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本づくりとデザインの話。

がおー。はらしょーです。今回は、新刊である「絶対領域」のカバーデザインにまつわる話を書いておこうと思う。どういう考え方でカバーデザインを作ったのか?みたいな裏話だと思って読んでもらえたらいい。

こういう話は、まああんまし表ではされないというか語られないと思うんだけど世の中の商品っていうのは色んな人たちや、色んな思惑が交錯してできている側面がある。

ウェブの世界だと完全に自己完結でできちゃうことが多いわけだけど、旧来的な物世界というのは一人で完結できることのほうが少ない。

例えばこのnoteとかもそうだけど、ウェブは文字をカタカタ入力すればあとは「投稿」ボタンを押すだけで適当にいい感じのテンプレートに収まって、それなりの仕立てで出力される。ザッツ・オールで終わりだ。

ものづくりにおける、作り手側の話としてサイドストーリー的にこの本を楽しんでもらえたらいいなと思って、ちょっと書いてみようと思います。

イメージの着想

まず今回の本の場合、8年前に書いた既刊本の「新装版」であるということが大きな前提としてあった。

「装いを新たにする」=新装ですから、カバーデザインや帯回りなどを一新するのが前提です。

新装版の版元である青志社の阿蘇品社長から

「原田さん、『不純な動機ではじめよう』の新装版をウチでやらせてくれないか?」

というご相談を頂いたとき、私の中で一つだけ条件をつけさせてもらった。それは

デザイナーを指名させてほしい

ということだった。

生意気ではあるんだけど、これは割と譲れなくて、自分の中で最高だなと思えるデザイナーさんと今回は仕事したいという思いがあった。

その打ち合わせ(初対面)のときの写真が残っていたのでペタ。

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*青志社の社長・阿蘇品さんと既刊本を挟んで「どうしていこうか」と相談しているの図です。

中身はどれだけ書き直ししたとしても、新装版というのは既刊本である原著(この場合は「不純な動機ではじめよう」)がベースになる。

実際にページ数は256ページだったものから336ページへと大増強をしたし、章によっては丸ごと内容を入れ替えた部分もある。新装版というには中身も相当いじったのだけど、あくまでもこれは「新装版」だ。

よって、一番大きく変えられる部分というのは、カバーデザイン。

そこ次第で本の印象というのは大きく変わるから、あえてこの時代に8年前の本を蘇らせるのだとしたら「この時代の空気感」をしっかりと纏った装いにしたいという気持ちがあった。

正直に言うと、原著である「不純な動機ではじめよう」のカバーデザインは個人的にはあまり気に入ってなかった部分がある。手掛けてくれたデザイナーさんと、ディレクションをしてくれた長倉顕太さん(当時の担当編集者)には申し訳ないんだけど、自分的なデザイン感覚からするとちょっとこれじゃない感が正直に言えばあった。

まあ、もっとも書籍のカバーデザインというのは著者の職掌ではない。

基本的に「編集者におまかせ」な部分なのである。
これが業界の相場というか、基本的な前提だ。

著者はそこに99%口を出さないし、だいたいにおいて出せない。最もたいがいの著者はデザインについての知識も、言語も技能も持ち合わせていないからなんとも言いようがないし、手のだしようがない世界であるというのも一つの理由かもしれない。

私が知る限り「著者自装」で自らの本のカバーデザインを自らが手掛けた著者というのは佐藤可士和さんくらいだ。実際には他にもいるのかもしれないが、申し訳ないが私が知る限りではこれしかない。

可士和さんの場合は、泣く子も黙る日本きってのトップデザイナーだし、プロダクトデザインの分野では一番の売れっ子といってもいい。装丁は専門外ではあると思うが、それでもご自身がデザインをすることそれ自体が価値な人だから、まあこれは当然といえば当然だろう。

話を戻すが、「カバーデザイン」という領域は基本的に著者の領域ではなく、編集者がデザイナーとタッグを組んで行う工程である。

本の売れ行きというのは、書店店頭においてはカバーデザイン(装丁と帯デザイン+コピー)でほぼ決まる。だから、編集者にとってはある意味で「一番の力の入れどころ」だったりもする。つまり、「重要な仕事」なのだ。

