見出し画像

声優 斉藤壮馬さん、TikTokクリエイターけんご@小説紹介さん推薦! 『今日、僕らの命が終わるまで』第1章を無料公開!①

2017年に刊行されるや、たちまち話題となった米国YA小説『They Both Die at the End』の邦訳が2023年3月16日に刊行!
NY Timesベストセラーリスト15カ月連続で1位を取り、Netflixでの映像化も決まっている話題作。その第1章を特別公開いたします!
全4回に分けてアップしていきますので、ぜひお楽しみください!

『今日、僕らの命が終わるまで』
著:アダム・シルヴェラ 訳:五十嵐 加奈子
装画:yoco 装丁:BALCOLONY.
定価:2,420円(10%税込)
2023年3月16日頃発売予定



二〇一七年九月五日
マテオ・トーレス
〇時二二分

 デス゠キャストからの電話が鳴っている。人生の終わりを告げる警告の電話――今日、僕は死ぬ。ちがう、“警告”なんていう生易なまやさしいものじゃない。警告を発するのは、それで何かを回避できるからだ。たとえば赤信号で道を渡ろうとする人に車がクラクションを鳴らすのは、あと戻りするチャンスを与えるため。この電話は、むしろ”通告”だ。あのアラート――鳴りやまないゴングのような独特な着信音が、近くの教会の鐘みたいに、部屋の向こう側に置いてある僕のスマホから響いてくる。僕はどうしていいのかわからず、無数の思いが一気に押し寄せ、すべてをかき消してしまう。初めて飛行機から飛びおりるスカイダイバーや初めてステージで演奏するピアニストも、きっとこんなふうに頭が真っ白になるんだろう。僕にはもう確かめようがないけど。
 こんなの嘘だ。僕はついさっきまで、昨日〈カウントダウナーズ〉に投稿されたブログを読んでいた。デッカーたちが人生最後の時間をどう過ごしているのかをステータスや写真でリアルタイムに発信するサイトで、僕はちょうど、ゴールデンレトリーバーの里親探しをしている大学生のブログを読んでいた。その僕が次は死ぬって――。
 僕が……死ぬ? まさか……でも、本当だ。僕は死ぬんだ。
 胸がぎゅっと締めつけられる。今日、僕は死ぬ。
 これまでずっと、死ぬのが怖かった。だけど心のどこかでは、実際に死ぬわけがないと思っていた。もちろん永遠に死なずにいられるわけじゃない。だけど、大人になるまでは生きられると思っていた。それに父さんからも、物語の主人公になったつもりでいれば大丈夫だと頭に叩きこまれていた。ヒーローの身には悪いことなんか起きない、まして死んだりしない、最後に勝利をおさめるには生きていなくちゃならないからだと。
混乱していた頭もだんだん落ち着いてきた。電話の向こうではデス=キャストの通告者ヘラルドが、今日僕が一八歳で死ぬことを告げようと待ちかまえている。
 僕が、本当に……。
 電話に出たくない。いっそこのまま父さんの寝室に駆けこんで、なんでこんなときに集中治療室なんかにいるんだよと枕に向かってののしりたい。母さんが僕を産んですぐに死んだりするから、僕まで早死にすることになったんだと壁にこぶしを打ちつけたい。また電話が鳴る――一三回目の着信音。これ以上無視し続けても、今日僕の身に起きることは避けられない。
組んだひざにのせていたノートパソコンを横に置いてベッドから立ち上がると、頭がくらくらして、わきによろめく。机のほうに近づいていく僕は、まるでゾンビ、のろのろと歩く生けるしかばねだ。
 発信者IDは、もちろん「デス゠キャスト」。
 震える手でどうにか「通話」ボタンを押し、無言で出る。何を言えばいいかわからず、ただ息をしている。僕が呼吸できるのは、あと二万八〇〇〇回以下だ。それが死にひんしていない人が一日にする呼吸の平均回数らしい。できるうちにめいっぱいしておいたほうがよさそうだ。
 「こんばんは、こちらはデス゠キャストです。わたしはアンドレア。聞こえますか、ティモシー?」
 ティモシー――。
 僕の名前はティモシーじゃない。
