声優 斉藤壮馬さん、TikTokクリエイターけんご@小説紹介さん推薦! 『今日、僕らの命が終わるまで』第1章を無料公開!②
マテオ
一時〇六分
自分の部屋に戻ると――二度と戻らないつもりだったけど、やめにした――すぐに気持ちが楽になった。ゲームでラスボスに負けそうになっていたところでライフが追加されたときみたいだ。死ぬことを理解していないわけじゃない。それはわかっている。だけど急いで死ぬことはない。だから時間稼ぎをする。せめて少しでも長く生きていたい――いまはそれだけが望みだから、わざわざこんな夜中に外に出ていって、そのささやかな望みさえも打ち砕くようなことはしたくない。
学校に行かなくちゃと起きたら、今日は土曜日だったと気づいたときみたいな、ほっとした気分でベッドに飛び乗り、肩に毛布をはおってまたノートパソコンを開く。アンドレアとの通話を確認するデス゠キャストからのタイムスタンプ付きメールは無視して、電話が来る前に読んでいた、昨日〈カウントダウナーズ〉に投稿されたブログの続きを読む。
投稿したのはキースという二二歳のデッカーだ。彼のステータスからは、どんな人生を送ってきたのかはほとんど見えてこない。わかるのは彼が孤独を好む人で、クラスの仲間たちと出かけたりするよりも、ゴールデンレトリーバーのターボと一緒に走るのが好きだったということ。彼はターボに新しい家族を見つけてあげようとしていた。そうしないと父親がきっと、最初に欲しいと言った人にターボを渡してしまうとわかっていたからだ。ターボは誰もがほしくなりそうな、とても美しい犬だ。生きていられたなら、僕が里親になっただろう。ひどい犬アレルギーだけど、それでも引き取りたいと思うくらいすてきな犬だった。ターボを手放す前に、キースは最後にもう一度だけお気に入りの場所を一緒に走っていて、セントラルパークのどこかで彼の投稿はとだえた。
キースがどんなふうに死んだのかはわからない。ターボは生き残ったのか、キースと一緒に死んだのかもわからない。彼らにとって、どっちがよかったのか、それも僕にはわからない。投稿がとだえた昨日の午後五時四〇分ごろにセントラルパークで強盗事件や殺人事件が起きていないか調べることもできるけど、僕の精神衛生上、謎のままにしておいたほうがいい。かわりにミュージックホルダーを開き、『スペースサウンド』をかける。
数年前、NASAのチームが惑星の音を記録する特殊な装置を開発した。それを知ったとき、不思議に思った。僕が見たどの映画でも、宇宙は完全に音のない世界だったから。だけど本当は音があって、電磁波として存在しているらしい。NASAがそれを人間の耳に聞こえる形に変換してくれたおかげで、部屋にこもっていても、僕は宇宙の神秘に出会うことができる。こういうのは、ネット上で何が話題になっているかをフォローしていないと見逃してしまう情報だ。惑星のなかには、エイリアンの世界を描いたSF映画で使われるような不気味な音を発しているものもある。海王星は速い川の流れのような音。土星は例の不気味な音で、恐ろしいうなり声みたいだったから、それっきり聴いていない。天王星の音も気味が悪く、風が吹き荒れ、まるで宇宙船どうしがレーザーを発射し合っているような音がする。話す相手がいるなら、惑星の音は会話のきっかけにうってつけだ。そうじゃないなら、眠りにつくときのホワイトノイズにちょうどいい。
エンド・デーから気をそらすために、僕は〈カウントダウナーズ〉の投稿をさらに読み進めながら地球の音を流す。これを聞くといつも、鳥のさえずりやクジラが発する低い声を思い出して気持ちが落ち着く。だけどかすかに、得体の知れない何かも感じる。それとよく似ているのが冥王星で、こちらは貝やヘビがたてるようなシューシューという音がする。
