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本にまつわるツレヅレ#2 インドとフォント

二度目まして。
こんにちは。
No,No,Yes! 所作生産部の椿です。
苗字が ツバキ です。

この場では先週から週1で個人的「本にまつわるツレヅレ」を綴ることにしました。ひごろは主に生産管理やペイントをしています。絵具と革の相性によるのか、試作に難航している今日この頃…。



今週の姫路は花冷えだかなんだか肌寒い日が多かった。
だからなのか、いや未だ本読みになれないからなのか、手にとったのは
妹尾河童『河童が覗いたインド』新潮文庫、1991年。

細かな字がびっしり。ただし絵も毎ページにある(見開き紙面における絵の割合5割〜8割!)。
字の小ささだけを見ると そっと棚に戻してしまいそうだが、こちらの本に関して言えばそんな気が起こらない。なぜか?
手描きだからだ。絵が著者自身によるだけでなく、驚くべきことに全ページ文章が手描きなのである。初めて手にしたときは「初見のフォントだな」くらいにしか思わなかったが。読みやすさのポイントかもしれない。

入手したきっかけは、当時 恋人がインドのチャイ屋で働いていた経験諸々を語ってくれたことにある。もしインドに行くことがあるとすればタージマハルを見に行くためだろうな、程度の思いの持ち主にとって、心情的に遠い国だったインド。興味が湧いてきたのだった。程なく書店へ向かったのを覚えている。

それはそうと、フォントである。
自由な形式でよければメイリオかHG丸ゴシックM-PRを選びがちだった学生時代。日常で文字デザインを意識しだした契機もここで思い出す。
あれは東京都庭園美術館の企画展だった。(庭園美術館はアール・デコ様式の旧皇族邸で、個人的にも東京にある好きな美術館上位の館)
「ロトチェンコ+ステパーノワ ロシア構成主義のまなざし」(2010年4月24日〜6月20日)と判明。(もう10年前になるのか…)
そう、まさかの日本語でなくロシア語のフォントに意識。さっぱりわからないぶん余計に文字をデザインとして見えたのだろうと推察。
印象的だったことは確かだが、いまさらのように展覧会概要を読む。

「ロシア革命に前後して、芸術の革命を目指したロシア・アヴァンギャルド(中略)当時の若い芸術家たちは芸術の創造に特権的に閉じこもることなく、積極的に社会と関わり、日常生活のなかに芸術を持ち込もうとしました」。

私は「所作」にペイントはしても文字を連ねることはない。(ここだけの話、くずし字をペイントしているのがひとつ。ピンときた方、どのシリーズのどのカラーかの答え合わせはいつかどこかでお会いできた日に…)
ただ、日常の中に美しさを感じてもらえるものを作りたいと思ってきた。
どこでなにが繋がっていくかわからない。選択科目で世界史を選んだから(忘れていても)いまだに見覚えがある地名・名称がでてくるだけで楽しいし、西陣織の染色家になりたかったけれど受験に失敗した高校生がいま革の染色に携われているおもしろさ、いまどうしてここにいるのか、、、。
現在から将来の楽しさとおもしろさのために、興味と感受性(『河童が覗いたインド』解説を書く椎名誠から引用)をもって日常を過ごしたい。
インドに対する興味は、…依然としてあの白亜の墓廟にある。




それではまた次の日曜日に。
椿

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