 「人違いですよ」とアンドレアに告げる。そのティモシーっていう人には申し訳ないけど、ほっとする。本当に気の毒だと思うけど。
 「僕はマテオです」
 マテオという名は父さんから受け継いだもので、父さんは僕の息子にも同じ名前をつけてほしいと思っている。この電話が間違いなら、それも夢じゃない――僕が父親になる日がいつか来ればの話だけど。
 電話の向こうでキーボードを叩く音がする。入力内容やデータベースを修正しているんだろう。
 「あっ、ごめんなさい。ティモシーはさっきまで話していた方でした。彼はお伝えしたことがよく理解できなかったみたいで、気の毒に。あなたはマテオ・トーレス、ですよね?」
 最後の望みは一瞬で消え去った。
 「マテオ、間違いないかどうか答えてください。悪いけど、今夜はまだたくさん電話をかけないといけないの」
 僕はいままで、ヘラルドというのは――それが彼らの正式な呼び名で、僕が勝手につけたんじゃない――相手に寄り添うようにやさしく通告してくれるものだと思っていた。特に僕なんかの場合、その若さで死ぬのは本当にかわいそうだと、くり返し同情の言葉をかけてくれてもよさそうなものだ。正直、これから何が起きるかはもうわかったんだから、今日一日を思いきり楽しむようにと明るく励ましてくれてもいい。そうすれば、家にこもって完成する見込みのない一〇〇〇ピースのパズルを始めたりしないし、リアルな相手とのセックスが不安だからといってマスターベーションなんかしない。だけどこのヘラルドは、僕のじゃなく自分の時間を――僕と違ってまだたっぷり残されている彼女の時間を――無駄にするなと言っているかのようだ。
 「はい、マテオは僕。僕がマテオです」
 「マテオ、残念なお知らせですが、これから二四時間以内にあなたは早すぎる死を迎えます。それを止める方法はありませんが、あなたにはまだ人生を楽しむチャンスがあります」
 人生は常に平等とはかぎらないという話をひとしきりしたあと、ヘラルドは今日僕が参加できるイベントをいくつか挙げた。彼女に腹を立てても仕方がないけど、「あなたはもうすぐ死にます」という、これまで何百回、何千回と口にしてすっかり頭に焼きついてしまったセリフをくり返すのにうんざりしているのが見え見えだ。僕への同情心なんて、これっぽっちもない。どうせ僕と話をしながら爪にヤスリでもかけているんだろう。
 電話で死を通告されたときのことから人生最後の日エンド・デーの過ごし方まで、デッカーたちはあらゆることを〈カウントダウナーズ〉に投稿する。つまり、〈カウントダウナーズ〉はデッカー専用のツイッターだ。自分がどんなふうに死ぬのかをヘラルドに質問したという投稿を数えきれないほど読んだけど、具体的な死に方は教えてもらえないのが決まりで、元大統領ですらそれは同じだった。四年前、レイノルズ元大統領は死神から逃れようと地下貯蔵庫に身を隠したけれど、警護にあたるシークレットサービスのひとりに殺された。デス゠キャストが告げるのは死ぬ日付だけで、正確な時刻も死に方も教えてはくれない。
 「――すべて理解できましたか?」
 「はい……」
 「では、デス゠キャストのサイトにアクセスして、墓石に彫ってほしい言葉と、葬儀に関して何かリクエストがあれば記入してください。もし火葬をご希望なら――」
 葬儀というものに、僕はたった一度しか出たことがない。七歳のときに祖母が亡くなり、おばあちゃんが目を覚ましてくれないと言って、僕は葬儀で駄々をこねた。それから五年でデス゠キャストが登場すると状況は一変し、誰もが目を覚ました・・・・・・状態で自分の葬儀に出席するようになった。死ぬ前にちゃんとお別れが言えるのはすばらしいことだけど、その分の時間で人生を楽しんだほうがいいような気がする。でも、葬儀に来てくれそうな人がもっといたら、そうは思わないのかもしれない。もし僕に、片手では数えられないくらい友だちがいたなら。
 「それではティモシー、デス゠キャストを代表してお悔やみ申し上げます。今日という日を、どうか精いっぱい生きてください」
