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黒田博樹、永久欠番「15」の是非

2014年の暮れ。ニューヨークヤンキース・黒田博樹が2007年以来の広島カープへの復帰を発表した。FAでMLB球団から20億円のオファーが来ている中での決断。まさに”男気”だ。

黒田の男気が垣間見えたのはこれが初めてではなかった。1996年、専修大学在学時に他球団から多額の契約金のオファーがきているなか”昔から自分のピッチングを見てもらっていた”という理由で、カープを逆指名し、入団を決めた。

紆余曲折を経て、2016年、同じく9年ぶりの復帰を果たし、暗黒期を共にした新井貴浩と文字通りチームを牽引し、悲願のリーグ優勝を果たした。現役約20年経験している2人にとっても初のビールかけだった。その年のレギュラーシーズン終了後、黒田は引退を発表した。

彼の引退を受けて球団は、背番号”15”を永久欠番とすることを発表した。カープの永久欠番は、ミスター赤ヘル山本浩二の「8」、国民栄誉賞を受賞した鉄人・衣笠祥雄の「3」以来だった。

6度のリーグ優勝、3度の日本一を果たした第1次黄金時代の”主役”だった2人以来の永久欠番。「15」の永久欠番化は球団の歴史に黒田博樹の名を深く刻む。大きな意味を持つ出来事だった。

実はこれが発表された当初、ファンのなかでは賛否両論があった。もちろんカープファンの誰もが200勝を達成し、MLBでも実績を残し、25年ぶりリーグ優勝に貢献した黒田を侮ってはいなかった。

”否”の意見を持つ人の言い分は、”通算成績で同格の北別府や大野が永久欠番ではないのになぜ黒田だけ”というものだった。

結論から言うと自分は、黒田の永久欠番には”大賛成”だ。確かに200勝、100勝100セーブをそれぞれ達成している北別府学と大野豊は黒田に匹敵する成績を残している。しかし、黒田博樹の場合、逆指名制度とFA制度という市民球団だからこそ起こってしまった負の歴史のなかでも”カープ愛”を貫き通してくれた。

安い契約金でも1番初めに声をかけていたカープに望んで逆指名をし、”カープを相手に市民球場で投げてることが想像出来なかった”という理由に勝てる球団への移籍するチャンスがあるなかFA権を行使せずカープに残留、MLB球団からの20億円以上のオファーを蹴ってでもカープを選んだ。

永久欠番化は、前述の第1次黄金時代を支えた山本浩二、衣笠祥雄に並ぶことになり、誰もが身に余ることかもしれない。しかし、黒田ほど持っている”カープ愛”を言動、行動で示し、個人成績、チームへの貢献度、共に球団の歴史に名を刻んだ選手は間違いなく、いない。黒田博樹が永く球団のレジェンドとして君臨してきた山本浩二、衣笠祥雄と並んでも違和感はない、むしろそれにふさわしいと思ったのが、背番号”15”永久欠番化に”大賛成”の理由だ。

[追伸]
黒田博樹さんの新井貴浩新監督の下で球団アドバイザーの役職への就任が発表された。また、ドラ1・斉藤優汰投手の育成プロジェクトにも加わるという報道も。来季の黒田アドバイザーの動きも2023シーズンの新しい楽しみの一つだ。

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