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谷川俊太郎氏絶賛の小説『ハリネズミの願い』

 「親愛なるどうぶつたちへ。ぼくの家に遊びに来るよう、キミたちみんなをちみんなを招待します。」
 ひとりぼっちのハリネズミが手紙を書いた。そして付け加えた。
 「でも、誰も来なくても大丈夫です。」

 ハリネズミは誰かに訪ねてきてほしい。でも本当は、会うのが怖い。そんなふうに考えが行ったり来たりするのが、トーン・テレヘンの『ハリネズミの願い』だ。テレヘンは、動物を主人公とした話を50冊以上書きつづけ、オランダでもっとも敬愛されている作家だ。何年か前までは医師が本業でだったが、もうすぐ82歳のいまも自転車でアムステルダムの街を走っている。

  ここからは多少ネタバレの要素があるが、お許しいただきたい。

 このハリネズミは自分の「ハリ」にコンプレックスを持ち、それが不安の種になっている。自分は変な動物で、恐怖をかきたてて孤独で自信がない。
自分にはハリがあるけど、それでも誰かにあそびに来てほしい。でもやっぱりだれにも来てほしくない。そして、他の動物に訪問してもらった場面を想像しては、訪問によって起きるかもしれないハプニングや悲劇を考えてしまう。不安の原因である現実は、何も変化するはずはないので、不安が頭の中でぐるぐる回り続け、悩み続るだけなのだ。

 ハリネズミは自分の尖ったハリがみんなに嫌われるのではないかとハリにコンプレックスを抱く一方、実はハリこそが自分という存在の根源であり誇りでもあると感じている。それがアイデンティティである。コンプレックスとにアイデンティティは表裏一体のものである。しかしながら、ハリネズミにしてみれば、他の動物もそのハリに注目するだろうと想像してしまうことで、不安の先取りをしてしまうのである。ハリが比喩するものは、誰かを傷つける自分の性格なのか、あるいは、誰からも傷つけられたくないという自己防衛の姿勢なのか。こうした不安や孤独は、子どもから大人に近づく過程で誰にでもあることだ。

 もし誰かが不安の先取りをして悩み、苦しみ続けているとしたら、現実をほんのちょっとだけ変化させる行動をしてみるのが良いのではないだろうか。現実を動かす(実際に行動する)ことで、意外にあっさりと結果が示されるものだ。行動の結果によって不安の種は解消して、悩みは解決するかもしれない。

 谷川俊太郎さんが『ハリネズミの願い』の刊行された際、トーン・テヘレン氏のことを、「大笑いしてるうちにぎくっとして、突然泣きたくなる21世紀のイソップ」と絶賛されたそうだ。

 谷川俊太郎さんが絶賛の『ハリネズミの願い』…ぜひご一読されることをお薦めする。

 

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