ハリウッドへの扉を開く鍵: AFI 留学体験記と映像業界への道しるべ
2021年コロナがまだ落ち着いていない頃、荒木さんという引退されたカメラマンの方が主催する16mmフィルムトライアルルームに参加させていただきました。
フィルム撮影を学びたい一般の方々向けにフィルムの使い方を1から教えてくださるおそらく日本で唯一の貴重な環境を提供してくださっていました。
フィルム撮影のことだけではなく、70年代、80年代の映像業界のお話を伺わせていただいたり、フィルムカメラを購入させていただいたり大変お世話になっていました。
荒木さんから留学の経験を記事にしなさいと機会をいただき、半年ほど心の片隅に寝かしてようやく書き始めました。
なんでも好きに書きなさいとおっしゃっていただいたおかげで、気づいたら1万3千文字ほどになっていました。
好きに削ってくださいと伝えると、修正箇所なしでそのまま載せるという連絡をいただきました。
こちらの記事で、2023年度の優秀執筆賞に選んでいただき小倉・佐伯賞を受賞することができました。
このような機会をいただいた荒木さんに感謝しています。
※「映画テレビ技術2024年1月号掲載」
1.はじめに
真面目な話をすると、どうすればより良いストーリーを作ることができて、自分にとって意味のある何かを作れるのかということを考えて今まで10年間映像制作に取り組んできました。ストーリーテリングという技術をより高めたいと考えていた頃、American Film Institute Conservatory(以下、AFI)という大学院について教えてくれた先輩たちがいました。当時の私は、主に海外のクライアント向けに、コマーシャルやドキュメンタリーを撮影するシネマトグラファーとして活動していました。そこに行けばハリウッドのDPたちが秘密を教えてくれる、ハリウッド映画で活躍できるような人材になれる、世界中から映画の才能が集まって次の世代のハリウッド映画を作るようになる、というような夢のような評判が魅力的でした。
2022年の8月から2023年の5月まで、AFIのCinematographyコースに所属し、映画制作のための撮影技術について学んできました。
せっかくいただいたこの誌面では、AFIとは何か、AFIで学べること、AFIに入るために何が必要か、についてできる限り役に立ちそうな経験を共有したいと考えています。映像を学ぼうとする時に従来であれば3つほど選択肢があり、1つ目は国内の映像系学校に入ること、2つ目は映像制作会社や〇〇部など分業制の中での徒弟制度的な関係性で経験を積むこと、3つ目はオンラインにある情報と安価な機材を使ってビデオグラファーとして活動していくことだとすると、ここでは海外の映画学校で学ぶこと、特にAFIで学ぶことを4つ目の選択肢として提案します。実現可能な選択肢として、より多くの人に知ってもらいたいと考えています。
私は、3つ目のビデオグラファーからスタートしました。当時の私は貯金もなく、社会人としての忍耐力もなく、周囲の人たちとうまくやる協調性もなく、映像系学校、映像制作会社など、従来からある教育システムに入ることはかないませんでした。結果、YouTubeを5年間ほど見て、試行錯誤を繰り返し、まずは結婚式の撮影、その後小さなWEB CMや企業VP、そしてチャンスをいただきシネマトグラファーとして活動することができるようになりました。
7年ほど住んだ家賃2万円の部屋から、家賃15万円ほどのオフィスで仕事ができるようにはなっても、どうすれば良いストーリーを作ることができるのかに関して納得できるほどの理解が深まっていないことに気づいていました。そして、4つ目のAFIで学ぶという選択肢をとることにしました。
2.AFIとは何か?
