上方の噺家は能力の可視化を嫌う【ほぼ無料】

タイトルで「上方の噺家は・・・」と書きましたが、
「旧弊な上方の噺家は・・・」とすべきかもしれません・・・(笑)

そもそも「可視化とは?」ですが、「誰にでも見えるようにする」ということです。そして、東京の落語界は、上方落語界と違って、既に一定の能力が可視化されています。(その意味で東京は資本主義が発達してる都会だと思います)

今回の記事は、上方の落語家の能力は、現在、東京ほどには可視化はされていないですし、それを可視化することが難しいと言うお話です。


東京の落語界はシビア

「東京の噺家能力の可視化」

東京は、噺家の「人気の差」は以下で、ほぼほぼ反映されています。

①TVメディアに出てるかどうか(有名かどうか)=一般人からの認知度
②「寄席のトリ」=落語ファンの評価or集客力

①の「メディアに出てるかどうか」は、数値化・文字化されないのですが、調べなくても誰にでもわかる基準となっています。
②は、協会や寄席が決めます。寄席のトリ(特に夜)を取ることで「集客力の有無」が露骨に数字として上がってきますので、真打は全員、何となくご互いの実力差を明確に把握できます。

東京では、芸歴の上下関係なく、「お客様を集める力があるかどうか」が寄席のトリには求められ、それが寄席の集客として明らかになりやすいです。

それゆえ、
東京では噺家同士が”早いうちから”厳しい現実“を目の当たりにします。つまり、おのれの実力がある意味「可視化」されているのです。

「集客力があれば寄席の人気者になれるし、集客力がなければ寄席の人気者になれない」という現実があり、さらに、
「今、自分と周りの集客力は、どういう力関係かという現状を常に皆が理解している」というシビアな現実が全員の前に横たわっています。

いわば「芸歴による礼節」は楽屋で行われるルールであり、寄席や落語会の番組では経済的実力という別ルールが存在しています。そして何よりそれを全員が受け入れているのです。
(念の為、補足すると、「芸と集客力は別」です。芸の評価は個々のお客様の主観なので、集客力とは違います。その建前があるからこそ、楽屋での「芸歴による礼節」は残ります。

※以下参照YouTube=笑福亭たま通信「東京の寄席と天満天神繁昌亭を徹底比較」(寄席の効果~東京と大阪の違い:後編)


「東京と大阪の寄席の番組構成の違い」

大阪も東京も寄席は基本は昼夜の2部制ですが、番組構成が違います。

<東京>
昼夜ともに協会&寄席が番組を決定します。
そして番組構成は「昼の基本番組×10日+夜の基本番組×10日」を上席・中席・下席で変更し、1か月興行を打ちます。

<大阪>
昼は協会の番組編成委員会が番組を決定し、基本番組成の単位は1週間で、1週間で交代していきます。夜は協会員への貸席で、日替わりで1公演ずつ興行を行います。

「上方と東京の寄席運営と顧客の違い」

<昼の部>
●東京はやはり都心部ですので、ふらっと入るお客様(初心者)が昼間には多くなります(東京は基本は当日のみ)
●大阪の昼間のお客様の大部分は、団体(初心者)や個別の初心者の方が事前前売を買って来場します。

<夜の部>
 ●東京は落語ファンの数が莫大です。コアな落語ファンの数だけでなく、ライトな落語ファンの数も大きいです。ですので、落語ファンに人気の落語家が10日間興行でトリを務めることで集客に影響が出やすいです。
(10日間集められる落語家が何人もいる)

●大阪は落語ファンの母集団が小さすぎて(カウントできるのはコアな層のみ)、1週間や10日間、夜に連続落語会をして150〜200人を集め続けられる人はいません。(記念やら何かで各回芸能人も混ぜても厳しいです。→それを誰かが年1回できても、常に芸能人を呼ぶ態勢を続けることは不可能です)
それゆえ、大阪の天満天神繁昌亭の夜は「協会員による1日ずつの貸席制」です(協会員から会場費をもらう=協会員に番組権と収益を渡すことで夜1公演を埋めてもらう形)。

まず、この違いを理解しないと、東京と大阪の寄席比較などは出来ないのですが、大阪の噺家(寄席間関係者)は、どうやらほぼ理解していないのが現状です。もちろん、東京の噺家は比較する必要などないで、理解していないです。

