本主義経済にも、民主政治にも、目に見えない存在の声を反映することができれば、社会の歩みはより確かなものになるはずだ。

目に見えないステークホルダーとのつながりを大切にする「死者の民主化」の推進は、未来世代につながるこれからの社会の土台になると、信じている。今、私たちが進むべき方向を間違えないためにも、これまでに存在した耳を傾けるべき多様な声を反映していかなければならない。画家ゴーギャンが『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』という絵画のタイトルに込めた問いを、再び問い直すべき時が来ている。

日本仏教の先祖供養しかり、ネイティブアメリカンの7世代思考しかり、目に見えない人々をこの世界に現前させ、今を生きる私たちの意識とつなぐ技術は、世界中の伝統的な宗教やスピリチュアリティの伝統文化の中に、見出すことができる。関連したアイデアは『グッド・アンセスター』の本の中にもたくさん登場するので、ぜひ読んでみてほしい。

伝統宗教に関していえば、そもそもが、日本の神社仏閣をとってみても、時代の変化の荒波に耐えて数百年という長い時間軸の中で受け継がれてきた歴史そのものが、私たちと死者をつなぎ、そしてまたこれから生まれてくる未来世代に意識を向けさせる装置として機能している。

自然だってそうだ。今、僕らが豊かな里山の風景に触れることができるのも、過去に手入れを続けてきた人たちがいるからだ。彼らもまた、山に木を植えてきた人と同様に、その成果を受け取るのが自分ではないことを知っている。今、日本では山林の維持や保全ができないことが問題になっているけれど、それもまた、目に見えない人々との意識のつながりを僕らが失ってしまったことも、関係しているのではないだろうか。

「死者の民主化」は、そうした宗教や自然といった領域に親しんで生きる、悠久の時間軸でものごとを考え、行動する人々が力を合わせて成し遂げられることであるに違いない。この悠久の時間のことを、『グッド・アンセスター』では「Deep-time」と呼んでいる。

亡き人を想い、その想いを未来の人々へと振り向け、そして今こうしてその間をつなぐところに立っている、私自身の生き方を問う。そんな「グッド・アンセスター」文化の担い手の一人でありたいと心から思うし、思いを同じくする仲間とともに、そうした動きに貢献していきたい。

そんな思いを『グッド・アンセスター』著者のローマンに話したところ、とても共感してくれた。意外なことに、ローマン自身は「グッド・アンセスター」の名を冠した組織やプロジェクトを立ち上げたりはしていない。「なんだかんだ、自分は組織を作ったりするのが得意ではないし、哲学者としてこの書斎にこもって考えたり本を書いたりするのが好きだから、あなたのように、この本を読んで行動してくれる人が出てくれたら、それは嬉しいし、ぜひ応援したい」と言ってくれた。ローマンとのつながりの中で立ち上げられれば、日本の中に閉じることなく目線を世界に向けながら活動できそうだ。

9月に『グッド・アンセスター』が発売されるのを機会に、そのアイデアを広めるための、何かイニシアチブを立ち上げたいと思う。まだどんな枠組みで立ち上げるのか、法人にするのかどうかなど、何も決まっていないけれど、どんなことができそうか、自分なりに考えられることを書いてみる。


◉ グッド・アンセスター文化の啓発

書籍『グッド・アンセスター』はぜひ多くの人に読んでもらいたいし、それをテーマとした講演なども積極的に行っていきたい。また、グッド・アンセスターの考え方に通じる未邦訳の書籍も日本に紹介していきたいし、逆に柳田國男の『先祖の話』のように日本の関連書籍も世界に紹介していきたい。


