翻訳は、スタートライン。とある読書会より。
翻訳は、スタートライン。
「わたしたちは「よき祖先」になれるか?」
『グッド・アンセスター』が読者に投げかけるこの問いに、先祖供養の根付く文化においてこそ、広がりをもった議論で応答できるだろう。過去を振り返る営みにあってこそ、自らの存在もまた、いずれ振り返られるものとして捉えられるからだ。僕自身は、問いの答えをもっていない。ローマンが世に放ったものを、どう読み、受容し、応答していくかが僕が受け取っている縁なのだろう。
出版から3ヶ月あまり。想像以上に、「よき祖先」を巡る対話を様々な人と場面で行ってきた。テンプルモーニングの談話から、企業研修の場、ネット上の反応まで、毎回、みなさんから常に新しい発見やヒントをもらう。都度、咀嚼しながら共有していけるといい。著者のローマンも、フィードバックを心待ちにしてくれている。
先日は、『グッド・アンセスター』を題材にしたとある読書会に翻訳者としてお呼びいただいた。参加者の皆さんが声にしてくれた、とても貴重な感想の一部をここに紹介したい。
短期思考は場合によって、確かに長期思考と対立軸にあり、本書が示すような綱引きの状態にある。しかし、東洋思想にある「いま」は土地に根付く「祈り」と同じように、いまここにありながらも全方位に回向するものだ。対立軸はなく、過去も未来も「いま」に含まれている。それは、全てを<わかる>こととも違う。一方的に描く未来や抱く共感は、押し付けになりかねない。「未来のため」「誰かのため」と固定するほどに、その解体に手こずる姿を僕らはこれまでたくさんみてきた。作り上げられたものが、負の遺産となることもある。
<思考>で長期をみると、ロジックに沿った計画や契約に縛られる。変わりゆく状況に応じ得るしなやかさと瞬発力は、短期思考とは異なる「いまここ」の感覚から生じている。その感覚をもって広がる視野のもと、深い思考を重ねたい。「いまここ」を見つめる過程で、僕らはどれだけ、無数の、そして無名の祖先たちから受け取っている恵みに気付くだろう。そして、オードリーが「Life is Goodで生きよう、Better Ancestors(よりよい祖先)になっていこう」と言うように、まずは自分たちの素手で触れられる世界を、存分に生きることだ。
あとは、未来や過去や遠くの存在に託して祈りたい。「祈り」は、「Solitude(孤)とSolitude(孤)がSalute(敬意を表)する」関係性で存在を繋ぐ。縛られることのない、"よろこびの長い眼差し" はここから湧き上がってくる。
振り子を "振り切る" 必要性は、確かにあると感じた。僕らはともすると、「古きよき日本の○○」という懐古主義的な文脈に甘んじてしまいがちだ。本来そうであったのだから、学び直そう、思い出そうというのでは慰め合っているだけだ。「私たちにこそ、本当の長期思考があったはず」。それは「あったはず」であって、現代の日本社会とそこに生きる多くの僕らには、もはや無いと言っていい。それを自覚することからはじめたい。ヨーロッパの友人たちの話を聞いていて思うのは、未来を見据えて行動している市民レベルの層が厚いということだ。僕らが溜飲を下げて現状に留まっていては、ここに必要な変化は起こらない。今を明らかに見て、ここからどうしていくかである。「僕らは失くしてしまった」そんな振り子を、振ってみる必要があるかもしれない。
その時生まれるであろう、「私」を超えて長く遠くへと意識を向けられる分人と、そうではない分人。自らの中に生じるものは、等しく社会の中にも生じている。異なる分人たちを分断せずに、「エンパシー」で共にやっていきたい。それでもやはり、相手のことはわからない。本当のところはわからない「悲しみ」を含んでもなお、共にあろう。
それを、慈悲というんだろうか。
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経験は、感性や思考の幅を広げる。自分の中の分人が増え、想像力は自然と養われる。横に移動するだけでなく、全方位的に様々な立場を経験することは、振り子を振るためにも必要だろう。具体的な方法の一つを最後に紹介したい。
それは、「演劇」というアプローチ。「フューチャーデザイン」のワークショップは、自分が未来世代になって、現代の人と意見を交わす。うっすらではあるが、演劇の要素が組み込まれている。これをさらに深めていくことは、ディープタイムへ誘うだろう。
友人に、「シアターワーク」という演劇的手法を用いた身体ワークを実践する小木戸利光さんがいる。イギリスの大学で学んだものに、自らの実践による学びを交え、オリジナルのプログラムを創っている。学生から経営者まで集まる人の層は広い。異なる分人を深く感じ、受け入れていくことが、そのまま他者を受け入れることになる。押し込めた生きづらさ解くヒントが、演劇の要素の中にもありそうだ。
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