僕は海王星の音に切り替えた。
ルーファス
一時一八分
真夜中、プルートーに向かって自転車を走らせる。
"プルートー"というのは俺たちが里親ホームにつけた名前で、家族に死なれたり背を向けられたりした俺たちは、そこで暮らしている。冥王星は惑星から準惑星に格下げになった。だけど俺たちプルートーズは、けっしてお互いを劣った人間として扱ったりはしない。
俺が家族を失ったのは四カ月前で、マルコムとタゴエはそれよりずっと前から親しい仲間どうしだった。マルコムの両親は放火による自宅の火事で亡くなり、犯人の身元はわかっていない。それが誰であれ、両親を奪ったやつがいまごろ地獄の業火に焼かれていることをマルコムは願っている。当時、一三歳の問題児だった彼には引き取り手がなく、里親もかろうじて見つかったほどだった。タゴエのほうは幼いころに母親が家を飛び出し、父親は借金が払いきれず三年前に失踪した。その一カ月後、タゴエは父親が自殺したことを知ったが、いままで涙ひとつこぼさず、どこでどう死んだのかもいっさい知ろうとしない。
自分が死ぬとわかる前から俺は、プルートーに長くいられないとわかっていた。もうすぐ一八歳の誕生日が来るからだ。それは一一月で一八歳になるふたりも同じだ。俺とタゴエは大学に行くつもりで、マルコムもそのうち考え直して仲間に加わるだろうと俺たちは思っている。だけど先のことはもう、俺には関係ない。いま大事なのは、三人がまだ一緒にいるってことだけだ。俺がホームに来た最初の日からずっと、マルコムとタゴエは俺のそばにいる。なごやかファミリータイムにも、不平不満を言い合うときも、俺の両隣にはいつもふたりがいた。
寄り道するつもりはなかったけど、あのビッグな出来事――エイミーとの初めての週末デート――の一カ月後に来た教会が目に入り、自転車を止める。オフホワイトのレンガ造りで茶色い尖塔のある立派な建物だ。ステンドグラス窓の写真を撮っておきたいけど、フラッシュでうまく写らないかもしれない。それならそれで仕方がない。もしインスタ映えする写真が撮れれば、ムーンフィルターをつけてクラシックなモノクロ写真にしよう。問題は、俺みたいな信仰心のないやつが撮った教会の写真が、七〇人いるフォロワーに残す最後の一枚にふさわしいかどうかだ(「#ありえない」というハッシュタグをつけるか)。
「どうした、ルーフ?」
「エイミーがピアノを弾いてくれた教会だ」
エイミーは根っからのカトリック教徒だけど、俺に信仰を押しつけたりしなかった。ふたりで音楽の話をしていて、姉貴が勉強中によくかけていたクラシック音楽が好きだったと俺が言うと、生で聴かせたい、自分の演奏で聴かせたいとエイミーは言った。
「通告を受けたこと、エイミーに知らせないと」
俺の言葉に反応し、タゴエの首がピクッと動く。しばらく距離をおきたいとエイミーに言われたのを忘れるな、と言いたいんだろうが、エンド・デーにそんなのは関係ない。
自転車からおりてキックスタンドをおろす。ふたりから離れて教会の入口に向かいかけたとき、司祭が泣いている女の人に付き添って外に出てきた。この人はきっとデッカーなんだろう。それとも知り合いがデッカーなのか。こんな深夜まで教会も大変だ。デス゠キャストとその「邪悪な悪魔の予告」を否定する教会をマルコムとタゴエはいつもばかにする。だけど、懺悔をしたり、洗礼を受けたりしに訪れるデッカーのために真夜中過ぎまで忙しく働いている修道女や司祭たちには頭が下がる。
おふくろが信じた”神様”というやつが本当にいるなら、いまこそ俺を守ってほしい。
エイミーに電話をかけると、呼び出し音が六回鳴って留守電に切り替わった。かけ直しても同じだ。もう一度トライすると、こんどは呼び出し音が三度しか鳴らずに留守電になった。エイミーは俺を避けている。仕方がないからメールを打つ。
