アメリカの農業における、外国人労働者という強み

今夏はテキサス州オースティン近辺にある、とある有機野菜の生産・販売会社で農作業の手伝いをさせてもらってます。

農場の面積は200エーカー(約80ha)で、作付面積はその半分くらいの広大な土地。日々のオペレーションは、移植、除草、収穫などの野外作業をラテンアメリカ系の労働者が担い、グリーンハウスや倉庫周りの作業を社員やボランティアが担当する形。

俺は週に2〜3回来て、苗床の準備や播種、苗の生育管理をお手伝い。たまには収穫した野菜の洗浄やパッキング作業も。苗床に使う石灰、コンポスト、肥料など総量7~800kg分の材料を全て人力で混ぜたり、セルが8x16個あるトレイにフェンネルを一粒ずつ手で入れ、それを合計500トレイ分捌くなど、作業はけっこうきつい(※一人で全部やってるわけではない)。

ただしきついとは言っても、働く代わりに、食べきれないくらいの量の野菜をもらえるので、けっこう嬉しい。中には、ビーツや見慣れないカボチャの親戚など、日本人としてあまり馴染みのない野菜も入ってたりしているので、もらった野菜を眺めるのも料理をするのも楽しい笑

それで、作業を手伝っていた先日、休憩がてら暑い日差しの下で働く労働者たちを眺めてて、なぜアメリカの農業が強いのか考えた。(下の写真に写ってるのは一人だけですが笑)

アメリカは農地を大々的に集約し作業を機械化しやすい地理的条件に恵まれているだけでなく、研究も進んでおり農機具や灌漑・排水などの技術力も高い。しかしいくら農業プロセスの効率化を進めても、屋外で農業をやる以上は人の力を頼らざるを得ない面もまだまだ大きい。

そんな状況で労働コストを抑えるためには低賃金でも働いてくれる外国人労働者を雇うのが普通だが、アメリカの場合、外国人に作業を任せるコストが、日本やヨーロッパに比べて圧倒的に低いのではないか。

アメリカの農業で小作人として働く労働者は基本的に皆メキシコ以南から来る人たち。彼らは出身国が違っていてもスペイン語を話し、同じような文化を共有している。つまり、アメリカでは外国人労働者を使う際、雇う側がスペイン語を話せるか雇われる側の誰かが英語を話せるだけで、意思疎通はだいぶ楽になる。しかも英語とスペイン語は言語的にも似通ってるから覚えるのも(比較的)難しくない。だから農業の現場でも経営者と雇われた労働者の間でコミュニケーションに困ることは言語・文化的な観点からはあまりなく、その結果、農場の規模が大きくても運営しやすいのではないか。

アメリカの農業の現場では英語とスペイン語のみが飛び交うのに対して、日本が確保する外国人労働者は中国人、ベトナム人、フィリピン人など多様。母国語がそれぞれ違うだけでなく、日本語とも根本的に異質なので、日本人側、外国人側の双方にとって相手の言語を習得するハードルは高い。

受け入れる側の日本人としては外国人労働者に日本語を覚えてもらうのがベストだけども、来日する労働者たちは異質な言語を習得する必要があるだけでなく、文化や気候の違いも乗り越えて農作業に従事するわけで、それは肉体的にもメンタル的にもかなり厳しい。よしんば外国人労働者が日本語を話せても、受け入れた人の出身国ごとにコミュニケーションの在り方が微妙に違ってくれば、現場で不手際や事故が生じるなど、苦労することも実のところ多々あるのではないだろうか。

西欧の農業事情には詳しくないので妄想でしかモノが言えませんが、外国人労働者(東欧、北アフリカ系など)を雇う上で、母国語や文化がバラバラな代わりに人の行き来も古来から盛んで相互理解もそれなりに蓄積されている気がするので、発生するコストの大きさは米国と日本の間ぐらいなんじゃないでしょうか。

以上、最近ジャレッド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」を読んだ上でふと思ったことでした。

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