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自己理解は自分だけでは終われない

久しぶりに人の本気の熱を見た。

それも当事者レベルで。

すごい熱量である団体を一緒に作っていくのに協力してほしいと誘われた。

僕は、概要がある程度分かった上で、その話にyesかnoかで即答ができなかった。

でも、これって自己理解を完全にしきっていて、自分がこれから何をやっていくべきかがはっきりと分かっている人なら、即答できるはずの問題である。

僕は、その誘いに即答できなかったことで、"あなたはまだ自己理解をしきっていませんよ"ということを突きつけられたのだ。

まあ、自己理解をしきった上での即答ならいいが、その人の熱に気圧されただけの即答は最悪だが。

今回、"自己理解を仕切った上での即答"はできなかったが、その気圧されるほどの熱を持った相手に対して怯まずに議論をすることができたのは、それはある程度自分の軸を持っていたからこそできたことだと思う。
(やっぱり成長はしてるな。いいぞ自分。)

自分一人では完全に自分のことを理解することはできない。

自分という実態を、自分という角度からしか見ることができないからだ。
外部からの刺激を受けて、自分という角度以外の様々な角度から自分を見てみることで、やっと自分という実態の本当の形を把握することができる。

(上から見ると円に見えて、横から見ると長方形に見える、円柱形のようなものだということを言いたい。)

だからこそ、本当に自分を理解するということは、

  1. 自分でとことん内省して、自分のことを理解しようとしてみる

  2. 友人との議論、新たな考えを持つ人との出会い、外部に自分の考えを発信する機会などといった外部からの刺激を受けることで、自分を新たな角度から見てみる

  3. 外部からの刺激を受けて見えたことを、改めて内省して、それがどういうことだったのかを突き詰める

  4. 上記3ステップをひたすら繰り返す

というループを踏んだ先にあることであると、僕は納得した。

抽象的な内容はここまで。これ以降はただ僕が自分のことを理解するためだけに言語化しているに過ぎない。

今回、僕が誘いに即答できなかったのは何故だろうか?

自分が今すでにやっていることで一杯一杯だったから。

今までの経験で、人間がマルチタスクが苦手なことは何度も知らしめられてきた。

だから、今回さらにやるべきことを増やしてもいいのか?ということを考えるのにかなりの時間を要した。

だから、それを受け入れるならそれがなんらかの恩恵を自分にもたらしてくれなければならない。

ただ、今回の場合受けられる恩恵が割とはっきりしていた。

  • 外の色々な人たちと交流する機会になりうる(僕は内向的な性格かつ自意識過剰人間なので、殻をやぶると言うか成長する機会にもなるし、人脈を単純に増やせるとも思った、(もしかしたら外の人と交流するのが怖いと言う臆病さもあって今回の誘いを少しためらっていたのかもしれない))

  • 単純に、今回のような組織が今の日本に必要であると思っていた節があった

  • 内向的な自分は、今までうちにこもって自分だけでやれることを色々やってきたが、組織として世間と関わる機会が必要だと思っていた

だから、空きコマの時間を捻出してやるだけの価値はあると思って、今回依頼を引き受けたということになる。

それが、空きコマ以外の時間までを捻出することになるかどうかは、まだ実際にやってみないと分からないということだ。

僕は、最新のテクノロジーを世界に遅れないように日本(企業しかり、人民然り)にも浸透させていきたい(今でいうところのAIとかWeb3とか...)という一貫した思いは自分にあると今まで思ってきたが、その手段についてはあまり考えてこなかった。

ただ、今回のことを受けて、他の人がテクノロジーを浸透させる手伝いがしたいのではなくて、自分自身がテクノロジーを浸透させる張本人になりたいのだと認識することができた。
ただ、そのためには他の人と関わりを持つ必要がある。

そういうことだったのか。だから、外部と関わりを持つことのできる今回の誘いに自分は乗ったのだ。

正直、あまりここまで書かれていることを読んで何を言っているのかが、読んでいる方には分からないかもしれないが、僕的には今自分が考えていることを言語化できてちょっとスッキリすることができた。

改めて、言語化って人間の最大の武器だなあ。

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