中身以上にここに力をかける編集者も多い。

今回は、新装版をつくるということにあたって、大前提としてこの重要なパートであるブックカバーデザインに関して、お願いをした。

1.デザイナーを原田に指名させてほしい
2.ディレクションも原田にやらせてほしい

1だけならまだ「ありえる」が、2についてはあまり聞いたことがない。少なくとも私の周りでカバーデザインのディレクションを自らでやったという話は聞いたことがない。

ちょっと無理難題かもしれないなと思ったが、青志社の阿蘇品さんは一つ返事で「分かりました。そうしましょう。」とここの権限を委ねてくれた。

「原田さんなりのお考えと、捉えている時代感というものがあると思います。それを全面的に表現なさったら良い。そこに関しては基本的に原田さん主導でやっていただいて構いませんよ。」と。

器だなと思った。今回一緒に仕事をした阿蘇品さんには、こういうところがある。もちろん全ての工程において責任をおう立場であるから「適当」とか「ぶん投げ」とかそういうことではない。そもそも出版社の社長であるし、担当編集者でもあるわけなので、人一倍数字に関してもシビアな部分はあるだろう。そのうえで、今回のこの案件に関しては自分がみそめた原田翔太という著者にこの大事な部分をやらせてもいいと大舵を切ってくれたわけだ。

「で、誰にデザインを頼みたいの?」

この問いに対してその場で名前を即答したのだが、実はこの打ち合わせに臨むにあたって自分の中では割と周到な事前リサーチをしていて、誰に頼みたいかは決めていたのだった。そこらへんの経緯も少し書いておこう。

デザインオタクなのと装丁家という人種の仕事を見るのが好きな性分なので、すでに色々有名なブックデザイナーさんたちの名前は存じていたが、今回は前提を改めてリセットして先入観なしに、「今の時代感」を持っているデザイナーは誰だろう?という問いを立ててみた。

デザインというのは難しくて、「時代感」というものがすごくある分野だと思う。似た分野だと「女性のお化粧」なんかはすごく性質が近くて、10年前の芸能人の写真を見てみるととんでもなく古臭く見えたりする。当然芸能人にメイクを施すくらいだから、その時代におけるトップクラスのヘアメイクが、その時代の中で最も評価される表現を追求して行っているにも関わらず、だ。

デザインもそうで、やはり30年前の本を手にとって見ると「昔の本だな」という感じがする。

つい最近のことにように思える10年前くらいの本であってもそうだ。

売れ筋になればなるほど、纏っているオーラや、その時代に「とがり」をつくっていた要素みたいなものが経年によって「手垢がついた」感じになっていたり、「なんとなく昔ぽさ」が出たりする。

飛ぶ鳥を落とすような勢いのあったデザイナーが、10年後もトップデザイナーであり続けることのほうが難しい世界だったりする。

Webデザインの世界もそれは同じで、時代を反映したデザインをしてひと時代を築いた人ほど次の時代のターンオーバーで淘汰されがちだ。

だから、デザインというものは物凄く「水もの」なところがあって、その場その瞬間、或いは「その時代」の産物であるという側面が大きい。

新装版にするのだから8年前と同じでは、今の時代にはまあ刺さらない。

ブックカバーをやり直せる機会があるわけだから、せっかくなら「2021年の今」に生まれ変わらせるための魔法をかけたい。

旬な時代感をまといつつ、その中に普遍性も宿していなければいけない。

デザインとはかくあるべきと少なくとも私はそう考えている。

それを実現しうる方として、どなたが適任だろうか?

あの手この手で、様々なブックカバーを見てまわった。

トサカデザインの戸倉さんに頼みたいと思った理由

その中で、「この方に頼みたい」と思ったのが、トサカデザインの戸倉巌さんだ。

戸倉さんは、有名なところで言えばクリス・アンダーソンの「FREE」、前田裕二さんの「メモの魔力」や「人生の勝算」、ホリエモンの「多動力」「ハッタリの流儀」、落合陽一「日本再興戦略」、見城徹「読書という荒野」、田中修治「破天荒フェニックス」、佐藤航陽「お金2.0」、塩田元規「ハートドリブン」、藤田田「勝てば官軍」(新装版)、ジェイ・エイブラハム「ハイパワー・マーケティング」(新装版)、明石ガクト「動画2.0」、尾原和啓「モチベーション革命」など、名だたるヒット作を手掛けてこられたデザイナーさんだ。

「FREE」なんかはまさに自分が最も本を書いていた時代(00年代後半)に時代を席巻したし、「メモの魔力」だとか「日本再興戦略」だとかも物凄い勢いでSNSでも話題になっていた。「ハイパワー・マーケティング」や「勝てば官軍」なんかはずいぶん前の本なので準古典といってもいいポジションの書籍であるが、これらの書籍もかねてから個人的な愛読書でもあった。

まあこのクラスの本を手掛けているデザイナーさんなら、「こういう感じで」といえば再現できる技量はみなさんお持ちではある。

その中で、なぜ戸倉さんにご依頼させていただいたか?

