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メルボルン生け花フェスティバルCEO放談(2):すべては妄想から生まれた



私の生徒はすごい

外国人の生徒に生け花を教えるのがいかに難しいか、
などということとをあれこれ書いてきたのですが、
実は、それは本当に小さなこと。

私の生徒はすごいなあと感心することが、ずっと多いのです。

もちろん、日本とは違いますから、例えば、制作協力を依頼しても、駆けつけてくれる人の数には限りがあります。その他、日本の華道教師が当然のこととして享受しているようなメリットは享受できないことが多いです。しかし、それも小さなこと。

なんといっても、熱心な生徒さんが多い。
しかも和気藹々とやっています。
これほど教師にとってやりやすいことはない。
とてもいい雰囲気で教室が運営できていますから、生徒が増え続けるばかりです。
ありがたいな、といつも感謝しています。

今月で、2018年度のレッスンも終了。来年2月まで約3ヶ月、休暇です。
昨晩、上級者向けに宿題のリストをメールしました。
3項目ほどあったのですが、その一つは、
生け花ギャラリーに投稿すること。
https://www.facebook.com/IkebanaGallery/

すると、該当者のほぼ全員がその日のうちに作品画像を投稿。
なんという真面目な方々なのだ!

生け花の生徒をどうサポートしたらいいのか?

彼女らをどうサポートしていくか。
そんなことを今考えています。

海外での最大の問題はマーケットが小さすぎるということ!
生け花をいくら修得しても、それが収入源になるということは難しい。
「生け花を学ぼう」「生け花の装花を依頼しよう」、などというニーズが少なすぎるのです。
これは現実的な難問。
私の生徒がいくら上手になっても、個人ではこの壁はなかなか超えられないでしょう。

解決策は、生け花の普及、定着。

生け花普及のために何ができるのか?

これには大規模な戦略が必要です。組織的な戦略が。

海外にも生け花関連の組織は存在し、展覧会を定期的に開催されたりしています。しかし、生け花普及という点では、目立った成果をあげていないように思われます。おそらくそれは主目的ではないのでしょう。

一般的に既存の組織は、規模が小さく、風通しが良くない場合もあります。ムラ社会と言う言葉がありますが、それは何も日本に限った現象ではないと思います。プラスの面もあれば、包摂か排除かに不当な力が及んだり、革新に不寛容な、変動性のない性格を持ったりもします。

今考えているのは、メルボルン・生け花・フェスティバルの開催。
「メルボルンを海外における生け花の首都にしよう!」などと豪語しています。

ここで、一つのパターンができたら、これを世界規模で拡大します。
例えば、シンガポール・生け花・フェスティバル
アムステルダム・生け花・フェスティバル
ニューヨーク・生け花・フェスティバルなどというのが世界中にできてくる。
これらと提携し、一斉に開催してみる。
国際生け花・デーなんていうのができるかもしれない。
生け花の認知度は一気に上がります。
生け花教師への需要もぐっと増える。
ここまでくると妄想ですが、そういうことを考える人も必要でしょう。

生け花の今日的課題

現在、地球環境が壊滅的なことになっています。
人類最大の危機が迫っています。
自然との関わりを再考しなければいけない時期にきています。

この人類的な課題に、一つの示唆を与える要素が生け花にあるのでは?と感じています。自然=資源という近代資本主義社会の自然観を超えた自然観が、そこにはあります。

間もなくユネスコの学術誌に書いた私の論文が出版されるようです。
そこでも、そのような生け花の環境芸術としての可能性について書いています。

今こそ生け花をもっと普及させなければいけない、ということです。

付記

今回は2018年に書いた個人ブログを改稿して紹介しました。今後もこのブログからメルボルン生け花フェスティバルに関するいくつかを選んでまとめ、こちらで紹介します。

なお、上記で触れた論文は以下の通り出版されました。国際的な論壇に紛れ込んで拙論が紹介されています。

2020 Shoso Shimbo, PhD. Environmental art as public art, UNESCO Observatory, Multi-Disciplinary Research in the Arts, 6, 1.9.

2024年度の広報

見出し画像:2019年度メルボルン生け花フェスティバル会場


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