〈デス=キャストから電話があった。きみからの電話も待ってる〉
だめだ、こんなふざけたのは送れない。打ち直す。
〈デス=キャストから電話があった。おりかえし電話してほしい〉
一分もしないうちにスマホが鳴る。心臓に悪いあのデス゠キャストの着信音じゃなく、ふつうの着信音――エイミーだ。
「やあ」
「本当なの?」
もしオオカミ少年みたいに嘘をついていたとしたら、エイミーは間違いなく俺を半殺しにするだろう。いつかタゴエが気を引こうとそれをやって、容赦なくピシャリとはねつけられた。
「本当だ。会いたい」
「いまどこ?」
その声にとげとげしさはない。最近はいつも一方的に電話を切られたけど、その気配もない。
「前に連れてってくれた、あの教会のそばにいる」
ものすごく平穏で、ずっとここにいれば、そのまま明日を迎えられそうな気がする。
「マルコムとタゴエも一緒だ」
「なんでプルートーにいないの? 月曜の夜中にほっつき歩いて何やってるのよ!」
その質問に答えるにはもっと時間が必要だ。あと八〇年くらい必要かもしれない。だけど俺にそんな時間はないし、腹をくくっていまここで白状する勇気もない。
「これからプルートーに戻る途中なんだ。向こうで会えないか?」
「なに言ってんの。だめ、教会にいて。あたしがそっちに行く」
「だいじょうぶ、会うまでは死なないから。約束――」
「無敵の男じゃあるまいし、ばかじゃないの!」
エイミーは泣いていて、上着なしで雨に降られたときみたいに声が震えている。
「うっ……ごめん。でも、いったい何人のデッカーがそういう約束をして、そのあと”まさかの事故で”死んでいると思うの?」
「そんなやつ、めったにいないだろ。ピアノで死ぬ確率は高くなさそうだぞ」
「ふざけないで! すぐ着がえるから、そこを動かないで。三〇分以内には行くから」
俺がしたことを、ぜんぶ許してほしい――今夜のことも含めて。ペックから連絡がいかないうちに会って、俺の言いぶんを話したい。ペックは家に帰ったらまず汚れた服や体をきれいにして、それから兄弟のスマホを借りてエイミーに電話をかけ、俺のことを凶暴なモンスターみたいだと告げ口するはずだ。ただ、警察にだけはチクってほしくない。じゃないと、俺はエンド・デーを鉄格子のなかで過ごす羽目になるか、警棒でボコボコにされて死ぬかもしれない。そんなことは考えたくもない。俺はただエイミーに会って、プルートーズにお別れを言いたい――モンスターみたいな今夜の俺じゃなく、いつもどおりの仲間として。
「ホームで会おう。とにかく……会いにきてほしい。じゃあな」
反論される前に電話を切り、エイミーからの鳴りやまない電話を無視して自転車にまたがる。
「これからどうする?」
「プルートーに戻る。俺の葬儀をやってくれるんだろ?」
マルコムに返事をしながら時刻を確認する。一時三〇分。
プルートーズの誰かが通告を受ける可能性はまだある。それを望んでいるわけじゃない。ただそうなれば、たったひとりで死なずにすむかもしれない。
だけど俺は、たぶんひとりで死ぬんだろう。
マテオ
一時三二分
〈カウントダウナーズ〉の投稿をスクロールしながら見ていると、本当に気がめいってくる。それでも見ずにいられないのは、登録しているデッカーのひとりひとりに、シェアしたいストーリーがあるからだ。だから誰かが旅行のようすを公開したら目を向ける――その人が最後は死んでしまうとわかっていても。
外に出ていかなくても、僕はオンライン上でみんなを見守っていられる。
このサイトには五つのタブ――人気、新着、ローカル、おすすめ、ランダム――があって、僕はいつもどおり、まず「ローカル」の検索結果にざっと目を通し、知っている人がいないかどうかチェックする。よし、誰もいない。
