「したいことなんてない!」人間だった私がキャリア支援に至るまで【自己紹介】

こんにちは!ポジウィルで認定トレーナーをしている須知です。
”このトレーナーってどんな人だろう?”
自らを深く掘り下げるときに、自分だけが一方的に自己開示するのって少し不安ですよね。
まずはトレーナーである私自身がみなさんへ目一杯の自己開示ならぬ自己紹介をさせていただくのがこちらのnoteです。


これまでの経歴

大学では政治学を専攻。文系といえばの流れで都市銀行(いわゆる”メガバン”)に入社。
法人営業を6年経験し、中国・上海へ赴任。充実の時間を過ごすもコロナ禍の海外生活に耐えかね帰国。子会社へ転籍出向。
企画・管理・新規事業開発を経験しつつ、社内外で人と組織に関わる活動を重ね、現在ポジウィルにてトレーナーをしています。

こんな軸で生きてきました

私は幼少の頃から”軸なし人間”でした。父から「すぐに顔に表情を出す人間はロクなもんじゃない」と事あるごとに言い聞かせれて育った私は、悲しいことや辛いことはもちろん、好きなことや楽しいことに対しても表情を前面に出して、「これが好き!!」と言い切ることができない子供でした。
周りがどんな反応を示しているかよく観察した後に、おおよそ一般的な社会通念に照らし合わせて「正しい/好ましい」と思われる選択を取り続けて生きてきました。
その甲斐あっておおよそ一般的に「良い大学」と言われる大学や「良い会社」と言われる会社に縁を持つことができました。
一方で自分の中から湧き上がる「~したい」の声にフタをするのが上手になり、いつのまにか「自分は自分で何がしたいのかわからない」人間になっていました。

入社後は食事が喉を通らないほど辛いと感じた時期もありましたが、「すぐに表情に出してはいけない」「ここで休んでしまっては好ましくない」と自分に喝を入れて、お酒や土日の予定で気を紛らわせながら「やるしかない!!」と奮い立たせ続け「正しい/好ましい」行動をとっていました。痛み止めを打って打席に立つバッターのように。

そして念願だった海外への辞令を受けます。私にとって貴重な人生経験であることは間違いありませんが、この辞令によって私は「~したい」よりも「正しい/好ましい」を優先することが”成功”に至るというバイアスを深めてしまいました。
結果として「~したい」という声が自分の内側には無いのだとまで思っていました。

2つの大きな転機

「したいことがないのが俺さ!」と半ば開き直っていた(見ないフリをしていた)私を決定的にモヤモヤさせた転機が2つあります。

  1. 上海で部下にとんでもない勢いで怒られる
    「正しい/好ましい」で身を固めた私は、日ごろから「べき」論だけでチームをマネジメントしていました。そんな私の空虚さを見透かすかのように、ある日中国人スタッフからものすごい剣幕で叱責されます。

    『あんたはコントロールばっかりしていて私のことも人のことも全然信用していない!』

    営業部のフロアに響き渡る声でした。この方はこれをキッカケに私の元を去っていきました。

    初めは素直に受け入れられませんでしたが、次第にモヤモヤは大きくなり深く反省しました。内省する中で周囲をもっと信頼し、他者の可能性に目を向けることの素晴らしさを感じるようになり、仕事観だけでなく人生観が大きく変わりました。

  2. コロナ禍における帰任願い
    上記の経験以降は中国での仕事にやりがいを感じていましたが、コロナ禍で日本にいる家族とは自由に会うことが出来ず、「中国でのキャリア」と「家族と過ごす時間」の板挟みにあっていました。
    中国のキャリアでいえば「正しい/好ましい」ものではありませんでしたが、家族を優先し帰任を申し出ることにします。これは私にとって初めてのキャリアの中での「~したい」でした。

    しかし帰任後の配属は私が望んだ業務内容でもなければこれまでの経験が活きる部署でもありませんでした。

    「帰任したい」と言ったことを悔やみ、”成功者のキャリアと比較して失敗した”ような気持ちになり、深く失望し自暴自棄になりました。
    家族を優先した決断のはずだったのに、私は家族に気を遣わせるほどに暗い表情と投げやりな言葉ばかりの人間になっていました。

    投げやりになって半年強、毎日の私の愚痴を聞く妻から「帰国させてしまって何だか申し訳なかったね…」と言われてガツンときました。

    キャリアを会社任せにして望み通りの結果が得られず不貞腐れたあげく妻が申し訳なさそうにしている。

    そんな私がいることに私自身が気が付きました。
    帰任のときにもっと明確なキャリアを会社に伝えることも出来ただろうに、そうしなかったのは自分だろうと。
    もう人任せにしない。自分の人生は自分で決める。そう決心して動き出しました。たくさんの人に相談し助けてもらい、自分に向き合いながら少しずつ進みたい道が見えてくるようになりました。

キャリア支援の道へ

いずれの転機も心地よいものではありませんでしたし、今でも思い出すと胸が痛くなるところもあります。
それでも自身に真剣に向き合い、様々なアクションを起こした結果として、「優しい世界を作りたい」「組織や人をよくしたい」「世の中をよくしたい」という青臭い気持ち、ピュアな願い、素朴な声が自分の内側から聴こえるようになっていきました。

現在の私は「~したい」で学び、働き、遊び、生きています。

1つの転機は人の(そして自分の)可能性を信じるキッカケに、もう1つの転機はキャリアを自分ごととして捉えるキッカケに。「正しい/好ましい」軸で生きてきた私が様々な経験を経て統合され自分の中に1つの軸・ストーリーのようなものが形成され、今私はキャリア支援に携わっています。

私は以上のようなストーリーの中で「新しい自分」としての一歩を踏み出しましたが、黒が白になるような劇的な変化というよりも小さなピースが少しずつ集まって徐々に新しい自分が生まれたような感覚です。

今これを読んでいただいている方も、どこかモヤモヤを感じ、変化を求めているのかもしれません。

私はキャリア支援の中で、あなたの本来持っている願い・持ち味・魅力を一緒に発見していきます。そしてそれらを存分に活かす行動をとっていただけるように伴走していきます。
大きな変化かもしれませんし、小さな変化の積み重ねかもしれません。
いずれにせよ自らの可能性を信じ、一歩を踏み出すあなたを全力でサポートします。

最後に、キャリアについてお悩みの方はまずは無料カウンセリングでお話ししませんか。
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