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メルボルン生け花フェスティバルCEO放談(4):開会の挨拶

第1回メルボルン生け花フェスティバルの開会式(2019年9月)での私のスピーチを紹介しましょう。オリジナルは英語でしたの、AIに和訳してもらい、加筆修正しています。


ごあいさつ

皆様、おはようございます。Wa: Melbourne Ikebana Festivalへようこそ。特に、私たちの特別ゲスト、ビクトリア州文化教育相ティエン・キュー博士代理、ヤラ市議のダニエル・ングエンさん、和太鼓竜胆、いけばなインターナショナル代表のトリッシュ・ニコルズさん、ようこそいらしゃいました。

そして、ここにお集まりいただきましたすべての皆様、ありがとうございます。心より歓迎いたします。皆様全員が初の国際いけ花フェスティバルへの重要な参加者です。

生け花フェスティバルの必要性

次の展覧会を「生け花展」ではなく「生け花フェスティバル」と呼ぶことにしよう、と私が言ったとき、私の生徒の中には「それは大げさすぎる」と笑った人もいました。確かに、それは少し野心的でしたが、それは必要な事だったのです。そして、皆様のおかげで、それを達成することができました。

なぜ「Wa: Melbourne Ikebana Festival」が必要だったのでしょうか?

まず第一に、この企画はいけ花を広く紹介するのに非常に効果的な手段であるからです。いけ花はオーストラリアに60年以上前に紹介されましたが、未だ、多くの方にとっては馴染みのないものです。

多くの生け花関連団体が定期的に展示会を開催しており、中にはいけ花のマスターを日本から招待することもあります。それは素晴らしいことですが、コミュニティにもっと広く、そして早急に浸透させるためには、別のアプローチも許されていいのではないでしょうか。

第二に、今日の時代状況が変わりました。多くの人々が気候変動や環境の持続可能性を今日私たちが直面している最も大きな問題と見なしています。ここにいけ花が貢献できる可能性があります。

いけ花は、自然が私たちの資源ではなく、むしろ私たちは自然の一部であることを教えてくれます。伝統的に、花を客観的な素材とみなすのではなく、花とひとつになって生けてこそ、生け花は成り立つのだという教えがあります。その意味はとても深いものだと思います。

現代における生け花の役割

いけ花の歴史は、その役割が五世紀にわたってかなり受動的であったことを示唆しています。

たとえば、江戸時代に中流階級が登場すると、いけ花は彼らのニーズに対応するために簡略化されたスタイルを発展させました。

西洋文化が日本に導入されたとき、いけ花は社会の変化に対応するために再び変わり、盛花という新しいスタイルが生まれました。社会が変わると、いけ花も変わります。

しかし、現代は、いけ花が時代の文化を導く時かもしれません。

私たち一人ひとりでは環境を大きく変えることはできませんが、いけ花を広く振興させることで、人々に自然や環境に対する考え方を再考してもらうきっかけを提供できるかもしれません。

いけ花は、古代から伝わる精神文化を内包していますが、それは今日においては、自然を深く見つめ、自然への新しい態度を促進する役目を果たすかもしれません。私は明日の朝のプログラム、国際いけ花学会の講義の中で、いけ花において必要とされる自然への態度について、もっとお話ししようと思います。

フェスティバル開催までの困難

しかしながら、初のメルボルン生け花フェスティバル開催への道のりは容易ではありませんでした。私たちのチーム、委員会、スポンサー、匿名のスポンサー、多くのボランティア、および全ての出展者のご尽力なくして、これを達成することはできなかったでしょう。本当にありがとうございました。

特に、このイベントに多くの時間を費やしてくれたShoan、Shoto、Shokai、Sue、Ryoko、そしてTakakoというチームメンバーに感謝したいと思います。

問題が生じるたびに、彼らは解決策を見つけました。彼らは非常に創造的でダイナミックなチームであり、この小予算の国際文化フェスティバルには、まさにこのチームが必要でした。問題を乗り越えるたびに、私たちは自分たちがより強くなったことを実感しました。

私たちは多くの困難を乗り越えてきました。最初の大きな障害は、一部の人々がWaを去ることを決定し、私たちが「メルボルン生け花フェスティバル」と名乗るには単純に小さすぎる、非常に小さなグループになったときでした。

この問題への対策として、私たちは外部から出展者を募集することに決めました。その結果、3人の海外からの出展者と2人の州外の出展者を含む素晴らしい出展者を迎えることができました。彼らが今日ここに私たちと一緒にいてくれること、私たちを信じてくれたことに感謝しています。

2番目は、日本からの著名華道家を招待する余裕がなかったときでした。私が受け取った見積もりは私たちには簡単には手が出せないほどであり、私は自分の学生たちに私の計画を支援してくれるよう頼むことができませんでした。私たちはアプローチを変える必要がありました。

外部の支援を頼むのではなく、自分達でできる限りのことをして、このイベントを国際的なフェスティバルにする必要がありました。

私たちはトーク、デモ、ワークショップ、マーケット、パフォーマンスなどを企画し、いけばなの多様な側面を紹介することを目指しました。方向転換です。

生け花を見せるだけでなく、より深く説明する、体験してもらう、実演を見てもらう、学問的なアプローチもあることを示す、ショーとしても鑑賞してもらう、そのような多様な面を紹介しようとしたのです。

様々なサポート

その結果、3MBS(ラジオ局)などの重要なメディアで取り上げられました。和太鼓竜胆が私たちの努力をサポートするために駆けつけてくれました。国際いけ花学会(ISIR)は定期的に私たちと共同で国際会議を開催することを決定しました。その結果、私たちの多くのイベントはチケット完売となりました。

私はこのメルボルン生け花フェスティバルの実現は、奇跡の連続の結果のように感じています。その奇跡はいけ花の力と、このイベントの重要性を信じる人々の力がもたらしたものです。どうもありがとうございました。

引き続き

以上が挨拶ですが、和・メルボルン生け花フェスティバルの成功要因をもう少し詳しく分析した記録がありますので、引き続き紹介していきたいと思います。海外での日本文化紹介イベントの開催は、かくも難しく、かくも楽しいものなのです。

このスピーチのオリジナルは以下です。

メルボルン生け花フェスティバルからのお知らせ

日本からの出展者募集を開始しました。

2024年度の広報

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