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【犬の短篇7】とってこーい その1


「とってこーい」


老人が投げたボールは、怠惰な放物線を描いて公園の茂みに消えた。
それを追って、犬が一直線に茂みに飛びこんでいく。

ったく、ワンコは楽でいいねぇ。
なんも考えずボールだけ追っかけてりゃいいんだから。

老人は人生に疲れていた。

妻は、彼の定年退職を待ちわびていたように、家を出て行った。
金の切れ目が縁の切れ目か。
俺は結局、あいつの気持ちなんて何もわかってなかったんだな。
老人には、冷たく笑うことしかできなかった。

犬が帰ってきた。
くわえているものを、嬉しそうに差し出してくる。
それはボール、、、ではない。
土のついた結婚指輪だった。
どうしてこんなものがこんなところに。
手のひらで光る指輪を眺めながら、老人は首を傾げた。



その時、奇妙なことが起きた。

老人の脳裏に、指輪の記憶が蘇ってきたのだ。 


若い男が、茂みで土を掘っている。
ポケットから指輪を取り出し、若い女に見せる。

「わかっていると思うけど、
 僕たち、今は結婚することができない」
「うん」
「でも、どんな障害があろうとも、僕は絶対に諦めない」
「うん」
「1年後の今日、この場所で会おう。
 その時、君にプロポーズさせてほしい」
「うん」

丁寧に指輪を埋める男の姿を、女はじっと見つめ続ける。
まるで、絶対に忘れまいとするように。


老人は我に返り、指輪をじっと見つめた。

ふん、くだらない。

老人は、指輪をゴミ箱に投げ捨てようとした。

しかし、捨てる直前に思いとどまった。

老人は茂みに入ると、指輪を埋められていた場所に丁寧に埋め直した。

ほら、もう行くぞ。

老人は、犬を連れて公園を後にした。
その顔には、満足げな微笑みが浮かんでいた。

帰ったら、あいつに電話でもしてみるか。


老人が出て行ってしばらくすると、公園に若い女がやってきた。

女は茂みに入って土を掘り、指輪を見つけ出すと、電話をかけた。

「もしもし、指輪の買取お願いできますか」

あーよかった。しっかり場所覚えといて。














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