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分け合うこと

分け合うことは、豊かなこと
ひもじいのとは、違う。

こどもがおかわりできないなんて、
ひもじい思いをさせるなら、自分はいらないという人がいる

その気持ち自体は、尊いのかもしれない
でも、そんなふうに与えられても、誰かと分け合う豊かな心は育たない気がする

みんなで食べよう
一緒においしいねという。
代わりにもらっても
その誰かとはおいしさが共有できない

遠慮、でもなく
いじきたない、でもなく
ただ、みんなで食べる幸せ

自分の分を差し出して
その後死んでしまったら
もらった方は
素直にありがとうって
思えるのかな

極寒の中
子どもを守って死んだ親
2人とも死ぬより
子どもに命を繋ぐほうが
親がそう考えたとしたら
でも、生き残った子は
どうなのだろう
自分を守って死んだ
自分には親を助けられなかった
ずっとその罪悪感を
抱いて生きることにならないか

命は数じゃない

ただ、共に生きることを、ギリギリまで諦めなかった。けれど、力尽きた。
それならどうだろう?
人を思う豊かな心は
その子を温め、命をつないでいってくれるのじゃないか

アイスクリームを一緒に食べて欲しい
私が2つとも買うから
作品展にみんなで行った時
手が使えないキョウコさんは言った

付き添いでいた若い女の子は、
いえいえ、私はいいです、お手伝いするんで、キョウコさん食べてください。
と、「いつもどおり」返した。
キョウコさんは、少しさみしそうな顔をした。

 ああ、そうか、キョウコさん、一緒に食べたいんだな。

 めったにない、施設からの外出。
 キョウコさんは、ご家族が近くにいないこと、普段話が合うのは職員だけという環境から、たくさんの人と、作品と、暑い日差しのもとへ、やってきた。
 そこにアイスクリーム屋さん。

 「一緒に食べたいの」
 確かキョウコさんは言ったと思う。
 おごってあげたいのじゃなく、一緒にこの場所で食べたいのだと、付き添いの女の子は気づいたのか、気づかなかったのか。
 チリチリと寂しい感情が底にへばりついてるから、結局キョウコさんは1人でアイスを食べたのかもしれない。

 もう20年も前のことだ。
 ただ、その時か、施設に帰ってきてからか、付き添いの女の子に、言った気がする。
 ああいう時は、一緒に食べて良いんだよ。
 アイスじゃなく、誰かと一緒に、がしたかったみたいだから。

 付き添いをしていた女の子は、そっかー、と悔しそうな顔をしていた気もするし、そーなんすねーとキョトン顔だったかもしれない。

食べ物、雰囲気、今の気持ち
 何かを分け合うことは、
私にとって、豊かなこと。

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