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コンセプトの語尾の話(相手側の視点に立って)

どういうコンセプトでものづくりをするのかは、とても大切なことです。
たとえばシナリオであれば、

【AとBの別れのシーンを描く】

という命題があったとき、以下のような2種類のコンセプトの立て方があります。

【AとBの別れのシーンで感動させる】
【AとBの別れのシーンで「離れないで!」という気持ちになる】

どちらも正しいですが、こういったケースの場合、後者のほうがよりよい結果を生みます。

上記のように「させる」より「なる」の方がコンセプトの語尾として優秀な場合があります。
その理由は、いったい何なのでしょう。

我々はどのように、これらの語尾を使い分けていったらよいのでしょう。


◆コンセプトの意義

そもそも、なぜコンセプトが必要なのでしょうか。
理由はいくつかあります。

たとえば、作っている最中は視野が狭くなります。

コンテンツに触れるのにかかる時間と、それを作るためにかける時間には、非常に大きな開きがあります。
10秒で通り過ぎるものを数時間かけて作る環境下に身を置くと、受け手として「ちょっと考えればわかるのに」と思うような「普通」を満たすだけでも難しいものです。

コンセプトは、そんな性質を持ったものづくりの羅針盤になります。


あるいは、ものづくりには多くの人間が関わります。

人はそれぞれ想いを持ってものづくりに携わります。その想いが少しずつズレていることで、現場全体としても向かうべき方向にズレが生まれてしまいます。

コンセプトには、人の多様な想いをひとつにまとめ、チームを方向付ける効果もあります。


◆成功のための矛盾した条件

サービスであれ、コンテンツであれ、組織づくりであれ、推進する人は強い欲求を持っているものです。

この強い欲求は、組織やプロジェクトの推進力そのものですが、一方で盲目にする可能性も秘めています。

盲目的な状態は、決して悪いだけの状態ではありません。そもそも関わっている人たちが盲目的に成功を信じていないと、どんなプロジェクトも、どんな組織も、成功することはないでしょう。

【盲目的になると危険だが、盲目的に邁進しないと成功しない】

自分自身としても、このものづくりの矛盾した性質による失敗経験を多く抱えています。推進力は時として毒になることもある。

こんな矛盾した性質を持ったものづくり、組織づくりを成功に導くためには、いったいどうすればいいのでしょうか。


◆学びと気づき:マネジメントの現場から

そんな自分にとって大きかったのは、ものを作る現場に入り込みすぎずに組織を作るという経験でした。

ゲームデザイナーであり、ゲームディレクターである自分は、現場に深く入り込んでしまう癖があります。

それを決して悪いこととは思っていないのですが、その視点ではどうにもならない規模の組織を任されたとき、一度考え方を変えてみることにしたのでした。

それまで自分は、以下のようなビジョンで組織を動かしてきました。

【心が震える体験を届ける】

これは「宣言」です。
話者が自分自身であったり、自分と同じ想いを持った人が増えれば機能しますし、そうなれば強い組織になるのですが、伝聞を経てどこか他人事になってしまう可能性も秘めています。

組織規模が変わったとき、自分は掲げる言葉を変えました。

【最高のクリエイティブ集団に】

語尾を「する」から「なる」に変えたのは、様々なスタンスで仕事をする多くの人が属する組織で、この言葉を誰からも他人事にしないためでした。

このときはじめて「自身の考えや想いを強く掲げる」以外のやり方があると気づいたのでした。

コンセプトの語尾は、自分と相手の関係性の中から生まれます。自分の「意思」をどのように手渡すべきかという、相手に対する「愛」が語尾なのです。


◆その語尾は適切か?

冒頭の例に戻ります。

【AとBの別れのシーンで感動させる】

顔も見たこともない誰かを相手にして「させる」というのは少しおこがましいかもしれません。

もうちょっと受け取る方のことを考えて、相手の一人称になってみると、語尾が変わります。

【AとBの別れのシーンで感動する】

語尾だけ変えてみましたが、一人称のコンセプトとして考えると、小学校の「よくない読書感想文の例」みたいに思えてきます。

もう少しだけ、語尾を変えてみるべきかもしれません。

【AとBの別れのシーンで「離れないで!」という気持ちになる】

目指すべきポイントが、ようやくはっきりした気がします。作り終わったものに触れたユーザーが、こういう気持ちになったら、それがゴールです。


◆相手側の視点に立って

長い時間がかかったとしても、たくさんの人が関わったとしても、盲目的に推進力を高めたとしても、常に羅針盤として機能するコンセプトには「愛」があります。

それは「この想いを伝えたい」という一方的な愛ではなく、受け手の視点に立った愛です。

一概に「する」「させる」という語尾が間違っているわけではありません。現に多くの企業ミッションは「する」を語尾として書かれています(その後に続く「なる」が省略されているだけのケースも多いですが)

ただ、相手の視点に立つのが大事なのは間違いありません。

そこに考えを及ばせるためのよいツールとして「語尾について考える」という方法があるという、気づきの共有でした。

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