AFIは2年をかけて芸術学の修士号が取れる大学院です。The Hollywood Reporter誌のアメリカの映画大学ランキングでは常に上位に位置し、2022年と2023年では1位を獲得しています。大学院には、監督、プロデュース、脚本、撮影、美術、編集の6つのコースがあり、入学時に選択したどれか1つのコースで2年間を学ぶことになります。特殊なのは、ここに修士号を目的にきている人はおそらく誰もいないところです。大学院で学ぶためという建前のもと、優秀なディレクターを探しに、ディレクターは優秀なクルーを探しに、AFIのブランドでLAでの映画関係のコネクションを作りに、AFIの強力な卒業生ネットワークを目的にこの学校を活用しています。監督とシネマトグラファーに限り、以下の方たちが卒業生にいます。
Darren Aronofsky(ダーレンアロノフスキー)/ Black Swan(ブラックスワン)
Ari Aster(アリアスター)/ Midsummer(ミッドサマー)
Todd Field(トッドフィールド)/ Tar(ター)
Scott Frank(スコットフランク)/The Queen's Gambit(クイーンズギャンビット)
Patty Jenkins(パティージェンキンス)/ Wonder Woman(ワンダーウォメン)
Robert Richardson(ロバートリチャードソン)/ Once Upon a Time in Hollywood(ワンスアポンアタイムインハリウッド)
Masanobu Takayanagi(高柳雅暢)/ Spotlight(スポットライト)
Rachel Morrison(レイチェルモリソン)/ Black Panther(ブラックパンサー)
Wally Pfister(ウォーリーフィスター)/ The Dark Knight(ダークナイト)
生徒の多様性について言及すると、私の所属していた24名からなるCinematographyコースだけに限定しても半数以上が女性で、Queerを自認する人が2割程度います。1/4がインターナショナルの生徒、半数が非白人で、アジア系、ヒスパニック系、アフリカ系がそれぞれ3,4名ずついました。私のように、母子家庭で育ち親族で初めて大学に行くような海外経験がほとんどない環境で生まれ育った人間もいれば、小さなユダヤ教徒の村で生まれ育ちエンターテイメントビジネスに精通する兄弟を持つ方、韓国系2世として宣教師の父親と教会で育ちNYの写真業界で照明技師として活躍していた方、マドリードとLAで成功した現代芸術家の家庭に育ちアートへの深い教養をもつ方、映画監督とプロデューサーの両親をもち21歳でカメリマージュ映画祭に入選をした方など、人種的な多様性だけではなく全く異なるバックグランドを持つ様々な人が集まっていました。21歳から42歳までの年齢の生徒たちで構成されていて、全員が強烈な才能に溢れていると心から思える同級生たちでした。
学校はハリウッドの中心にあり、周囲をさまざまな機材屋、消耗品屋、現像場などが取り囲みます。AFIの学生であれば、どの施設にも歓迎され機材屋の担当者がツアーを組み、未発表のレンズや照明をテストでき、学生映画のために大幅な割引で機材を貸し出してくれます。学校に新しい機材を寄付し、自社機材をPRするベンダーもいます。
3.AFIで学べること
私の専門のCinematographyコースに限り学校での教育に話を移します。カリキュラムはまず大きく二分でき、1つは授業形式で座学と実技に分けられます。もう1つは、他コースの学生と短編を制作するサイクルフィルムと呼ばれるものです。まずは授業形式のものについて説明します。実技では、ARRIが支給する35mmカメラとPanavisionのレンズを使用して各週の35mmでのフィルム撮影と、フィルムでの映写チェックがあります。18KHMIや10K タングステンやFisher Dollyを使用して、与えられたテーマをもとに、校内にあるスタジオで美術セットを組み、SAGに所属する役者の方たちと映像を作ります。座学では、光学、色彩、センサー、現像など科学的な知識を扱うもの、Cinematographyの発展の歴史を学ぶもの、ストーリーテリングの方法について学ぶもの、サイクルフィルムのフィードバックを出し合うものなどで構成されています。