見出し画像

ポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョってご存じですか。

侯爵とついている通り、王様ではありません。1750年から1777年までポルトガルの宰相を務めた方です。

ポンバル侯爵はポルトガルの近代化、工業化を推し進めてポルトガルの発展に大きく寄与した方であり、
1755年のリスボン大地震から国家の復興を成し遂げた名宰相でもあります。

当時のポルトガルは、1668年にスペインの統合が終わり、イギリスなどの工業国に後れを取っていた中、ブラジルなどの植民地から莫大な利益を得ながら国家を運営していた、絶対王政時代です。

そんなポルトガルで、1755年11月1日、朝9時40分ごろにリスボンを中心とした、推定マグニチュード8.5~9.0の大地震及び推定6~15mほどの津波が発生しました。これにより、リスボンの町は壊滅、死者は5万人~6万人とされています。(当時のリスボンの人口は27万人、死者数の多さ。。。)

国王から絶大な信頼を得ていて様々な国策を取り仕切る権力を持っていたポンバル伯爵は、地震後に速やかに遺体を処理した上で、町の再建のためにリスボン市民を総動員し、一気に立て直しました。その時に実行された区画整備が、今のリスボンの町の基礎となっています。「ポンバルの下町(Baixa Pombalina)」という名前が残っているほどです。また家の建築に際しては耐震をチェックするようになり、この建築様式をポンバルスタイル(Estilo Pombalino)と言われています。

ポルトガルの歴史やリスボンの町を学ぶ中で、ポンバル伯爵のすごさを実感します。ご参考までにリスボン大地震に関するWikiのURLを。

地震のイメージがないヨーロッパですが、実のところイベリア半島の地震は多く発生しているとのこと。とある方のブログを拝見すると、スペインの国土地理院発表の1373年から公式観測された地震の数は、10万件以上になるようです。こんなに多いとは。。。

日本と比較すると頻度は少ないのかもしれませんが、これだけ地震があったのならさぞかし災害対策しているのかなと思うと、そこはあんまりないような。。。地震が起きたときの備えがあるかと聞かれれば、僕の周りの人を見る限り、すべての人が備えをしていなさそう。今日も家庭教師の先生に尋ねたところ、全くないとのことでした。

なので、僕はちょっと怖いです。。。
リスボンの町はとってもきれいで、過ごしやすくて、大好きだけど、この災害の意識の低さはちょっと怖い。また建物の作り方は違うといえども、とっても古い家・マンションが多いので、大きな地震が起きたら倒壊せずに残るのかなと不安になります。。。

一方で、この不安は、日本人だからこそ持てたものだと思うので、ヨーロッパに来たから大丈夫だーと思わずに、しっかりと持ち続け、いざとなったらしっかり身の安全を守れるようにしたいと思います。

「日本は災害大国」。外国人からすると、日本はとっても魅力的に見えるようですが、良い点は「その通り!」と言いつつ、いつも災害大国であることを付け足して話してます。日本人にとって当たり前の備えが、外国人からすると当たり前ではないこともあると思うので、災害教育は世界にもっと発信してもいいのではないかなと思います。アニメと同じく、災害への備え、災害時の行動、災害後のオペレーションを知見化したら役立つ国がたくさんありそう。
恐らくすでに取り組まれている方はたくさんいるのだと思うのですが、一般家庭にまで届いているかというと。。。いや難しいですよね、頻度が日本と違うので、外国人に自分事としてとらえてもらうのは本当に難しい。。。

今自分にできることは、周りにいる人に、東日本大震災をはじめとする大震災を経験した方が発信する情報をもとに、地震や津波の恐ろしさ・災害への備えの重要性・命を守る行動の大切さを伝えていくことかなと思っています。

あ、あとLINEやYahooの検索寄付も忘れずに実施。


「微力だけれども無力ではない」

というキーワードを思い出しました。その言葉が発信されていたのも2012年なのかと思うと、ほんとに多くの時間が経過したんだなと思います。


震災で亡くなられた方のご冥福を心からお祈り申し上げます。
帰国したら、大学時代に毎年通っていた大槌町をはじめとして、また東北に通いたいなと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?