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Calling、彼方からの呼び声

今回の「ウェルビーイングってなんだろう」ポッドキャストは、なぜか、未来の宗教について語った。

タイトルに「宗教は教えから問いへ」とあるように、これからの宗教は、問いが大事になると思っている。

Post-religion時代、宗教家に役割があるとしたら、大事なのは「教え」ではなく「問い」を持っているかどうか。マルクスが「宗教はアヘンである」と言ったなら、それは答えとしての教えを提供する宗教のことだろう。答えが人を酩酊させるものだとしたら、問いは人を正気にさせるもの。

そんなに意識しているわけじゃないけど、僕が人に正気を取り戻させるやり方があるとしたら、基本的には、問いの投げ込みだと思う。「私」の境界線を揺さぶる、問いの投げ込み。その問いは、「私」に収まっているその人に、心の深い奥底から「本当はそんなもんじゃないだろう」と呼びかける声に耳を開かせる。

本来の宗教家、というものがあるとすれば、僕はその仕事は、教え(答え)を説くことではなく、問いを投げかけることだと思う。それも、深淵からの問いを。でも、現実には、多くの宗教家は「宗教家」という枠に収まってしまって、宗教家自身が宗教家という「私」に引きこもってしまうから、全然役割を果たせてないのだけど。

「本当のあなたは、そんなものじゃないだろう」というcalling。

callingといえば、マトリックスを思い出す。

マトリックス4が準備されているというから、久しぶりにマトリックス話をしてみよう。

映画Matrixで、最初に出てくるのは、電話。主人公のアンダーソンに携帯電話が郵送されて、そこに電話がかかってくる。電話の主は謎の男性。彼方からの呼び声が、突然やってくる。まさにcalling。

callingという言葉には、天職とか、神の思し召しとか、いろいろな意味があるけれど、文字通りそれは「calling=声」で届けられるというのがポイントだと思う。浄土真宗でも、南無阿弥陀仏は「仏の呼び声」と言われ、英語にすると、「The calling from Amida-buddha」だ。古今東西、「本当のあなた、そんなものじゃないだろう」というcallingは、声でやってくる。それは「彼方からの呼び声」だ。

映画Matrixで、Matrixのシステムの中で見せられる世界(ビジュアル的にはそっちの方が現実っぽい世界)から、(暗澹たる)現実であるベースシップに帰るときも、公衆電話がゲートウェイになっている。callingによって正気に戻るということだ。

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