ゲスト講師として、過去にはRogerDeakins (ロジャーディーキンス)やConrad L. Hall(コンラッドホール)やDante Spinotti(ダンテスピノッティ)やEmmanuel Lubezki(エマニュエルルベツキ)などの有名なシネマトグラファーがきて実際に撮影をしながら解説をするということもありました。一方で、基礎的な撮影技術を学ぶ授業はなく、入学時点で理解していることが求められます。多くの時間がストーリーテリングを学ぶことに費やされます。美しい映像を撮ること、効率よく現場を進める能力は評価されませんし、教えられません。脚本を通してディレクターを中心にチームメンバーと毎日ディスカッションを繰り返し、ストーリーを深く理解し、撮影計画を作った後に機材を選び、露出とカメラ位置と照明のプランを立てることが基本でした。ひきとよりでなんとなく綺麗な構図と照明で撮影すると手厳しい先生に怠慢なCinematographyの見本として論われることになります。脚本からストーリーをどう見つけるのか、そのためにどの機材を使うのか、視覚的に効果的な方法で伝えられているか、他のコースの学生たちと上手くコラボレーションをしているか、作った作品のストーリーがうまく機能しているかの評価しかされない場所でもあります。
サイクルフィルムの授業では、監督、プロデュース、脚本、撮影、美術、編集の各部門から1名づつで6名のチームを組み、12分の短編を6週間かけて作成します。プレプロダクション、プロダクション、ポストプロダクションを通して評価され、リーダーシップやコラボレーション能力を厳しく評価されます。このサイクルフィルムでは、実際に能力が試される場でもあり、プロジェクトを通じてお互いをよりよく知ることもでき、長期的なコラボレーションの相手を探す場として生徒たちに認識されています。チーム選びは競争が過酷で、政治的な動きをする生徒も多くいる中で、生徒たちが精神的に追い詰められている姿をよく見かけました。校内には泣くためのスペースになってしまった場所や、いつも予約が埋まっているカウンセラーが駐在していたりもします。それぞれの経験やコミュニケーションの方法もバラバラで、その中でいかにチームとしてプロジェクトを完成まで持っていけるかは、自分にとってはとてもやりがいのある学びの多い学習方法でした。不機嫌になったり、コミュニケーションを取らなかったり、チームメイトやクルーを大切に扱わない態度があればすぐに厳しいフィードバックがきて、一瞬で学校全体からの信用をなくし、将来のコラボレーション相手としてみなされなくなります。逆に、常にチームのことを考え行動し、クルーに敬意を持って接し、難しい状況でも冷静にコミュニケーションができる能力を持つ人物は信頼され、2年目にある卒業制作でより良いプロジェクトにつながることになります。こういった環境なのでAFIでは、一人の天才がクルーを酷使して良いものを作り上げるというやり方ではうまく行きません。いかにその人に能力があっても、コラボレーション能力が低い結果、出来上がったものの質が低くなることを多く見てきました。逆に、脚本の時点で全く人気のなかったプロジェクトも、コラボレーションがうまくいくと誰も想像していなかったほど印象的なストーリーに変わることもよくありました。AFIがアメリカで一番良い映画学校であるなら、こういった評価の環境で上手くいく人物が今後のアメリカの映画業界で求められている人物像なのだと考えています。
AFIの授業の中では、セットの安全性を重要視していました。短編を制作するにあたり、安全性の筆記テストがあり基準点を下回るとガイドラインを理解していないとみなされ現場に行くことはできません。スタントをするならスタントコーディネーターをプロジェクトの予算の中から雇う必要があります。尖ったものを使うのであれば、その形状と使い方を説明し事前に許可を得る必要があります。性的なシーンであれば、インティマシーコーディネーターが奨励され、役者に同意を得る必要があります。1日の撮影のうち、集合時間から撤収を含めて全てのクルーの労働時間を10時間以内に収める必要があります。その日の撮影終了時間から次の日の撮影開始時間までは12時間の休みが必要です。子役を使う場合には、年齢に応じて労働時間が厳しく設定されています。最初の食事は撮影開始から6時間以内にとる必要があり、必ず45分の時間が与えられます。どのポジションのクルーであってもビーガン、ベジタリアン用の食事メニューが用意されます。毎日の撮影開始前には、1st ADが全員を集めセイフティーミーティングを行います。その日の撮影の流れや、危険な点、注意する点、トイレの場所などをクルーに共有します。またスタントシーンの前にも改めてセイフティーミーティングが行われスタントコーディネーターからスタントの説明が各クルーに行われます。これらのルールを破ることはプロデューサーの管理能力の低さの証明となり、後日チーム全体の連帯責任として著しく低い評価を下されることになります。セットで取り乱したり、クルーを尊敬しない言動や、危険なことがあれば、他の生徒は後日のフィードバックでそれを書く必要もあります。フィードバックとその後の調査に基づいて、生徒の処分が決まります。