 「僕はマテオですけど」
 「ごめんなさい……マテオ。本当にどうかしてる。今日はやたらと忙しかったし、それにこういう電話をかけるのってすごくストレスが――」
 僕は通話を切る。失礼なのはわかってる。わかってはいるけど、こんなときに誰かのストレスフルな一日の話なんて聞いちゃいられない。こっちは一時間後には死ぬかもしれないのに。一〇分後に死んだっておかしくない。せき止めドロップをのどにつまらせるかもしれないし、何かの用事でアパートの部屋を出たとたんに階段から転げ落ち、外にも出ないうちに首の骨を折るかもしれない。部屋に押し入ってきた誰かに殺されるのかもしれない。ひとつだけ確実にないと言えるのは、老衰で死ぬことだ。
 崩れ落ちるように床にひざをつく。今日ですべてが終わろうとしているのに、僕にはどうすることもできない。死を食い止める王笏セプターを取り戻しにドラゴンがはびこる地に分け入ることも、空飛ぶじゅうたんに飛び乗って、ささやかな人生を全うしたいという願いをかなえてくれるランプの精を探しに行くこともできない。もし体を低温冷凍してくれるマッドサイエンティストが見つかったとしても、いかれた実験の途中で死んでしまうのがオチだろう。現実の世界では、誰も死を避けられない。そして今日、死は確実に僕のところにやってくる。
 死んだあとも誰かに会いたくなったりするのかな。だとしたら、僕の〈会えなくなるとさびしい人リスト〉は、リストとは呼べないくらい短い。まずは父さん。僕を全力で育ててくれた父さん。そして親友のリディア。彼女は学校の廊下で僕を無視しなかっただけじゃなく、ランチも一緒に食べてくれて、地学の授業では僕とペアを組んでくれた。将来は環境問題の専門家になって世界を救うのが夢で、僕が彼女のためにできることは、この世界で生き続けることだと話してくれた。リストはこれでおしまいだ。
 僕の〈会えなくなってもさびしくない人リスト〉にも興味があるなら、そっちは何もない。僕は誰かにいじめられたことがない。関わる気にもなれない理由はわかっている。そう、ちゃんとわかってる。僕がどうしようもない臆病者だからだ。公園でローラースケートしようとか、夜中にドライブしようとか、ごくたまにクラスメイトが誘ってくれても、僕は断ってしまった。もしかすると・・・・・・それが原因で死ぬかもしれない・・・・・・という理由で。いちばんの心残りは、人生を楽しむ機会を無駄にしたことと、高校四年間で隣の席になったみんなと親友になれたかもしれないのに、そのチャンスをふいにしたことかもしれない。誰かの家に泊まってひと晩じゅうテレビゲームやボードゲームをして友情を深めることもできたはずなのに、それができなかったのは、僕が臆病すぎたせいだ。
 だけどそれ以上に残念なのは、大らかな性格になって人生を楽しんだかもしれない”未来のマテオ”に会えなくなったことだ。はっきり思い描くのは難しいけど、新しいことに挑戦している未来のマテオを想像してみる。友だちとマリファナを吸ったり、運転免許を取ったり、プエルトリコ行きの飛行機に飛び乗って自分のルーツを探りに行ったり。つきあっている相手もいて、きっとうまくいっているだろう。友人たちのためにピアノを弾いたり歌を聞かせたりして、彼の葬儀にはきっと、おおぜいの人がやってくるに違いない。週末のあいだずっと葬儀は続き、最後にもう一度ハグをしてお別れが言えなかった人たちが次々にやってきて、部屋はいっぱいになる。
 未来のマテオの〈会えなくなるとさびしい人リスト〉には、友だちの名前がずらりと並んでいるだろう。
 でも、僕が成長して未来のマテオになる日は来ない。誰も僕と一緒にハイにはならないし、僕の演奏を聴くことも、僕が運転する車の助手席に乗ることもない。きれいなボウリングシューズを誰がはくか、テレビゲームで誰がウルヴァリンを使うかで、僕が友だちとけんかすることも絶対にない。
また床にへたりこんで考える。いまはやるか死ぬか・・・・・・だ。違う、やっても死ぬ。
 だからやる・・。死ぬのはそのあとだ。