でも、今日は仲間がいたほうがよかったのかもしれない。
ランダムにデッカーをひとり選ぶ。ユーザー名Geoff_Nevada88。このジェフという人は日付が変わって四分後に電話を受け、いまはもう外に出てお気に入りのバーに向かっていた。未成年の彼は、店で身分証の提示を求められるか心配している。飲酒ができるように年齢をいつわった”偽の”身分証を最近なくしてしまったからだ。でも、きっと入れてもらえると思う。彼のフィードをフォローして、更新されたら通知が来るように設定した。
また別のフィードに移る。ユーザー名はWebMavenMarc。マークは炭酸飲料メーカーのソーシャルメディア部長だった人で、プロフィールにそのことを二回書いている。彼はいま、死ぬ前に娘が会いにきてくれるかどうか心配している。これを読んで、僕ははっとした。
たとえ意識がなくても、父さんに会いにいかなくちゃ。死ぬ前に僕がちゃんと会いにいったことを、父さんには知っていてほしい。
フォローしたアカウントの更新を知らせる通知が鳴っているけど、それを無視してパソコンを置き、父さんの部屋に行く。あの日の朝、父さんが仕事に出かけたとき、ベッドはまだくしゃくしゃだった。それをあとで僕が整えて、掛け布団をしっかり枕の下にたくしこんでおいた。父さんはそうなっているのが好きだから。母さんはいつもベッドの左側に寝ていたようで、父さんは右側だ。母さんがいなくなっても、父さんは母さんの存在を消してしまわずに、ふたりのときと同じように暮らしている。僕は父さんが寝る側に腰かけ、写真立てを手に取った。僕の六歳の誕生日に、トイ・ストーリーのケーキに立てたロウソクを吹き消すのを手伝っている父さん。でも実際は父さんがぜんぶ吹き消した。僕は父さんのほうを向いて笑っている。そのごきげんな笑顔をいつでも見られるようにここに飾ってあるんだと父さんは言っていた。
こんなことを言うと誰かにからかわれそうだけど、リディアと同じで、父さんは僕の親友だ。僕たちは大の仲良しだった。もちろん何も衝突がなかったわけじゃない。どんな世界でも――僕の学校でも、この街でも、地球の反対側でも――人がふたりいれば何かしら衝突が起きるものだけど、心が通じ合っていれば、それを乗り越える方法は必ず見つかる。〈カウントダウナーズ〉に投稿しているデッカーのなかには、父親のことが大嫌いで、お父さんがもうすぐ死んでしまうのに一度も会いにいかない人や、自分自身が死ぬ前に仲直りしようとしない人もいる。だけど父さんと僕は、そんなふうに仲たがいして口をきかなくなったことなんか一度もない。写真をフレームから出し、折りたたんでポケットにしまい(折り目がついても、父さんは気にしないと思う)立ち上がる。病院に行ってさよならを言い、父さんが目を覚ましたときのために、この写真を枕元に置いておこう。いつもの朝と同じように、目覚めてすぐにこれを見て心をなごませてほしい――僕がもういないことを誰かに告げられる前に。
外に出る決心をして父さんの寝室を出たとき、流しに積み上げられた皿の山が目に入った。父さんがここに帰ってきたときに、汚れた皿や、僕がいつも飲んでいたホットチョコレートの染みがこびりついたマグカップを見ずにすむように、洗っておかないと。
外に出ないための言い訳なんかじゃない。
本当に、そうじゃない。
ルーファス
一時四一分
いつもならブレーキなしの自転車レースみたいに通りを突っ走る俺たちも、今夜は別だ。何度も右を見て、左を見て、車が一台も走っていなくても赤信号なら止まる。現に、いまも止まっている。すぐ近くにデッカー向けのクラブ〈クリントの墓場〉があって、店の前には若者たちがおおぜい群がり、長蛇の列ができている。最後にもう一度ダンスフロアで思いきり羽目を外そうとやってきたデッカーとその友人たちの長い列のおかげで、彼らを仕切る用心棒の収入がとぎれることはなさそうだ。
