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友達の大学の卒論をコンサルして、見知らぬ教授を大絶賛させた話

題名で色々勘繰られてしまうだろうが、とりあえずは以下の文章を読んで頂ければ幸いである。

大学時代の自分が主に得意としていたのは、その場で文書を手書きで作成するテストではなく、時間をかけて事前に様々な資料や書き留めたノートを元に作成するレポートであった。テストでも得意分野であればA+は獲得したことがあるけれど、そうでなければ大概はB位が大半を占めていたのに対し、レポートの際はほとんど授業内容を覚えていなくても、出来が良かったのかA+を獲得したことは実際何度かあったりする…(笑)

一番個人的にも印象的だったのは、文系向けの理系学問?IT系の授業?でレポート提出が義務付けられたのだけれど、既に時効だと思うので話してしまうが…当時は大学3年の時から土日に両親が諸事情で不在であることが多かったので、大学生活も退屈であったが故に昼間から般若湯を飲む頻度が増えていたのだが、「そういえば、レポートの提出が迫ってたな」ということを思い出し、酔いに任せて資料を参照しながら数時間かけて書き上げたレポートがなんと…

A+を獲得してしまった…(笑)

しかも、自分自身がレポートを作成しておきながら、その内容も大して理解していなかっただろう、にもかかわらずである…。正直言って、Cくらい獲得できればラッキー位に思っていたので、思わぬ誤算というより罪悪感すら感じてしまうほどにお零れを頂いてしまった感覚になり、果たしてこれがいいのやら悪いのやら…学生としてはアカンけど、単位取得の意味では仕方がないかも…(笑)

ただ、これは本当に稀なケースで、基本的には時間をかけて文面等を整えて必ず提出をしていたし、Eメールを介した提出の場合は、氏名や学籍番号は当然の如く、非常に丁寧な文面も併せた上で教授に送付していたので(実を言うと、ここを気にされる教授が結構いるので非常に大事…)こうした地道な努力や配慮も成績につながっていたことは確かだし、やはり大学生のうちにある程度の礼儀作法は学んでおく方が得であることは間違いない。

そういえば、自分は学生時代に大学教授に一度も叱責を受けたことがないのだが、むしろ元同級生側が何度も下らないことで叱責を受けているのを見て、冷笑を何度も繰り返したのだが、そういう性格だから友達ができなかったのだろうと自分自身を冷笑する心境になったのを思い出した(笑)無駄話で授業妨害に加担しているとか、そんな話は大学時代本当に多かったのでね…それが今の表向きは従順な社会人ってのも中々面白い話ではあるけど、うちの大学はそれでもまだ「マシ」なほうで、まさしくレポートを手伝うことになった友人の大学は「酷すぎて論外」であったらしいから…(汗)

一方で、ゼミで一緒だった1個上の男友達は、ゼミの先生を除き、ほぼすべての教授に叱責…それも、怒っているところを見たことがないとすら言われる教授に対して怒られてしまうほど、色々やらかしていたらしい…(笑)けれども、元同級生たちには人気者で、常に周囲には友達で溢れていたんだよね。そんな自分とは真逆な友達だけど、本当に突っ切ってしまっているが故なのか(笑)陰キャでカースト底辺の自分とも仲良くしてくれてて、同学年と言えど年上だから色々心配もしてくれたし、結局はご本人の人間力の賜物なんだろうなと思うよね。礼儀作法に厳しい哲学の先生を、メールの文面で激怒させたのも彼なんだけど、思わず笑いそうになってしまったもんね…そりゃアカンよって(笑)Tちゃん、元気してるかな?

話が脱線してしまい申し訳ないが、そんなレポートの達人が卒業後に思わぬ形で活躍する機会を得られることになる。1年浪人して中堅レベルの大学に入学した地元仲間のAが、ゼミでの卒業論文に関して自分に助けを求めてきたので、実際に書き進めている内容を見せてもらうと…

これは酷い、酷いというよりレポートの原則が何一つ守られていない、要するに大学内でレポートの作成を学ぶ機会すらないまま、卒論を書かされているのだろう…あまりの出来栄えに愕然としてしまったので、まずはレポートの原則について色々と教えるところから始め、例えるなら

「敬語は使わない」
「自分の考察や感想は序論で述べない」
「一人称は用いない」
「あくまで客観的な視点に徹して、最後に考察や感想を付け加える」

といったように、本当にレポートの構造や進め方を一から教えて、そして自分が横で添削していく形で書き進めていくことになった。

個人的に最も愕然としたのは、大学内でレポートの基礎を学ぶ機会が著しく欠落しているように感じたことだろう。なにしろ、本人の文章が言い方はとても悪いが、中学生レベルの読書感想文そのものだったからだ…どう考えても、そうした機会を得られないまま卒業を迎えてしまっているとしか思えず、やはり大学選びの基本は勉学を基本とすることが大前提であると改めて感じたよね…そういう意味では、うちの大学は勉学はきちんとしていたから、自分も卒業までなんとか続けられたのだろうし、今も大学の教授の方々には本当に頭が上がらないし感謝の気持ちは今も強い。

こうして、2日間ほどかけてレポートを作成していくことになった。まずは、徹底して文面の添削を行いつつ、調査内容に関する推測や考察も含めてほぼ全てを書き直した。調査自体はとても興味深いものだったので、これは必ずレポートを整えなければ勿体ないと思った故に、自分も相当に積極的に関与していった。そして、ついに完成したレポートは、読書感想文にも満たないような文面とは全く異なる、まさに卒業論文にふさわしい立派なものに様変わりした。

Aからはとにかく感謝の言葉が止まらなかった。五月蠅いゼミの教授も、これを見れば少なくとも文面では立派だと褒めてくれるだろうと言ってくれたので、ニート既卒なりに物凄く小さな社会貢献ができたのも嬉しかった(笑)ただ、その教授が本当に厳しい人間であるのなら、万が一それ迄提出したレポートの文面から明らかに乖離した卒論の感じに、盗作や他人の手が入ることを疑われるかもしれない可能性もあるのではと思い、原則は本人の言葉で書いてもらうことを大前提として、あくまで自分は傍に寄り添いアドバイスをする立場、要するにコンサルタントに留まるようには務めていた。ゴーストライティングは流石にヤバいっすからね、バレたら耳が突然聞こえ…(笑)

そして、運命の提出日…個人的には自分事のようにドキドキしていたのだが、仲間から届いたメールには感謝の言葉と共に…

「しょうげき、ゼミの教授にメチャクチャ褒められたよ!君の論文はこれまで見た中で一番完璧だって!本当にありがとう!本当に一生恩に着るよ」

と、只ならぬ喜びを爆発させる文面に溢れていたので、まさか大学時代に培った非常に地味でリア充に何一つ貢献しないスキルが、親友のピンチを救うどころか自尊心まで高めてしまうことになるとは…本当に人生何が起こるか分からないものだ(笑)

そんな仲間もサラリーマン人生をこつこつ続ける傍らで、様々な困難は抱えながらも、今年は大きな幸せを掴み前進を続けている。一方で日陰暮らしと自主社会不在の中で絶望を何度も繰り返すレポートの達人は、未だにその能力を発揮できないまま社会復帰してしまった挙句、数年もの療養を余儀なくされ再び社会復帰という非常に地味で何も華のない現実と向き合う日々を送っている(笑)ただ、そんな親友は仲間に優しいので自分にも変わらず接してくれているから、なんとか今の自分を保っているし、絶望してばかりはいられないという気持ちにさせてくれてもいる。

とりあえず、来週あたりまでは只管に「書く能力」を取り戻していこう。

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