〇時四二分

 自分に腹が立ったときや失望したとき、父さんは気持ちを落ち着かせるために熱いシャワーを浴びる。一三歳になったころ、僕もまねをしてみた。わけのわからない考えがむくむくと湧いてきて、頭を整理する時間がたっぷり必要だったからだ。僕はいまもシャワーを浴びている。その理由は、僕がいなくなるのを世の中が――せめてその一部、リディアと父さん以外にも誰かが――悲しんでくれるのを期待している自分がやましいからだ。死の通告を受ける前の僕は、人生を楽しむことをかかたくなに拒み、そのせいですべての「昨日」を無駄にした。そして、「明日」はもう二度とやってこない。
 このことは誰にも言わずにおくつもりだ。父さんにだけは話すけど、意識もない状態だから話したうちに入らない。人生最後の一日を、誰かの「さびしくなるね」のひとことが本音かどうか気にしながら過ごしたくない。誰だって、残された時間を人の気持ちを疑いながら過ごすべきじゃない。
 いつもどおりの一日だと自分に言い聞かせながら、勇気を出して外に出ていこう。そして入院している父さんに会いに行き、手を握る。父さんの手を握るのなんて、子どものころに手をつないで以来だ。そしてこれが最後……ああ、本当に最後なんだ。
 自分が死ぬという実感も湧かないまま、僕はこの世を去るんだろう。
 リディアとペニーにも会いにいかないと。ペニーはリディアの娘で、いま一歳だ。一年ちょっと前前にペニーが生まれたとき、リディアは僕を名付け親に選んだ。リディアの恋人のクリスティアンがその少し前に死んでしまったから、もしリディアもこの世を去るようなことになれば、そのときは僕がペニーの面倒を見るはずだった。収入もない一八歳が赤ん坊の面倒を見るなんて、もちろん無理だ。だけど大人になったら、世界を救おうとしていたママとかっこいいパパのことをペニーに話して聞かせ、経済的に安定して心の準備も整ったところで、僕の家に迎え入れるつもりでいた。それなのに、僕はいまペニーの人生の外へ追いやられ、アルバムの写真で見るだけの人になろうとしている。写真を見ながらリディアが僕のことを話して聞かせれば、ペニーはうなずきながら耳を傾け、「変なメガネ」と笑ったりするかもしれないけど、あとはさっさとページをめくり、身近にいる大切な家族の写真をながめるだろう。僕はペニーの記憶のなかの人ゴーストにすらなれない――。
 だからといって、もう一度だけペニーをくすぐって笑わせ、顔についたカボチャとグリーンピースを拭いてあげちゃいけない理由はない。それに、リディアが少しだけ育児の手を休めて一般教育修了検定GEDの勉強に集中したり、歯を磨いたり、髪をとかしたり、昼寝したりできる時間もつくってあげたい。それがすんだら、親友とその娘のもとを去り、残りの人生を精いっぱい生きよう。
 シャワーの栓を閉め、降りそそぐ水を止める。今日は一時間もシャワーを浴びちゃいられない。シンクに置いておいたメガネを急いでかけてバスタブから出たとたん、床にたまった水で足をすべらせる。後ろに倒れながら、死ぬ前に人生の走馬灯が本当に見られたらいいなと思ったそのとき、タオル掛けにつかまってどうにか転倒をまぬがれる。息を吸って、吐いて、吸って、吐く。こんな死に方じゃ、いくらなんでも運が悪すぎる。〈まぬけな死〉というブログサイトの「シャワーでノックアウト」部門に投稿されてしまうだろう。アクセス数は多くても、いろんな意味で不快な気分にさせるサイトだ。
 とにかく外に出て人生を楽しまないと――そのためにはまず、このアパートから生きて・・・脱出しないといけない。