Cinematographyコースの中で最も厳しくサイクルフィルムにフィードバックを出すことで知られるBill Dillという教師は、授業の一番最初に安全性について強調するために過去にいた生徒の話をしました。誰が見ても才能があり、素晴らしい成績で入学したCinematographyコースの学生がいました。彼は同学年でもずば抜けたクオリティーの短編映画を撮影しましたが、事前のプランにない移動車からの撮影シーンが含まれていました。生徒は教師に、このように説明をしました。「ディレクターと現場で相談をして元々の撮影プランを変更し、いい映像を撮るために"少し"危険なことを承知で車を停車させず動かして撮影することにしました。もう少し前に、もう少し前にというディレクターの指示もあり、徐々に車から身を乗り出す形になり、気がつけば想定していない危険な撮影になっていました」彼とディレクターは反省し、二度と同じ間違いを犯さないと誓いました。その説明を受けた学長は、二人にこう言いました。「あなたたちは今日の午後から授業に参加する必要はありません。来年度の受験の成功を祈っています」It's just a film.というフレーズは、AFIの授業の中で何度も繰り返されます。
AFIがプロフェッショナルとアマチュアの間のギャップを埋めるコミュニティーになっていることも興味深いことでした。AFIのサイクルフィルムでは70以上の短編を作り、そこに2年目の卒業制作の20数個、Cinematographyコースの生徒が主導する35mmフィルムで撮影を行う短編40数個を合わせて、1年で合計150近い数の短編が制作されることになります。LAで活動をすることを目指して、アメリカだけではなく世界中からやってきた若者やプロフェッショナルたちがボランティアで撮影に協力してくれています。1st AC, 2nd AC, ステディカムオペレーター、G&E Swingと呼ばれる照明部のアシスタント、美術アシスタント、PAたちはほとんどこのボランティアたちが担当してくれています。
アルバイトをしながら、休日は短編に無償で参加し経験と人脈を築くために何年も参加して、ユニオンの1st AC、カメラオペレーター、ガッファーになった方たちを見てきました。AFIの卒業制作や短編のクオリティーが高いのは、こういったボランティアで働く人たちのおかげでもあります。彼らにとっては、ここがキャリアの一歩目になり、多くの人に出会え、AFIの授業にも潜り込めるというメリットがあります。このコミュニティーが毎年人を入れ替えながら絶妙なバランスで継続しています。
4.AFIに入るために何が必要か
AFIの入学試験は、ポートフォリオ、アーティストステイトメント、推薦状、面接の4つで評価され受験用のテストはありません。日本人にとって入学の大きなハードルとなるのは英語、実績、お金、推薦状の4つになると思います。このそれぞれについて、私がどう乗り越えてきたのかを1つ1つ説明していき、英語に触れない環境で育った方、経済的余裕のない家庭で育った方たちにも参考になることを目指します。英語、実績、資金、推薦状の順番で時間がかかると考えていて、全く準備のない状況であればそれぞれ6年、5年、4年、1年未満ぐらいの準備が少なくとも必要ではないかと考えています。
4.1英語
入学を希望するインターナショナルの生徒に、AFIは英語スコアの提出を求めています。TOEFL iBTで100、IELTSで7.0を最低点としており、英語でのコミュニケーションに問題がないレベルであることを証明する必要があります。受験時にはTOEFL iBTで100点の足切りラインでスコアを提出しました。
