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今、現に、動かすもの

数年前のこと。
今、流行のリバース・メンタリングではないが、
ある若者からとても大切な事を教わった。

それは、通っていたスポーツクラブでのこと。
「お笑い」を目指しながら、修行と貯金を兼ねて働いているという新人トレイナーさん。
まだ、現場に出て二週間足らずというのに、落ち着いた働きぶり。
何より真摯なスタンスが、動きや言葉のはしばしに現れている。
トレーニング後、感銘を受けたので訊いてみた。
「どうしてお笑いを目指そうと思ったのですか?」
すると、ムッとしたまま押し黙ってしまった。
けれど、彼の横顔は語っていた。
「やりたいことに理由なんてあるのですか?必要なんですか?」と。

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いつからだろう?
われわれは、明確な理由を求められるようになった。
「なぜ?」、「その理由は?」、「その目的は?」、etc....

そして、それに対して尤(もっと)もらしい答えを述べることが「賢い」とされ、その答えが経済的、合理的にメイクセンスすればするほど「頭がイイ」とされた。

けれど、21世紀も、それでいいのでしょうか?

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近代社会の産業化(Industrialization)の過程で、因果律的世界観が広がっていった。
物事にはすべて原因と結果があり、人間の行為や判断もすべてその構図(Cause)の中で処理できるもの、しなくてはいけないもの、という人間観が助長されていった。
そうしないと、産業化を進めるための人間の組織化が進まないから?大規模生産システムの中に組み込めないから?

21世紀、未来はますます不確実性が高まる。
その中で、旧来型の人間観、世界観に基づく組織づくりでよいのでしょうか?

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振り返って見てください、
本気で夢中になった時のことを。
子供時代、日が暮れるまで友達と遊んでいた時のことを、或いは、
青春時代、時が経つのがあっという間だった日のことを、或いは、
新人時代、チームで遅くまで議論し、翌朝のプレゼン資料を作っていた時のことを。

理由(Reason)なんて考えたこと、ありましたか?
やるための根拠(Rationale)なんて、考えていましたか?

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でも、もしかしたら、グローバルの時代、「理由」を訊かれるかもしれない。「理由」や「根拠」の説明を求められるかもしれない。
「なぜそうするのですか?」
「目標は何ですか?」
「何を達成しようとしているのですか?」

その時に大事なことは、何でしょうか?
「頭」で答えること?
「心」で答えること?

「頭」を使えば、プライドや固定観念(思い込み・偏見)に左右される?
「心」を使えば、心の壁に邪魔される?

ならば、「何」で応えるのか?

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ある時、気づいた。
人生には3つの笑顔(Smile)があることを。

楽しい時の笑顔、
面白い時の笑顔、そして、
無意識で出る笑顔。

中でも「無意識で出る笑顔」がイチバン。

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21世紀のルネサンスにとって大事なことは、「無意識で出る笑顔」を世界中の人々に届け、共有していくこと。

だとしたら、そのための働き方や人間同士の関係性、リーダーシップのあり方なんかを考え直さなくてはいけない。その奥にある労働観や組織観、世界観や人間観までも問い直さなくていけない。直感的かつ論理的に:)。

それを可能にするのは、旧来の20世紀型オールド・パラダイムに冒されていない若者たち。ニッポンだけではない、世界中にそうした若者たちがいる。いや、誰もがその可能性を秘めている。

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だから、問いかけて欲しい、
「今、現に、あなたを動かしているものは何か?」を。
「あなたを無意識の笑顔にさせるものは何か?」を。

人は、生きる理由(It maybe the reason I survive)を見つけた時に、はじめて気づくのかもしれない。
「言葉にならない理由」(It's there)こそが、世界の扉を開ける「魔法のおまじない」(It's the magic word)であったことをー

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