ブルネットのすごくきれいな女の子が、「俺のビタミンを摂取すれば明日も元気でいられるかもしれないよ」という、使い古されたくどき文句でナンパしてくる男に向かって何やらわめき、その子の友だちがハンドバッグを振り回して男を追い払っている。かわいそうに、くだらない男どもがひっきりなしに言い寄ってくるせいで、自分の死を悼もうとしているその子はひと息つく暇もない。
信号が青に変わるとまた自転車を走らせ、数分後にようやくプルートーに帰りついた。
この里親ホームは古いメゾネット式住宅で、正面の壁はレンガがはがれ、カラフルな落書きの文字は読み取れない。一階の窓に鉄格子がはまっているのは、俺たちが犯罪者か何かだからじゃなく泥棒よけで、すでにいろんなものを失った子どもたちが、これ以上何かを奪い取られないようにするためだ。玄関に続く階段の下に自転車を置き、急いで家に入る。足音が響くのもおかまいなしに、チェス盤みたいなやぼったいタイル張りの廊下を通ってリビングルームに入っていく。そこには掲示板があって、セックスやHIV検査、中絶、養子縁組を扱うクリニックなど、似たような情報が貼り出されている。それでもこの場所は、施設というよりも本当の家みたいだ。
リビングには暖炉もあって、実際には使えないけれど、そこにあるだけでいい雰囲気をかもしだしている。壁には温かみのあるオレンジ色のペンキが塗られ、夏のうちから秋が待ち遠しかった。平日の夜、夕食のあとにみんなでボードゲームをしたオーク材のテーブル。タゴエとリアリティ番組『ヒップスター・ハウス』を見たテレビ。ヒップスターが大嫌いなエイミーは、エロアニメでも見てくれたほうがマシだと嘆いていた。そして、ベッドよりも寝心地がいいから、みんなでかわるがわる昼寝をしたソファー。
二階に上がると、俺たちの部屋がある。ひとりでも窮屈なその部屋を、俺たち三人はどうにかうまく使っていた。夕食で豆を食った日はタゴエがやたらとおならをするものだから、外がどれだけうるさくても、窓をひと晩じゅう開け放って寝た。
「これだけは言っとく」
部屋に入ってドアを閉めながら、タゴエが言う。
「おまえ、ほんとにがんばったよ。ここに来てから、いろいろやったよな」
「やることは、まだまだあったんだ」
俺は自分のベッドに腰かけ、枕に頭を投げ出す。
「ものすごいプレッシャーだ、たった一日で精いっぱい生きろって言われても……」
それに丸一日あるとは限らない。あと一二時間生きられればラッキーなほうだ。
「ガンを治すとか、パンダを絶滅の危機から救うとか、誰もそういうのをおまえに期待してるわけじゃないし」
マルコムがそう言うと、タゴエが続ける。
「そういえばさ、動物がいつ死ぬか予測できないのは、デス゠キャストとしてはラッキーだよな」
俺は舌打ちして首を振る。親友がもうすぐ死ぬってときに、タゴエのやつ、パンダの話を持ち出すつもりだ。
「マジ、そうだって! 生き残った最後のパンダに電話するやつは、世界一の嫌われ者だ。メディア殺到、最後のパンダと自撮りするやつとか――」
「もういい、わかったよ」とタゴエの言葉をさえぎる。どうせ俺はパンダじゃないから、メディアは見向きもしない。
「ふたりに頼みがある。ジェン・ロリとフランシスを起こして、出かける前に葬儀をやってしまいたいって伝えてくれないか」
フランシスは最後まで俺のことがあまり気に入らなかったようだけど、この里親ホームに来て、いい家族ができて、俺は幸運だったと思っている。
「出かけちゃだめだ」
そう言って、マルコムはひとつしかないクロゼットを開ける。