〇時五六分

 同じアパートの4Fと4Aの部屋に住む隣人にお礼の手紙を書いて、今日が僕のエンド・デーだと伝える。父さんが入院してから、4Fのエリオットはときどき僕のようすを見にきてくれて、特にこの一週間は食事も届けてくれた。父さんがつくるエンパナーダをまねしてつくろうとして、僕がガスレンジを壊してしまったからだ。4Aのショーンが土曜日にレンジのバーナーを直しにきてくれる予定だったけど、もうその必要はなくなった。父さんなら自分で直せるだろうし、僕がいなくなったあと、何か気をまぎらす仕事があったほうがいい。
 クロゼットから青とグレーのチェック柄のネルシャツを引っぱり出し、白いTシャツの上にはおる。一八歳の誕生日にリディアが買ってくれたもので、外に着ていくのは初めてだ。リディアがそばにいてくれるようなつもりで、今日はこのシャツを着ていこう。
 時計を見る――父さんのおさがりの古い時計。視力が弱くても見やすい数字の光るデジタル時計を買ったあと、僕にこれをくれた。その時計が、もうすぐ一時を指す。普段どおりの一日なら、きっと遅くまでゲームをしていただろう。そのせいで、ぐったり疲れたまま学校に行くことになっても。眠ければ、授業のない自習時間に昼寝ができた。いまになって思うと、その時間に何か授業を――たとえば美術とか――入れればよかった。絵を描いたからといって命が助かるわけじゃない。だけど問題はそこじゃなく、何かをやってみることが大事だったんだ。楽団に入ってピアノを弾けばよかったかもしれない。そこでいくらか認められたら、こんどは合唱団で歌って、そのあとイケてる誰かとデュエットを組んだりして、それからいよいよソロデビュー。そうだ、劇団に入って、自分の殻を破るきっかけになるような役柄を演じられたら、それも楽しかっただろう。なのに僕は、殻に閉じこもって昼寝ができる自習時間を選んだ。
 〇時五八分。一時になったら、無理にでもアパートから出ていく。安心できる避難所サンクチュアリでもあり牢獄でもあったこの部屋を出たら、ただ足早に目的地に向かうんじゃなく、最後にもう一度、新鮮な空気をゆっくり味わいたい。木々を一本一本ながめて、ハドソン川に足を浸して好きな歌を口ずさむのもいい。そして「早すぎる死を迎えたあの少年」として誰かの記憶に残れるようにベストを尽くそう。
 一時になった。
 自分の部屋にもう二度と戻らないなんて、信じられない。玄関の鍵を開け、ドアノブを回し、手前に引く。
 やっぱり……だめだ。開けたばかりのドアをバタンと閉める。
 こんなに早く僕を殺そうとしている世界になんか、出ていくもんか。


