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言葉を紡ぐたびに、人はやさしくなっていく
文章を書くのは、むずかしい。
ふしぎなもので、
電話で世間話をしたり、メールで返事をしたりするのはすぐにできるのに、 自分の考えをまとめたり、感じていることを吐露したりするのは、なぜだかすごく難しい。
これは、ボクだけの悩みじゃないそうで。
「おれは、自分の気持ちを全部、淀みなく、悩まずスラスラ話せるぞ」なんて人は、きっといないのだと思います。
(もしいるなら、そういう人を天才と呼ぶのでしょう)
とにかく、文章を書くとき、
自分の考えとか、感情とかと、真正面から、まっすぐにむきあわなければいけない。
むきあって、むきあって、「う〜ん」と悩んで、
少しずつ、少しずつ、言葉をつむぎだしていく。
ときにそれは快感であったり、つらい体験であったりするのです。
そこで感じることはさまざまだけど、
ひとつだけ、ぜったいに言えることがあります。
それは、あたまで考えているときはわからなかったのに、
文字を書いて、はじめて自分の言いたいことがわかることがある、ということ。
言葉をとにかくはきだすのだから、
チグハグな単語がならぶと思いきや、
いつの間にか、意味と価値を帯びたひとかたまたりのベクトル量が生まれ、だんだんと、あるべき姿に収斂していく。
「はきだす」作業をつづけていると、自分の意思で書いていたはずなのに、それまでになかった視点を見つけたり、あらたな発見をしたりすることがあるのです。
「今気づいたけど、私って、こんなこと考えていたんだ」みたいな。
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このことから、書くって、自分を知る作業と言えないだろうか。
そして、自分を知るということは、
自分を受け入れる作業でもあると、言えないだろうか。
その過程でであうのは、つよい自分ばかりじゃない。
よわい自分にであうことも、たくさんある。
しかし、自らの意思で、思いを吐露し、言葉を紡ぐことは、
自らを知り、受け入れ、癒すことにつながっていく。
だから、文章を書くことで、人はやさしくなっていく……と、思うのです。
社会人は仕事で、学生は学校でしか文章を書かないという人は多いと思うけど、たまには自分の思いを、おもいっきり文字にしてもいいのかもしれない。
それは一見、とても非効率で、無意味な作業のように思える。
だけど、はきだされた言葉たちは、まわりまわって、
自分を癒し、自分を優しい存在にしてくれる、と思うのです。
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