それは「写真のあしらいが物凄く上手い」と感じたからだ。他にも理由は色々あるのだが、しいて1つ理由を挙げるとすればこの点が大きい。

大胆なフォトワークを、大胆に扱うという点において戸倉さん以上に絵作りが上手だと思うデザイナーはいなかった。

今回の書籍では、著者である私自身の肖像をバーンと全面に出した形を取りたかった。

自分の顔を出すからには、インパクトがあり、他ではまず見たことのないようなタッチのカバーデザインにしたかった。

正直に言えば、私は自分自身の名前と顔を表に出して売っているタイプであるが、自分の顔を本に掲載したいという気持ちは正直言ってあまりない。本は静謐なほうが格好いいと思っているくらいには、いわゆる本好きな類の人間ではある。笑

だが、このような選択をしたのは、まず第一に「不純な動機ではじめよう」を作ったときに当時の担当編集者であった長倉さんの一言と当時下した決断が大きい。

「これからは男の著者でも顔を出していく流れになると思う。だから原田さんの顔写真を全面にバーンと打ち出す形のデザインにしようと思う。顔は男でも出したほうが絶対いい。」

そんな流れで、原著のデザインは当時メジャーデビューと時期が重なっていたため自らのアー写を使うことにした。

そんな経緯もあったため、新装版である「絶対領域」も、その原著である「不純な動機ではじめよう」のDNAを引き継ぐ形の表現でいきたいと考えたわけだ。

もう1つの理由としては、この本は実質的に私の過去の本の中で最も「自伝」的要素も大きい本だということがある。この本は私が20代の最後に締めくくり的なタイミングで執筆した本だった。「やがて自分も30代になるし、40代になる。20代の今しか書けないことを書き切ろう」そのように思って、自らの半生とその中で得てきたこと、培ってきたことを全てぶつけるつもりで書いた。言うなれば「20代が紡いだ永遠の20代のためのアンセム」的な側面がある。

自分の半生の生き身写し的に、物凄く無遠慮に自分を叩きつけるようにして書いた本なので、やはりこれは自我云々を脇においたとして、その本の著者である自分自身の肖像をドンと鎮座させるのが最もこの本にとって相応しいのだろうと考えた。

そのような理由から、この本は著者である私(原田翔太)自らの肖像を中心的な素材として扱うことにした。

その写真素材の扱いに、最も長けていると感じたのが戸倉巌さんというわけだ。

・・・が長くなってきたが、割とこてこて書いてしまったのでこの調子でこてこて書き続けてみようと思う。

そんなこんなで、戸倉さんにアポイントメントを取った。戸倉さんの拠点がある南青山の事務所へ趣き、打ち合わせをさせていただいた。自分が考えているイメージや、本のデザインの中心的な考え方についてお話させていただくと、「なるほど。よく分かります。了解しましたその方向で行きましょう!」とすんなり話がまとまった。

そのときの写真が残っていたのでペタ。

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*当時の段階の原稿を持って、戸倉さんの事務所で装丁の打ち合わせをしているの図。既刊本を提示しつつ新装するときどのようなイメージにしたいかというのを共有させてもらった。

デザイナーさんというのは、分野を問わず割と一般的には口下手だったり、愛想が悪いタイプも少なくないのだがとても感じがよく、こちらの伝えようとしていることを汲み取る姿勢が印象的だった。

同時に「そういう感じでしたら、一緒にやっているフォトグラファーがいるのでその方をご紹介しましょうか?」とその場でお申し出頂いた。

そうしてご紹介頂いたのが今回のカバー写真を撮影くださった小田駿一さんだった。(小田さんについては後でご紹介させていただくが、当代一といっていい技量ととんでもなく面白い経歴を持ったフォトグラファーさんで、お願いできて本当によかったと思っている。)

今回のカバーデザインのキー要素は「色」について

今回のデザインでキーポイントだと考えたのがカバーの「色」からくる印象だ。色に時代感をもたせたかったというのがある。

個人的には白背景に黒文字を控えめに配したようなカバーデザインの本が好きだ。押しが強くなくて知的で、シュッとしていてカッコいいなと思う。ただそういうカバーは、あまり目立たない。

