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今、線路は途絶え、僕らは荒野に放り出された

アフターコロナの世界について、ここ2ヶ月ほどで20名を超える多様な識者の方のお話に触れてきた。

世界がどこに向かうのか、向かうべきかについて、すでにはっきりしていることばかりのようにも思える。識者の方々から得た言葉の断片を編集して文章にまとめたので、以下ご参考いただければ幸い。

まとめに入る前に、自分なりに思ったことをひとつだけ、記しておきたい。アフターコロナの世界、すでにはっきりしていることが実際に実現されるために、決定的に重要なことがある。それは、この世界の今を生きる僕ら一人ひとりが、自分の人生の運転手にならなければならないということ。

これからの世界では、クルマは自動運転になり、AIロボットで置き換えられるあらゆるものが自動処理されるようになっていく代わりに、自分の人生と、自分が生きる世界をどうするか、自分で主体的に決めなければならなくなる。レベル5のテスラは自動運転してくれるかもしれないが、目的地は教えてくれない。

あるいはこうも考えられる。ビフォアコロナでは、僕たちはあらゆるタスクを人力でやってきたかもしれないが、自分の人生がどこへ向かっていくか、自分たちの暮らす世界をどうしたいのかは、あたかも誰かが運転する列車にすでに乗っているかのように、その目的地については乗客である自分には決める権能がないものとして、やり過ごしてきてしまったのではないか。

今、線路は途絶え、僕らは荒野に放り出された。とはいえ、僕らの祖先と違って猛獣に怯える必要はないが、自然災害とウィルスの脅威は変わらない。祖先の時代と違うのは、僕らにはテクノロジーがあることと、資源がないことだ。先人の知恵に学びながらも、まったく新しい時代環境を踏まえて、一人ひとりが自ら目的地を設定し、そして連帯しなければならない。それがなければ、仮にアフターコロナ世界がどこに向かうのか、向かうべきかについて、すでにはっきりしているとしても、絵に描いた餅だ。

以下、識者の方々から得た言葉の断片を編集して文章にまとめる。

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