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❶『ロデオ・サマー 800キロの牛に乗りたい男』

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アメリカという国をひと言で表わすのは難しい。
最先端のテクノロジーで効率と合理性を極限まで追い求める社会かと思えば、誰がどう見ても無謀なアクションに挑んで無様にコケるようなおバカ映像のほとんどはアメリカ人の所業だったり、何事も過剰で、特大で、むちゃくちゃすぎてつかみどころがないようにも見える。

多様な人種に担われた多様な文化が入り混じっていて、地域によって異なるのは気候だけではなく、ものの考え方やライフスタイルまで如実に変わってくる。
それなのに、日本にいて見えてくるアメリカ像というのは、ニューヨークとワシントンDCの東海岸系、ロスアンジェルスを中心としたカリフォルニア都市圏の西海岸系に基づいていて偏りがある。

僕の個人的見解では、アメリカというのは「デカい田舎」であり、都市部の方が特殊であると考えている。
かの国は、国土の五〇パーセント以上が無人地帯なのである。日本も三分の二が森林なのだが、町と町はつながっていて、空から見たら夜には光が煌々と輝き、人々の営みが感じられる。
ところが、アメリカでは何十マイルも暗闇の中クルマを運転して、やっと町の灯りがぼんやりと浮かび上がってくるような茫漠とした土地の広がりがある。広大な自然の中にぽつりぽつりと小さな町や農村があって、気のいい田舎者のアメリカ人と、そんなに気のよくない田舎者のアメリカ人がいる。
特に西部や南部には、多くの日本人にはなじみの薄い、厳しい自然の中で、独特な野趣のある、剛悍な、不屈の、アメリカがある。そして、これこそがアメリカ人自身が「オール・アメリカン」と考えるようなアメリカの姿なのではないかと、いささか勝手に思うのである。

それを具現化すると、カウボーイに行き着く。

拙著『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』の帯には、次のようなヘッドラインが書いてある。
〈「カウボーイって、今でもいるの?」と、周りの誰もが言った。〉

これは事実で、ほぼ百パーセントの人がそのように言う。僕は「みんなもハンバーガーやステーキは食べるでしょ? あの牛を育てているのがカウボーイだよ」と答えつつも、ではなぜ、牧畜業者でしかないカウボーイが、北米では男の中の男の象徴であり、憧れとしてとらえられているのかという疑問には回答を持ち合わせていなかった。
僕にとっても憧憬の対象であり、偶像であったカウボーイを実際に体験して、アメリカの文化圏にまたひとつ理解を深めるために『カウボーイ・サマー』を書いたのであった。

カウボーイがやるスポーツといえばロデオなのだが、これまた日本人にはなんのこっちゃわからない。
暴れ馬だか猛牛だかに乗って「ヒーハー!」とやっている、バカみたいな遊びと思われていることだろう。実は、僕も当初はロデオには大した興味はなかった。
ところが、日本の若者がひとり、テキサスでロデオ修行をしていて、かなり本気で取り組んでいると聞きつけて、彼を通じてならロデオというものを見てみたいと思った。

カウボーイの仕事から発展した競技であり、世界で最も危険なスポーツと言われているのに、今でもカウボーイたちが熱中するロデオ。
『カウボーイ・サマー』のスピンオフとして、僕が書く責任みたいなものまで感じて、この夏、僕はロデオに挑戦する宇和野泰人(タイト)という若者を追った。

この連載が、カウボーイやロデオを通じて、ある意味でアメリカらしいと言えるアメリカの根幹に触れるものになればいいと思う。旅に同道ください。
これからはじまる連載の本編は、コーヒー1杯分程度の原稿料を「旅費」として頂戴します。応援ありがとうございます。

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