英語をどのように勉強してきたかを振り返り、大きく3つのフェーズに分けました。1. お金をかけずに学ぶ時期、2. 環境に身を置く時期、3. お金をかけて学ぶ時期です。私は三重県の上野という人口4000人ほどの場所で18歳まで育ったので、大学に行くまでは教師以外で英語を話す人を実際に見たことはありませんでした。学校での英語の授業はあまり参考にできなかったので、自分で学ぶ方法を考える必要がありました。16歳の頃にインターネット回線を家に引いてもらい、Skypeを使用して日本語を学びたいカナダの大学院生とお互いの言語を教え合うことを始めました。16歳から23歳まではほとんど毎日1時間ほど話をしていたことで、お金をかけずに英語の基礎的な能力を身に
つけられたと思います。
次に、英語を使う環境に身を置く必要があると思い、大学では英語の論文やpodcastやyoutubeによく触れていました。1日のうちに日本語よりも英語を聞く時間を長くするように意識していました。撮影のキャリアを始めてからも撮影のノウハウはYoutubeの英語のコンテンツから学びました。28歳以降では東京にいながら海外のクライアントと仕事をすることが多かったので、見積もりや請求書や打ち合わせやトリートメントを英語で作成することが多かったです。この時点でおそらくTOEFLは90-95の間になっていたと思います。日常生活で支障が出ることはないが、ネイティブ同士の日常的な会話を聞き取れなかったり、英語だけで映画を80%以上理解することが難しいというレベルでした。
この辺りから、英語にお金をかける価値が出てくると考えています。正しい発音の方法や自然な言い回しなど、英語を教えるプロでなければ課題が整理できないようなことについて学ぶことができました。オンラインで見つけた20人の英語教師の中から一番教え方の上手な教師を選び個人レッスンを受けることにしました。1回8000円の授業で毎日3ヶ月続け、発音矯正やリスニングや語彙を鍛え直しました。同時にTOEFL用のエッセイを教えている先生とのレッスンと並行して、点数を100にしました。Cinematographyコースの中で、入学当初は私が最も英語能力が低かったと思います。AFIにやってくる方達は、インターナショナルスクールで育ったり、高校から英語圏の学校にいる留学生がほとんどなので、大学院に行った後もわからない単語や友人同士の話は録音やメモをして、学校にいく前に毎日レッスンを受けていました。結果的に、英語で困ることはほとんどないレベルまで上達させることができました。
4.2実績
AFIでは一般的なリールと同時に、ストーリーテリング能力を示すための映像を提出することを求められます。同級生の中には、学部を卒業してすぐに入学した方や、20年ほどキャリアを積んでから入学した方もいて、プロダクションバリューや出演者の豪華さや撮影機材の違いはリールからは明確でした。一方で、ストーリーテリングという視点で比べれば、学部卒で入学した方のリールも引けを取らないものが多くありました。ストーリーテリングの能力に比重が重く置かれて審査をされているようです。ここでは私がリールをどのように作ったのか、当時の私なりにストーリーテリングをどのように理解していたのかを共有したいと思います。
私が提出したリールは2つで、1つは16分間のドキュメンタリーともう1つは90秒のドキュメンタリーでした。16分の方のドキュメンタリーは私が26歳から29歳まで取り組んでいた認知症についてのドキュメンタリーでした。三川一夫さんという引退した教師の方を主人公にして、彼の妻の泰子さんが若年性認知症と診断されてからの二人の関係性の変化を、病気の進行とともに二人の共通の趣味である音楽を通して描いたものでした。一夫さんはチェロ演奏を嗜み、泰子さんはプロのピアニストとして活動をしていました。病気の進行とともに泰子さんはピアノの引き方を忘れてしまい、同時に生きる自信を失っていきました。一夫さんは彼女の自信を取り戻すために、ピアノの演奏を教え続けました。周囲のサポートもあり数年の練習の後、二人は再び人前での演奏を成功させます。メディアでも取り上げられますが、病気の進行から泰子さんは再び演奏の仕方を忘れてしまいます。一夫さんは、弾けなくなったピアノ以外のことで彼女の自信や生きる希望を取り戻せるように活動していく、というストーリーでした。ストーリーテリングという側面から気をつけたことは、ドキュメンタリーでありながらも起きていることをそのまま撮影しないということでした。今何が起きているのかを自分で理解をして、目の前のイベントを通してストーリーを効果的に伝えるための撮影になるよう必要な露出、色、構図を考えて撮影をしていきました。