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*例えばこういうやつ

特に私の著書のように「絶対領域」という、この言葉だけではなんとも理解が追いつかないようなタイトリングの場合、デザインを間引いた感じにしてしまうと訴求のしようがない。

振り切って、「派手」方向へぐいっとアクセルを踏みたいなと思った。

色を派手にというと、赤とか、青とか、強い色をバンと使うというのは一つの手だが、みんな考えることは同じだ。

フォレスト出版の「神田ピンク本」なんかは有名だけど、もう正直単色での派手色バリエーションというのもやり尽くされた感はある。

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*こういうやつね

何かこう、既視感がなくて、でも王道感も感じさせるいい按配はどこだろう?という問いを頭の片隅に起きながら思案した。

結果、今書いている別の本でテーマにしている「ミレニアル世代」というものが頭にキーワードとして浮かんだ。

ミレニアルの象徴のようなカラーリング、これを書籍に使ったら面白いのではないか?と。

「ミレニアルカラー」という言葉は、たぶん存在しない。でも、「ミレニアル感あるよねえ」というアフォーダンスはある。その感覚というものを自らの中に定義したとき、思い浮かんだのは「SNS的配色」だった。

「映え」といえばInstagram。SNS的というのは、いうなれば視覚的訴求の象徴であるInstagram的な配色感だろうなという結論に至ったわけだ。

みなさんも、Instagramときいたとき何が浮かぶだろうか?

Instagramそれ自体はプラットフォームにしか過ぎないが、「インスタ的」だなと私が思うのは、エンヴィッシュなバイオレット〜マゼンタピンクのグラデーションだ。

「パリピ」的であり、文字通り「インスタ」のテーマカラー的な配色。

近年LPでもよく見かけるこのグラーデーションに名前をつけるとすれば、「ミレニアルグラデーション」という名前が相応しいような気がした。あるのかないのかしらないけど、とにかく「あのインスタぽいグラデーションをモチーフにしよう」という着想に至ったわけだ。

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*こういうやつね

背景合成をして、ポスプロでがちゃがちゃいじくり倒して「ばえ感」を出すのでできるかもしれないが、できればこの感覚を理解してライティングベースで「撮り」の段階から追い込める方とやりたいと思っていたら、戸倉さんがちょうど良い方がいるとご紹介をくださった。

写真を撮影してくれた小田さんの話

それが今回撮影をしてくださった小田駿一さんだ。

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*小田さんのウェブサイト

小田さんは、麻布高校→早稲田大学政治経済学部というこれだけ見れば「ただのエリート」街道まっしぐらな経歴。早稲田の政治経済学部といえば私学の偏差値序列の最上位に位置する最難関学部である。卒業生は官僚や金融、一流企業へと進むのがお決まりコースな早稲田の誇るトップエリート学部である。→詳しくは小田さんのプロフィールページでどうぞ(物凄いクライアントリストが名を連ねててビビります…汗)

そんな優秀な学業経歴を持ちながら、小田さんはロンドンをプラプラしていたのだという。そこからストリートフォトを撮ったりしているうちに、フリーペーパーをロンドンにいたクリエイターたちと作り、その活動実績を元に日本でもプロ・フォトグラファーとしての活動を始めたのだという。

ずいぶんと「はぐれもの」だと思う。

今回の本にぴったりな方だなとも思った。

なんせ「絶対領域」であるから、この人にしかできない、他の人とは全く違うバックボーンから生み出される表現で闘っている人なわけだ。

通常、フォトグラファーというのは、特に広告・商業写真畑で活動をする場合、著名なフォトグラファーのアシスタントについて働きながら師匠の技を学んだり、大手の有名なフォトスタジオで勤務したりしつつキャリアを作っていく人が大半だ。

その点でも、小田さんは「はぐれもの」で「非属」なところがある。

偶然にも、小田さんを紹介すると言われた当日に別の会合でForbesの元編集者と知り合ったのだが、その人と話していたらどうやらForbesの表紙の写真も小田さんが手がけられているのだということを会話の中で知った。(Forbesクラスのハイクラス雑誌の表紙写真を手掛けるというのは同じくトップクラスのフォトグラファーである証でもある)同日に小田さんというフォトグラファーの存在を二人からたまたま聞いたというのは、偶然にしてはできすぎているが、こういうふうに「奇遇な出逢い」が重なるときというのは必然が呼んだ知らせだと理解するようにしている。

