「暗黒時代」は名前のせい?
旧姓との戦い
「苗字」ってほんと、誰がつけたものなんでしょうね。
私の旧姓は、「あ行から始まる=名前の順が早い」ぐらいしか良いところがないものでした。笑
どんな苗字だったかというと、
・99%の人が読み間違いをする(当社比)
・正しい読み方を教えると、99%の人が「は?」「え?」って言う
・姓名を漢字で書くと、他の人より文字数が多くなり目立つ
…こんな具合です。ゲホゲホッ。
初めて会う人に名前を伝えると、ほとんどの場面で、
「え、この漢字で、どうやったらそんな読み間違いするん?!!」
というレベルの読み間違いをされてきました。
「人は自分の発音できないものを聞き取れない」と言いますが、
その現象に近い気がします。
聞いたことない苗字だと、頭の中で勝手に聞いたことある苗字に変換しちゃうんですね。
私も、他の人がこの苗字だったら、正しく読める気がしません。。。
「かわいいから」という理由
下の名前の方はというと、結構自分では気に入っています。
しかしですね、名前の由来が薄いんです。
昔、「自分の名前の由来を聞いてみましょう」という宿題がありまして、
母親に問うてみました。
すると、
「うーん、お姉ちゃんの友達で同じ名前の子がおって、かわいい名前やなと思ったからやで💓」
という回答がかえってきました。
「『かわいい名前やなと思ったからやで💓』とちゃうわ!
みんなの前でなんて発表すればいいんや!
嗚呼、母さんよ、なんで大事な名前に『意味』を込めてくれなかったんヨォぉぉ!!」
と、子供ながらに地味〜にショックを受けた覚えがあります。
自分の名前が嫌になると…
そんなこんなで、私は自分の名前を名乗るのがすごく嫌でした。
なんとなく恥ずかしいというか、
「どうせみんな間違えるからまた言い直さないといけない」みたいな、
面倒臭いと思う気持ちのせいです。
自分の名前を「恥ずかしい」「面倒臭い」ものと捉えていた私は、
不思議と自分自身のことも、いつしか同じような存在だと思うようになっていました。
「うまくいかなかった過去=名前のせい」みたいな、非論理的な思い込みに囚われてしまったんです。
姓名判断をしてしまう
学生時代、明るくてなんでもできる人、優しくていつもニコニコしている人などを見ては、その人の名前を姓名判断にかけるという、非常に趣味の悪いことをしていました。
そういう人たちって、お金持ちで育ちが良いからなのか、
ちゃんと考えられた名前っぽいんですよね。
素敵な、意味込められてそうな漢字が使われてるし、特に「画数」が本当に良いんです。
きっと、神社とかでちゃんと良い名前選んでもらったんだろうなと。
一方、私はというと、画数的に「凶」なんです。
「若い頃苦労する」「晩年に苦労する」「努力できない」…
ふざけるな、なんだよそれ!!!と言いたくなります。
救世主現る
「名前は諦めるとして、せめて苗字だけでも、本当に、誰でも読めて、そうとしか読めない名前になりたい〜〜〜!!」
いつしかそう思うようになった私の目の前に、夫という救世主が現れました。
そう、彼は、めちゃくちゃ読みやすい苗字の男だったのです!
「はぁ、これで私も『憧れ』の(笑)誰でも読める苗字になれるわ!」
入籍後、そう思いました。
そういう意味で確実に「救世主」な夫なのですが、
もう一つ、別の意味で「救世主」だと思ったことがあります。
私
「ねぇねぇ、私、旧姓だと画数が『凶』なんよ。でも旦那はちゃんと『吉』ばっかりで良いなぁ。なんか私、下の名前がそもそも悪いっぽい。親もなんも意味考えずにつけた名前っぽいし。」
夫
「えー?なにそれ。親につけてもらっただけ良いやん。俺なんか、神社の、どっかの知らんおっさんにつけられた名前やでwww」
「苗字も俺めっちゃ憧れるで。一発で覚えてもらえるやん。俺なんかおんなじ人いっぱいおって大変やで。」
???!
悪い方悪い方にばかり捉えてしまっていましたが、こんな考え方があるのかと。
目からウロコが落ちる、雷に打たれたような衝撃、ってこういうことなんですね、って思いました。
少し大袈裟ですが、それからはちゃんと、
「まぁ親も自分のことかわいくなれって思ってつけてくれたんやから、いっか」
「逆に旧姓が覚えやすいものだったから、旧友に会った時すぐ思い出してもらえるから、いっか」などと思えるようになりました。
結論!
・苗字や名前が難しくても、恥ずかしがる必要なんてない!
・親でも神社のどっかの知らんおっさんでも、誰かにつけてもらった名前なんだから、全部「尊い」!!!
↓
大事な思い出として、本件、消化します♪
ちなみに…
夫は、私の苗字を1回で正しく読めた「1%」の人でした。
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