90秒のドキュメンタリーは、彫刻家についてのドキュメンタリーでした。日展で内閣総理大臣賞の受賞経験もある彫刻家の親松英治さんは、35歳のとき一生をかけて取り組む作品を作りたいと考え、50年と自費の2000万円をかけて9.5mのマリア観音像を一人で掘り上げました。50年の間にあった芸術家としての苦悩や、カトリック教徒としての強い信念や、完成間近で起きた不運な出来事を乗り越えている途中にある姿を描きました。このプロジェクトで採用したストーリーテリングの考え方は、親松さんの50年という月日を、私が伝えたいストーリーを見失わずに短時間に圧縮して抽象的に伝えるというものでした。ドキュメンタリーではありますが、ストーリーを伝えるために必要な映像を再現し、画面の中の情報をできる限り少なくするCinematographyを採用して抽象化することで50年を90秒に圧縮し、ストーリーを作るという方法に挑戦しました。
この2つのドキュメンタリーはAFIに行くために作ったものではないですが、元々の興味がストーリーテリングにあったので求められているものと作品が合致していたと思います。どちらのプロジェクトも仕事ではなく、自分のお金で、自分の興味から取り組んだものです。
4.3資金
AFIの卒業までの授業料は2115万円となります。そのほかに、1年に450万円の生活費が必要とAFIは試算しています。ここには車の費用は入っていません。Cinematographyコースの学生が中心となり作成するフィルムプロジェクトでは、学校から支給される最低限の機材と最低限の現像代以外は、自分でお金を出して人とモノを集める必要があります。さらに、卒業制作では学校から支給される最低限の制作費用以外は、チームメンバーとともに出資する必要もあるようです。プロジェクトの支払いで2年で150万円と想定すると、卒業までにかかる費用の合計は、3165万円となります。この高い費用のために、AFIの学生のほとんどが裕福な家庭出身の学生たちで、残りがキャリアを築き一定の資産を持ってから学生となります。
学校のホームページのどこにも書かれていないことですが、1年目を優秀な成績で終えると学位は取得できないですがAFIの卒業生の資格を得られる場合があります。AFIでは、2年をかけて芸術学士を取得し卒業生になることを前提としてカリキュラムが組まれていますが、上で列挙した数名の卒業生たちも2年目を終えずに様々な理由で学校を去っています。2年間の資金を集めることは難しかったですが、1年間の資金をどのように集めたかを説明します。
営業利益をあげることと借入の実績を作ることが重要だと考えています。私が映像を始めた22歳の頃は、家賃2万円の家に住み、貯金が15万円で、月の収入は5万円程度でした。これがスタート地点でした。27歳までは勉強期間と割り切りその生活を続け、28歳で初めて月収が10万円を超えて、29歳では同世代よりも多い収入になっていました。29歳の時に、個人事業主から法人に移行し、フリーランスとしてシネマトグラファーの経験を積みつつ、法人として企業向けに動画制作を行う体制を作り売り上げを伸ばしていきました。同時に銀行との付き合いも重要でした。28歳の時に独学というバックグラウンドのためにどの機材屋からもシネマカメラのレンタルを断られたことをきっかけに、日本政策金融公庫から借入をしてRED Geminiというカメラを購入しました。以来、公庫との付き合いが続き、法人化した際は銀行からの借入を行いました。業績に関する信頼関係もあったことで会社としての成長にもつながるアメリカへの”営業活動”という次の挑戦を、協調融資によって応援していただけました。実際に、渡米をきっかけとしてニューヨークのプロダクションと協働して大きなプロジェクトを日本で行うことができました。
目標とする金額にはまだ足りなかったので、同時に奨学金についても調べました。受験当時30歳で、ほとんどの奨学金は年齢制限や、年齢制限がないものでも年齢が高いことを理由に辞退を依頼されるという状況でした。また芸術系を支援する奨学金は少ないことも問題でした。芸術系奨学金で最も有名な文化庁の新進芸術家海外研修制度は、30歳以上の研修希望者は1年しか支援されないということで、2年支給希望とチェックしてしまい書類不備で審査に進むことができませんでした。実際に受給資格を得た奨学金は2つあり、1つは日本の実業家の与田巽さんが設立したAFIの奨学金から$15,000と、もう1つはひとり親世帯や家族の中で初めて大学へ進学する学生を支援する渡辺利山寄付奨学金から$12,000の支援を受けてようやく1年目を切り抜ける資金ができました。