この人と仕事をするのだということに何某かの意味を感じずにはいられなかった。

そうして、出来上がったのが、この1枚の写真だ。

原田翔太_絶対領域_印刷データ(肌色マイナス強+背景)-mini

スタジオでは、ライティングを微調整したりアングルやポージングを変えたりしてかれこれ500枚くらい撮影したと思う。

ライティングがシビアであったこと、また使用した機材もハッセル・ブラッドの中判カメラを使っていたので連射でバババーとシャッターを切るというよりは1枚1枚丁寧にやっていく感じになる。(中版カメラというのは連射で撮るようなスタイルのカメラではない)

細かい技術的解説は撮影者当人ではないので割愛するが、このグラデーションの色を出す上で、また顔にもライトが飽和してかかっているような表現にするためには様々な工夫が必要だった。

実はこれ、単に背景にカラーライトを置いているだけではなく、とても精緻な光のコントロールをした上で、スローシャッターにして背景の光の回り込みを制御しなければできない芸当。

撮影の現場の記録写真があったのでペタ。

画像8

*こんな具合のセッティング、撮影環境でやっていました。

私自身も「人物写真」を専門とするフォトグラファーの身だが、このアプローチは正直自分では扱ったことがないもので、たいそう感心して設定やオペレーションを見させてもらった。そういう意味でも大変に勉強になった。

写真を選んでラフデザインを組んだ

素材はその500枚のうちから、選ぶことになった。

スクリーンショット 2021-05-25 22.27.46

*類似カットがたくさんある中から選抜して使えそうな画像を並べた図

いろいろなポージングを試したのだが、結果的にこれまでSNSでプロフィールアイコンとして用いてきた写真に近いニュアンスの1枚を採用することにした。

少し下から煽るように撮影し、不敵な笑みをうっすら浮かべている感じ。

ドヤ感も色々あって、あまりに「オラオラ」した感じが強すぎてもダメ出し、あまりに無表情でもダメ、見栄え自体は「かっこいい」ものでもあまりに格好つけすぎてもスカした感じでいけすかない。

写真のセレクトというのは、結局この時点からコミュニケーションデザインの一部なのだ。

絶対領域

という四文字を表象するに相応しいビジュアルイメージを手繰り寄せるようにセレクトした。

その写真をレタッチに回し、仕上げてもらった。当然だが広告写真なのでお化粧直しは多少しているw 美肌ですねとよく褒められはするのだがさすがにここまでテロテロではないことを正直に白状しておく。まあ、そういうものだw

恥ずかしいけど、レタッチ指示をどんな感じで出したかという資料が残っていたので掲載しておく。生度バリバリだw

レタッチ指示

それを待っている時間で、カバーのコピー周りを考え、使う予定である写真を組み込み、ラフスケッチを描いてみた。

デザイナーの仕事の範疇ではあるのだが、コピーを指定するのはこちらの仕事だ。通常は、さきほども書いたが編集者がやる部分ではある。ただ今回は原田主導でやらせてもらえることになっていたのでこの部分も私がやることにした。そもそもコピーライターでもあるし、デザインも自分で行う人間なので、言葉とデザインは自分の中では一対になっていて、単独で成立しえない部分があるため僭越ながらラフデザインと呼べる段階まで完成度をあげた形で自分ブレストをするのが原田のやり方だったりするため、このようなやり方を採用した。

送ったやつが残っていたのでペタッと掲載。

表(提出用サンプル)

きっとデザインを担当された戸倉さんは、ここまで確定感があるものが上がってきて嫌な気分にもなるかもしれないなとも思いつつ、でもまあこの写真素材だとしたら配置はこうだな、みたいに思考プロセスをたどりながら自分なりに組み立ててみた。

ラフスケッチで割といい感じにまとまったので、差し出がましくでしゃばりなことは承知でデザイナーの戸倉さんに原田が組み上げた情報を送ってみた。

もちろん、本意で「これにしてください」という確定的な共有をしたいわけではない。イメージの大きな着地感というところを共有したかったというのがある。逆に言えば、あまりこれにひっぱられすぎて戸倉さんらしさが出なかったら元も子もない。どのように戸倉さんが捉え考えたとしても、彼の仕事をそのままにしてほしかった。