「なんとかなるんじゃないか? おまえをここに閉じこめとけば、例外的に助かるかもしれない!」
「窒息するか、おまえのクソ重たい服がのった棚に頭を直撃されるのがオチだ」
例外なんかないことは、マルコムだってわかっているはずだ。
「もうあんまり時間がないんだ」
俺は起き上がり、少し震えが走るのをなんとかごまかす。怯えている姿をふたりに見せるわけにはいかない。
「ひとりにしてだいじょうぶか?」
タゴエが首をピクッとさせる。
本当は何が言いたいのかわかるまで数秒かかった。
「自殺なんかしないよ」
俺は死のうとなんかしていない。
ふたりは部屋を出ていき、もう洗う必要のない洗濯物と、終わらせる必要のない――それどころか始める必要すらない――夏季教室の宿題と一緒に、ひとり部屋に残された。ベッドの端に寄せてあるカラフルなツルの模様がついた黄色い毛布を肩にかける。エイミーが子どものころから使っていたこの毛布は、彼女の母親が幼いころからある思い出の品だ。俺がエイミーとつきあい始めたのは彼女がまだプルートーにいたころで、この毛布をかけて一緒に眠り、これを敷いてリビングでピクニックをしたこともある。あのころはまだ、だいぶ肌寒かった。別れたあとも毛布を返してくれと言ってこないのは、距離をおきたいと言いながらも、俺とつながっていたい気持ちがあったからだと思う。よりを戻すチャンスはまだあったんだろう。
この部屋は俺が育った家の部屋とはぜんぜん違う。壁はグリーンじゃなくてベージュだし、エキストラベッドが二台あってルームメイトがいる。部屋の広さは半分で、ウェイトトレーニングの道具もゲームのポスターもない。それでも自分の家みたいな気がするのは、大事なのは物よりも人だという証拠だ。マルコムがそれを学んだのは、自宅も、両親も、好きだった物もすべて焼き尽くした炎を、消防士が消し止めたあとだった。
ここで、俺たちはシンプルに暮らしている。
俺のベッドの頭側の壁には、いろんな写真がピンで留めてある。どの写真も、俺のインスタグラムからエイミーが選んでプリントアウトしたものだ。いつも考えごとをしに行くアルシアパーク。自転車のハンドルにかけてある汗まみれの白いTシャツの写真は、今年の夏に初めて参加したサイクルマラソンのあとで撮ったものだ。クリストファー・ストリートに捨てられていたステレオ。そこから流れてくる曲を聴いたのは、そのときが最初で最後だった。鼻血を出しているタゴエ。そのころ俺たちはプルートーズ式の握手を考案中で、そこにおかしな頭突きを組みこんだせいで大惨事になった。一足のスニーカー――片方はサイズ一一、もう片方はサイズ九。その日俺は新しい運動靴を買いにいき、左右のサイズが同じか確かめずに店を出た。エイミーとのツーショット。俺の左右の目の大きさがばらばらで、なんだかハイになってるみたいに見えるけど――実際は(まだ)なっていなかった――街灯の明かりがエイミーの顔をいい感じに照らしているから、この写真はとっておいた。雨が降り続いたあとの公園でエイミーを追いかけ回したときの、泥に残る足跡。並んで座るふたつの影。写りたくないとマルコムはいやがったけど、それでも撮った。ほかにもまだまだある。タゴエとマルコムのためにそれを残して、俺はここから出ていく。
ここから出ていく……。
本当はどこにも行きたくなんかない。
マテオ
一時五二分
出かける準備はほとんどできている。
食器を洗って、ソファーの下からほこりとお菓子の包み紙を掃き出し、リビングの床にモップをかけて、バスルームの洗面台についたハミガキ粉を拭きとり、自分のベッドもきちんと整えた。なのに僕はまたパソコンに向かい、ある大きな問題に直面している。墓石に刻む言葉だ。かぎられた文字数で僕の人生をまとめるとしたら、どうなるだろう?