JASSOが提供する学資ローンは、連帯保証人の問題がありました。連帯保証人を準備できない場合は、私のように法人で借入を行い、保証人が必要な場合は経営者保証にすれば問題を解決できます。デメリットは、こういった融資の場合は据置期間はおそらく最長で1年になってしまい学生のうちに返済を始めなければならない可能性があることと、返済期間が学資ローンよりも短いことです。
4.4推薦状を集める
2通の推薦状が必要です。1、2、3の過程をすでにこなした人であれば、業界の中で自分の能力を評価してくれる実力者が必ずいると思います。私は最初にシネマトグラファーとしてのチャンスをくれたプロデューサーとディレクターの2名の方々にお願いをしました。
5 終わりに
AFI在学中に、10人ほどの卒業生や退学者と個人的に話をする機会がありました。何名かはAFIに行ったことに肯定的でない場合もありました。否定的な意見としては、費用に対して十分な効果を実感しなかったり、期待していたほど生徒のレベルが高くなかったり、精神的に追い詰められるほどの競争の中で疲弊してしまうという意見がありました。一方で、AFIで学んだことで大きく人生が変わったという人もいました。
自己評価をすると、確実に良かったと答えることができます。その理由をいくつか紹介すると、ストーリーテリングについてより深い理解が得られたこと、コラボレーション相手とうまくコミュニケーションをとりながら作品を成長させ完成にまで持っていく自信がついたこと、LAの機材屋やクルーたちと個人的なつながりができたこと、35mmフィルムでの撮影でも問題なく対応できる自信がついたこと、同級生たちと学校外で撮影した短編がScreamfest Horror Film Festivalに入選してチャイニーズシアターで上映され
たこと、オッペンハイマーやスターウォーズシリーズのカラリストとそのプロジェクトを通じて働きトップレベルのワークフローを学べたこと、映画制作のプレプロダクションの方法について学べたこと、独学をしていた頃に憧れだったマサノブタカヤナギさんと個人的に話ができる機会に恵まれたこと、さらに最も価値がある思うのはセットの安全性や、どんな場合でも冷
静でいることや、クルーに敬意を持って接することや、志を同じくする同級生たちとの出会いでした。
AFIというチケットがあれば、LA中の施設で歓迎されます。このチケットをどのように使うかで、満足する結果になるかどうかが変わるような気がしています。AFIの学生のレベルが下がっているという意見もありますが、評価システムが変化したことが原因で過去に通用した優秀さで現在の生徒を評価できない側面もあるのではないかと考えています。他人を蹴落とすような強烈な競争の中で抜きん出たスキルを持つことよりも、コラボレーション能力を発揮しチームとして良い結果を残せる人物がここでは求められています。厳しい環境での競争でしたが、自分の成長に集中し続けたことで楽しみながら過ごすことができました。誰か困っている人がいたら助けたり、困っているときに助けられたりすることで競争を超えた関係を築くこともできました。この9ヶ月間は、9年間の独学での試行錯誤の後のご褒美のような体験でした。
一方で、AFIで学ぶことが日本の映像業界に入ったり、そこで地位を確立するための近道なのかどうかは不明です。アメリカの映像業界であれば絶対的な信頼とブランド力がありますが、日本では情報もほとんどなく卒業生自体が少ないのであまり知られていないのが現状だと思います。日本でのキャリアアップのためには有力な選択ではないと思いますが、私個人の目標である「どうすればより良いストーリーを作ることができて、自分にとって意味のある何かを作れるのか」に鑑みれば、ここには書ききれないほどAFIは多くのものを与えてくれたと思います。
最後に、映画制作の方法や、コミュニケーションの方法や、コミュニティーの中での評価方法に正解はないと考えていますが、より多くの選択肢の中からそれぞれが過ごしやすく、より良い仕事ができる環境を選べるようになると良いと考えています。この記事を必要としている方々の目に留まり、AFIで学ぶという選択肢を持てるようになることを願い、私自身も努力を続けたいと思います。
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