グッド・アンセスター・デイの普及

一つ前のnote記事(2021.8.26)に書いた「グッド・アンセスター・デイ(よき祖先の日)」を、全国のお寺に広めていきたい。遺族でなくとも、血縁に関係なく、誰もが誰をも弔うことができる世界を作っていくことは、コロナ禍を経験した今だからこそ、進められるのではないか。コロナ禍の「あいまいな喪失」をケアする機会にもなるし、お寺側にとっても、宗祖法要や花祭りに今日的に重要な意義を添え、活性化にもつながるはずだ。Post-religion時代、宗祖の位置付けは「私たちの偉大なよき祖先たちの一人」くらいがちょうどいい。


グッド・アンセスター・クラブの立ち上げ

死者の声に耳を傾けること、未生の未来世代の声に耳を傾けることは、世代間交流の中で擬似的に実現できる。例えば、80代の人と10代の人との対話は、グッド・アンセスター・ダイアログとも呼ぶべき意味合いを見出すことができると思う。世代間交流を盛んにし、世代間の相互理解を促し、世代を超えて活動するクラブやメディアを作りたい。こうした世代間交流は、あらゆる分野で停滞気味になっている世代別組織の活性化のきっかけにもなるだろう。また、弁護士や会計士や医療従事者など、プロフェッショナルによる神社仏閣のプロボノ支援(*)の仕組みづくりにも取り組んでみたい。

* プロボノ(Pro bono):社会的・公共的な目的のため、職業上の知識やスキルを活かして取り組み、参画するボランティア活動のこと。ラテン語で「公共善のために」を意味する pro bono publico の略。


グッド・アンセスター・ドネーションの設立

「グッド・アンセスター」の考え方が浸透することは、未来の世代への恩贈り文化、すなわち遺贈文化が広まっていくことにもつながる。財産を血縁に相続するだけでなく、血縁の子や孫でなくとも、未来の人類子孫のために遺産を役立てる恩送りの仕組みが、特に成年後見人としての宗教者の役割が大きくなっていく中で、必要になってくるのではないだろうか。具体的なあり方はまだわからないが、植林による鎮守の森の保護育成など、Long-termで取り組むべき事業に遺産が役立てられるような仕組みを作り、Long-term Entityたる神社仏閣法人の集合体としての力を発揮できたら素晴らしい。恩贈りの利益を享受するのは未来の人たちであり、同時に、送る側も「喜び」という利益を得る。


グッド・アンセスターに相応しい葬送の研究

思うに葬送のあり方は、私たちの死生観に思いのほか強い影響を及ぼしている。化石燃料に依存した火葬一択の日本において、より生命の循環が感じられる代替的な葬送のあり方(ヒューマン・コンポスティングなど)を用意することは、グッド・アンセスターの考え方を広めていくためにも、とても大切なことだと考える。自然葬、分解葬、縄文葬、コモンズ葬、環境葬、発酵葬、還元葬・・・具体化はこれからとして、さまざまな分野の専門家の知見を持ち寄り、グッド・アンセスターに相応しいオルタナティブな葬送の研究を進めたい。


グッド・アンセスター社会の実現

世界経済フォーラムで「マルチ・ステークホルダー・キャピタリズム」が謳われるように、政治や経済の意思決定プロセスに多様な関係者を招き入れることが、これからの社会作りに不可欠なこととして世界的な合意が形成されつつある。そうした多様な関係者の中に、今を生きる人だけでなく、過去に生きた人や、未来に生まれてくる人を何かしらの形で加えることで、近視眼を克服してより長期思考でこれからの組織や社会を作っていくことができるかもしれない。政治や経済での意思決定の場にグッド・アンセスター(死者の存在)をステークホルダーとして招き入れる旗振り役としての役目も、何かしら考えてみたい。「人は誰もいずれ死者になる」という動かしようのない事実こそ、現代の皆が共有し得る(もしかしたら唯一の)コモンズの基盤にもなると思う。


以上、今の時点で考えられる自分のアイデアを書いてみた。

ぜひ、あなたの声も聴かせてください。


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このnoteマガジンは、僧侶 松本紹圭が開くお寺のような場所。私たちはいかにしてよりよき祖先になれるか。ここ方丈庵をベースキャンプに、ひじ…

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