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【リクエスト記事】幼い頃から「発達障害」である自覚は必要か?

約1ヶ月ぶりの投稿となります!ShoSeiです。
なんか投稿していない間にフォロワーが増えているのが謎ですが、読者の方からリクエスト(質問)を頂いたので答えていきたいなと思います。

今後もリクエストはプロフィールのリンクかTwitterのDMにて受け付けておりますので、是非ご活用ください。

ちなみに投稿をしていなかった理由は単に忙しくさせてもらっていた感じで、精神的に落ち込んでたみたいなオチでは無いことは以前から僕の文章を読んでくれている人なら分かるかな。(笑)

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質問はこちら。

あけましておめでとうございます🎍
今年もよろしくお願い致します🐯

しょうせいさんに聞きたいことがあって、しょうせいさんは子ども時代から検査を受けて発達障害ってわかってたほうがよかったなと思いますか?

息子がフリースクールの校長先生から発達障害の可能性が高いって言われていて、いろいろ考える参考にするためにご意見を聞かせてもらえてると嬉しいです。

(軽く省略させて貰ってます。)

僕自身も「発達障害」というものの存在を知ったのは今から約2年半前くらいで、小さい時から自覚していたわけではない。

今「それを知っていれば・・・」と思っているのだろうか。

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結論、本当にどっちでもいい。


とは言いつつも、文章としてそれっぽい着地はするから安心して欲しい。順を追って説明していく。

まず発達障害というものを子供に説明しようと思うと、恐らく「あなたは普通とは少し違うのよ。」くらいにしか説明出来ないだろう。

そもそも発達障害とは、大人が納得する為に最近生まれた名札に過ぎないんだからそれは仕方の無いことだ。

そしてここに難しい矛盾が生じていることにお気づきだろうか?

発達障害というものを認めるということは、個性を認めるということになる。すると「普通」というものの定義が極めて難しくなり、その弊害として発達障害の定義も困難となる。


これがまじで面倒くさい。説明する相手が大人なら「能力的欠陥」とか言っとけばいいのにね。

もっと言えば小さい子の脳みそでは自分が発達障害だろうとそうじゃなかろうと適応や対処ができるとは思えない。

以上のことから、繰り返すが

自分が発達障害だろうが違かろうが、どうしようもない。故にどっちでもいいって訳だ。


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「まあ、そんなに冷たいこと言うなよ。」って僕が読者だったら思うだろうから、僕だったらどうするかも書いておくゾ。

そもそも僕は発達障害なんてものは厳密に言えば存在しないと思っている。要は生きる社会から求められるものとのギャップの大きさでしかないと思っているからだ。

分かりやすく数式にすると、

社会からの需要-供給できる能力=(大きいほど)発達障害

だから社会に適応できる人間になることを願うのであればワーキングメモリを鍛える手伝いなどをしてやればいいし、子供の個性をそのまま活かしたいのであれば「社会はあなたに向いていないかもしれない」と教えながら好きの選択肢を沢山用意してあげればいい。

前者だろうが後者だろうが、どっかのタイミングでは文句を言われるだろうし逆に感謝もされるだろう。

正解なんて存在しないが故に、不正解もない。

親なんて勝手に産んでる時点で全員毒親だ。
あとは子供自身と親としての自分にどれだけ抗体を身につけさせられるかの差しかない。


まあ僕の予想だと近い未来に現段階で発達障害と言われているような若い人はどんどんと増え過ぎて、それが1つのスタンダードになるだろう。

それに応じて日本の社会が変化していくかどうかは知らないが。(笑)

少なくとも悩む必要はないと思うという、雑な着地になってしまってごめんなさい。


今日も生きてて偉い!

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