一生を過ごした場所で彼は死んだ――自分の部屋のなかで。
なんという無駄な人生。
小さな子どもでも、もっと冒険するだろう。
いまのままじゃだめだ。まわりはみんな――僕自身も含めて――僕にもっと期待していたはずだ。その期待にこたえなくちゃいけない。それができるのは今日が最後だから。
マテオ・トーレス・ジュニア
ここに眠る。
みんなのために彼は生きた。
「送信」をクリックする。
もう後戻りはできない。もちろん修正はできるけど、それじゃ約束にならない。みんなのために生きる――それは世界に対する僕の約束だ。
まだ夜も明けていないけど、それでもデッカーには遅すぎるくらいだ。間に合わなくなりそうで、胸が苦しくなる。ひとりじゃ無理だ――この部屋から出るまでが大変なんだ。かといって、僕のエンド・デーにリディアは絶対に巻きこみたくない。ここから出たら――もしも出たらじゃない――リディアとペニーに会いにいく。だけど、リディアには何も言わずにおくつもりだ。実際に死ぬ前から僕が死んでしまったと思わせたくないし、悲しい思いもさせたくない。外で人生を楽しみながらリディアにポストカードを送り、そこですべてを説明しよう。
いま僕に必要なのは、友達の役割を兼ねたコーチ、もしくはコーチ役を果たしてくれる友だちだ。それに出会えるかもしれないのが、〈カウントダウナーズ〉によく宣伝が出ている人気アプリ〈ラストフレンド〉だ。
〈ラストフレンド〉は、孤独なデッカーや、最後の時間を過ごすデッカーに寄り添いたいと考える心やさしい人たちのためのアプリだ。これと〈ネクロ〉を混同してはいけない。〈ネクロ〉のほうは、デッカーと一夜かぎりの関係を結びたい人向けのアプリ、つまり完全にセックスだけを目的としたものだ。僕がいつも〈ネクロ〉に不快感をおぼえるのは、セックスに臆病なせいばかりじゃない。〈ラストフレンド〉は人々が生きがいや愛情を感じて死んでいけるように開発されたアプリで、ユーザーに料金は発生しない。ところが〈ネクロ〉は一日七ドル九九セントで、そこがすごくいやだ。僕はどうしても、ひとりの人間の価値がたった八ドルだなんて思いたくないからだ。
それはともかく、人との出会いはぜんぶそうだけど、〈ラストフレンド〉のアプリを通じて生まれる関係も、どう進展するかは運まかせだ。以前〈カウントダウナーズ〉で、僕はラストフレンドと出会ったデッカーの投稿をフォローしていた。ところがその女性は更新するのが遅くて、たまに何時間も更新されないものだから、チャットルームのビューアーたちは、彼女がもう死んでしまったんだと考えた。ところが実際は元気いっぱいで、最後の一日を大いに楽しんでいた。そして亡くなったあと、彼女のラストフレンドが短い追悼文を寄せ、おかげで僕はその女性について本人の投稿からはわからなかったこともいろいろ知ることができた。だけど、こういう心温まる展開ばかりじゃない。数カ月前、不運なあるデッカーが、悪名高きラストフレンド連続殺人犯と、そうとは知らずに友だちになってしまった。読むにたえない、あまりにも悲惨な話だった。僕が世間をあまり信用できない理由はいろいろあるけど、これもそのひとつだ。
ラストフレンドをつくれば、何かしらいいこともあると思う。それでもやっぱりわからない。たったひとりで死ぬのと、僕にとってどうでもよくて、僕のことを大切に思ってくれているわけでもない相手と一緒に死ぬのと、どっちがより孤独だろう。
時間だけが無駄に流れていく——。