「東京の落語家は、集客力の差を認識しやすい」

東京の落語家は「寄席のトリ(特に夜)」において、歴然とした「集客力の差」を皆が目の当たりにしていきます。
この「寄席のトリ」は、東京では、誰もが認識できる「集客力のバロメーター」です。

そもそも「落語ファンに人気」と「寄席でウケる」「寄席で集客できる」は少し相関関係があります。
ですから、東京の若手落語家が台頭していく流れとしては、

①自分の落語会でお客が増える(落語ファンに人気)

②寄席のトリに抜擢される(一般客へのアプローチ)

みたいな流れであり、②はさらに①を加速させていきます。

そして、敏感な師匠方は①の時点で「若手落語家の実力の向上」に既に気づき出します。そして、鈍感であっても②の時点で、ほぼ全員が「若手落語家の実力の向上」を認識できます。

ですから、東京は、どんなに鈍感であっても、「寄席(のトリ)」によって各自の集客力を各噺家が認識できます。
しかし、大阪ではそれが成立しないのです。

上方の落語家は、集客力の差を認識できない

「正確には、上方のうち、鈍感な人は・・・」と書きたいぐらいです(笑)

そもそも敏感な落語家は大阪でも「集客力の差」や「若手落語家の実力の向上」に気付くことができます。それは「誰が落語ファンに人気なのか」ということを知れば良いだけだからです。

しかし鈍感な人は大阪では気づけないのです。というか、「誰が落語ファンに人気なのかを知る」のが難しいのです。その理由は以下です。

【1】集客力の差を認識しにくい理由(繁昌亭夜席編)

まず繁昌亭夜席は、1日ずつの貸席のため、噺家の独演会であっても、

落語ファンで100~200人埋めているのか、
その噺家の親戚や知り合いで100~200人埋めているのか、
ゲストの人気で100~200人埋めているのか、
その噺家のスポンサー企業が100~200枚チケットを買って、来場者は招待なのか、

「数字」だけでは、全くわかりませんし、調べようもありません。
(手売りの数なのか、ぴあの端末による販売なのかぐらいはわかりますが)

もちろん、東京と同じように、”敏感な噺家”であれば、上方でも
「誰が落語ファンに人気なのか」=「若手落語家の実力の向上」
に気づきます。
それは自分が普段意識しているからでしょうし、そういう落語ファンが多くいる会に出演しているからでしょう。

つまり、先ほどのような1日だけの独演会でも「客層」や「集客力」から、各噺家の実力は本当は何となくはわかるものです。
しかし、鈍感な人間は気づきません。
(当たり前ですね・・・、気づかない人を「鈍感」というのですから)

鈍感な噺家は「落語会の人数」という「現象」にしか目にいきません。「本質」や「内容・内訳」にはたどり着かないのです。
あくまで「皆が目にする客観的データは人数だけ」ですので、夜席において、それぞれの噺家の「集客力」を評価するのは難しいと言えます。

【2】集客力の差を認識しにくい理由(繁昌亭昼席編)

前述したように、天満天神繁昌亭の昼席は、
1日だけの出演なら、芸能人的な噺家によって集客の差が出るかもしれませんが、1週間単位の集客において歴然と差を出せる噺家は、ほぼいないです。(現在は桂二葉さんぐらいが可能なようです)

昼席のメイン顧客の増減は、時季や団体客に起因する要素が大きく、
出演者による影響はそれに比べれば非常に小さいです。
だから、あくまで「短期目線」で考えた場合、トリは誰であっても集客には影響を与えません。

つまり、この前提があるため、「昼席のトリ=集客力がある噺家」とは上方では誰も思わないのです。その意味で、昼席の集客状況を見て、トリの集客力の差を認識することが出来ないのです。


【3】個々人が持つ主観を客観だと勘違いしているから…

※ここからは私の強烈な偏見に基づいた推論や感想ですので有料です。
「無料」部分までの方は「ハート(スキ)」を押して下さると、うれしいです(サポートでも結構ですが)。

ここから先は

3,763字

¥ 500

よろしければサポートお願いいたします!いただいたサポートは、株式会社笑福亭たま事務所の事業資金として使わせていただきます!