コミュニケーションとして、今回の装丁で狙いたい要素を共有するという意味においてラフデザインを組み上げてみたというところだ。

ポイントとしては、なんせタイトルが「絶対領域」という四文字だ。

この4文字をどう見せるかがポイントになる。どっちのほうがスッと読めるか、印象に残るか?などいろいろな視点から検討を重ねる。

例えば、

絶対
領域


と文字が横に並んでいるのと

領絶
域対

と縦に並べるのとではちょっと印象が違うよね。横から読むほうがウェブの時代的にはスッと読める。だが、「スッと読める」ことだけが大事ではなくて、ある意味「ん?なんだ?」と「ひっかかり」があることもこういうもののデザインでは大事だったりする。個人的にはパッと見た時に一瞬目が止まる「縦並び」のほうを採用したいなと思った。

日本語の本来の表記である縦に感じを配置したときの美しさと、「絶対領域」という文字通りのバーンとした印象がこちらのほうがマッチするな、など。

このように随所に渡っていろいろな角度から検討しながらこのラフを作り上げた。

そして出来上がった本番カバーデザイン!

結果に、割と踏襲する形でデザインに落とし込んでくださった。

私はA1明朝というフォントが好きで、特に日本語の短文表現はこのフォントにするとすごくニュアンスや情緒が出ていい感じになると思っていて、今回もラフではこのフォントで組んでみたのだが、自分が選んだ書体ではなく、ゴシック基調でまとめてくださった。確かにこのほうが言葉が前に出るなと上がってきたものを見て思った。

帯周りも言葉をかなり詰め込む方針にした。

「絶対領域」というタイトルが、ぼーんと大きく鳴るようなタイプの言葉なので、帯でこのタイトルを補完するような情報で補うというスタイルである。

かなり言葉を盛々にしたが、うまくまとめてくださった。

自分ではこうするな、というところが戸倉さんという一流のデザイナーさんの捉える感覚だとこうなるのか!というのは大変に勉強になった。

かくして、カバーが出来上がった。

書影

狙いたかった雰囲気そのままに、割と「やり切れたな」という所感がある。

これまでカバーデザインは編集者にほぼ任せて作ってもらっていたが、初めて自分が主体的にこれをディレクションする立場でやらせてもらえたのが今回の作品だ。

自己満足も多いにあるが(笑)、控えめに見ても「どこかで見た本」ではないし、相応に合理的な視点から設計もして、割となかなか見ないカバーデザインに仕上がったのではないかと思っている。

コピーも含めて自分の手でカバーデザインを仕上げられたのはとても嬉しい。もちろんその中ではそもそもそれを許可してくれた青志社の阿蘇品社長と、デザイナーの戸倉さん、フォトグラファーの小田さん、お会いしていないけどレタッチを担当してくれた小田さんのお仲間のレタッチャーさん、撮影現場でヘアメイクを担当してくれたmawakiさんなど、各分野のエキスパート・クリエイターたちのおかげによるところが大きい。

改めて自分の手でこの1つのクリエイションを仕切らせてもらったことはとんでもなく大きな財産的経験にもなった。

さいごに

まだこの本は発売していないので、実際どのような展開になるかは蓋を開けてみないと分からない。思っていたよりも売れるかもしれないし、完全にはずして寒いことになるかもわからない。(それは怖いので嫌だけどw)

ただ1つ言えることは、ブックカバー1つとってもこれだけの織り成しの課程がある中に生み出されているということだ。

言葉の集合体である「本」という情報媒体をくるむのがブックカバー。

本の魂であり、「顔」となる装丁という情報をどのように考え、設計し、実装していくかという課程は、まさしく統合的コミュニケーションデザインそのもの。

SNSが共通プラットフォームになり、あまり個別のデザインを意識することなくプラットフォームが提供するフォーマットやテンプレートに委ねてしまえる便利な世の中になったけど、自分が世の中に届けるもの1つをどれだけの深度と熱量で捉え、生み出せるかということに挑めたのは本当に有難い経験だったなと思う。

その課程にあったドラマや、ジャーニーというものを幾ばくか本投稿にてみなさんと分かち合えたらいいなと思って筆を取ってみたが、いかがだっただろうか?

この本を手に取るとき、ページをめくるとき、こんなサイドストーリーを頭の片隅で感じながら楽しんでもらえたら幸いである。

追記

……と、ここまで書き上げたところ、写真を手掛けてくれた小田さんから連絡があって、この本の写真と装丁がどうやら業界の有名な写真雑誌に写真の題材として掲載されるぽい感じになりました!

広告業界の写真誌としては大変に権威のある雑誌ですので、それに取り上げられるとかマジで嬉しい!どんな感じになるのかそれも楽しみです😋はふはふ!(またその件は掲載のタイミングで各種SNSでお知らせしますね!)

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