これまで無数のデッカーたちがそうしたように、僕も勇気を出すべきだ。オンラインで銀行口座をチェックすると、大学進学資金の積立預金が自動的に振りこまれていた。二〇〇〇ドルくらいしかないけど、今日一日過ごすには十分すぎる額だ。ダウンタウンにあるワールド・トラベル・アリーナにも行ける。そこはデッカーとゲストが世界の名所や文化を体験できる場所だ。
スマホに〈ラストフレンド〉のアプリをダウンロードする。あっという間にダウンロードが完了した。まるでこのアプリ自身が、時間切れが迫っている人のためのものだと認識し、気をつかってくれているみたいだ。ブルーの画面上でグレーの時計が動き、ふたりの人物のシルエットが互いに近づいてハイタッチする。すると「ラストフレンド」の文字が真ん中に大きく浮かび上がり、その下に選択式のメニューが表示された。
☐ 今日死亡する
☐ 今日死亡しない
「今日死亡する」のほうをタップすると、次のメッセージがあらわれた。
ラストフレンド社より、ご逝去されるみなさまに謹んでお悔やみ申し上げます。みなさまを愛する方々、永遠のお別れをなさる方々にも、心よりお見舞い申し上げます。最後のひとときをともに過ごす、すてきな友人と出会えますように。最善の結果が得られるよう、プロフィールをご記入ください。
ご逝去を悼みつつ
ラストフレンド社
表示された空白のプロフィール欄に記入していく。
名前:マテオ・トーレス
年齢:一八歳
性別:男性
身長:一七八センチ
体重:七四キロ
民族性:プエルトリコ系
性的指向:〈無回答〉
職業:〈無回答〉
趣味:音楽、散歩
好きな映画/テレビ番組/本:ガブリエル・リードのティンバーウルブズ、『プレイド・イズ・ザ・ニュー・ブラック』、”スコーピウス・ホーソーン”シリーズ
これまでの人生:僕はひとりっ子で、父さんとふたりで暮らしてきました。その父さんも二週間前から昏睡状態で、目を覚ますころには、僕はもういないでしょう。自分の殻を破り、父さんが誇りに思えるような息子になりたい。これまでみたいに消極的なままじゃいけない。そのせいで、外に出て行って人と出会うことができなかったから――みなさんとも、もっと早く出会えたかもしれないのに。
死ぬまでにやりたいこと:病院に行って父さんにお別れを言いたい。それから親友に会いにいく。でも、僕が死ぬことは伝えたくない。そのあとは……誰かの人生を変えるような何かをして、これまでとは違うマテオを発見したい。
最後に思うこと:目標に向かってがんばる。
回答を送信すると、写真をアップロードしてくださいと表示が出た。スマホのアルバムをスクロールすると、ペニーの写真や、僕がこれまでリディアに勧めた曲のスクリーンショットがたくさんある。ほかにも父さんとリビングにいる写真や、高校三年のときの野暮ったい写真もあった。そのとき、ルイージの帽子をかぶった自撮り写真が目にとまる。六月にオンラインのマリオカートコンテストで優勝してもらった帽子だ。コンテストの主催者へウェブサイトに掲載する写真を送るはずだったけど、”ルイージの帽子をかぶっておどけている少年”はいかにも自分らしくなくて、結局送らなかった。
だけど、それは間違いだった。なぜ送らなかったんだろう。僕はずっとその写真の少年みたいな、陽気で、楽しくて、気ままな人間になりたかったのに。この写真を見て「あいつらしくない」と思う人なんていない。誰も僕を知らないんだから。見た人はみんな、僕のことをプロフィールどおりの人間だと思うだろう。
その写真をアップロードすると、最後にメッセージが表示された。
「がんばれ、マテオ」