ルーファス・エメテリオ
一時〇五分

 最近別れた彼女の新しい彼氏を死ぬほど殴りつけているところで、デス゠キャストからの電話が鳴りだす。まぬけ野郎に馬乗りになって両ひざで肩を押さえつけ、目にもう一発パンチを食らわす寸前で手を止めたのは、その音が俺のポケットから聞こえてきたからだ。耳ざわりなデス゠キャストの着信音。誰もが私生活で、あるいはニュースやドラマで聞いたことのある、あの音。くだらないドラマはどれも、迫りくる恐怖の効果音がわりにあの着信音を使っている。「やっちまえ」と、俺に声援を送っていたタゴエとマルコムの声がやむ。ふたりとも押し黙り、俺はいま、このペックという野郎のスマホも鳴りだすのを待っている。けど、何も起きない。俺のスマホだけだ。俺に人生の終わりを告げようとしているこの電話に、こいつは命を救われたのか。
 「電話に出たほうがいいぞ、ルーフ」
 タゴエが言う。ネットでストリートファイトの動画を見るのが好きなタゴエは、俺がペックを殴りつけるようすを録画していた。そのタゴエはいま、自分にも電話がかかってくるんじゃないかとおびえながらスマホの画面を見つめている。
 「わかった、出るよ」
 心臓がくるったように早鐘を打ち、最初にペックに襲いかかったときよりも、一発目で叩きのめしたときよりも、もっと激しく鼓動している。すでにペックの左目は腫れ上がり、右目には激しい恐怖の色だけが浮かんでいる。デス゠キャストは午前三時まで電話をかけ続ける。だから、俺にあの世に道連れにされるのかどうか、ペックにはまだわからない。
 俺にだってわからない。
 電話が鳴りやむ。
 「間違い電話かもな」とマルコム。
 電話がまた鳴りだす。
 マルコムは黙ったままだ。
 俺は期待なんかしなかった。統計的にどうなのかは知らないけど、デス゠キャストが電話をかけ間違ったなんていう話は聞いたことがない。それに、俺たちエメテリオ家の人間は長生きする幸運に恵まれていない。そのかわり、予定よりもずっと早くわれらが創造主に会える幸運のほうには……かなり恵まれている。
 体が震え、誰かに連続で殴られているみたいに、激しい恐怖でパニックになる。恐ろしいのは、自分がどんなふうに死ぬのかがわからないからだ。わかっているのは、死ぬということだけ。人生の走馬灯はまだ見えていない。あとで本当に死が迫ればそれが見えると思ってるわけじゃないけど。
 下でもがくペックを黙らせようとこぶしを振り上げたとき、マルコムが言った。
 「そいつ、凶器を持ってるんじゃないか?」
 俺たちのなかで、マルコムはいちばん体がデカい。ハドソン川に突っこんだ車のなかで姉貴がシートベルトをはずせずにいたとき、こういうやつがそばにいたら助かったかもしれない。
 電話が鳴る前なら、凶器なんか絶対に持ってない、命を賭けてもいいと言えただろう。勤め先から出てきたペックにいきなり襲いかかったのはこっちだ。けど、いまはそんなことに命は賭けられない。俺はスマホを下に置き、ペックを服の上から叩いて身体検査をする。次に腹這いにさせて、ポケットナイフがないかベルトをチェックする。俺が立ち上がっても、ペックはまだうつぶせのままだ。
 さっきタゴエが放り投げたペックのバックパックを、マルコムが青い車の下から引っぱり出す。ジッパーを開けて逆さにすると、『ブラックパンサー』と『ホークアイ』のコミックが地面に落ちた。
 「何もない」とマルコム。
 タゴエがこっちに向かって突進してくる。ペックの頭をサッカーボールみたいに蹴とばす気かと思ったら、俺のスマホを拾い上げて電話に出た。
 「誰にかけてんの?」
 タゴエの首がピクッと動くが、いつものことだ。
 「ちょ、ちょっと待った。俺じゃない。待って。ちょっと待って」
 そう言ってタゴエは俺にスマホをさし出す。
 「どうする、ルーフ。切ろうか?」
 さあ、どうする。この小学校の駐車場には血まみれになったペックが転がっているし、宝くじに当選しましたと告げる電話じゃないことくらい、出なくたってわかる。タゴエの手からスマホをひったくる。いらいらするし頭は混乱するしで、吐きそうだ。けど、両親も姉貴も吐いたりしなかったし、俺もだいじょうぶなはずだ。
 「こいつを見張ってろ」
 タゴエとマルコムに言うと、ふたりはうなずく。なんで俺がリーダーになったのかわからない。里親フォスターホームに来たのは、俺のほうが何年もあとなのに。
 いまさらプライバシーなんかどうでもいいのに、少し離れたところに移動し、非常口の明かりが届かない場所に立つ。こんな夜中に、こぶしを血で染めた姿を誰かに見られたくない。
 「はい?」
 「こんばんは。こちらはデス゠キャストのヴィクターです。ルーファス・エミー゠テリオさんでしょうか?」
 彼は俺の名字をぶったぎった。だけど訂正してもしょうがない。エメテリオの名を継ぐ人はもう誰もいないんだから。
 「そうだけど」
 「ルーファス、残念なお知らせですが、これから二四時間以内に――」
 「二三時間だろ?」
 駐車場に止めてある車の横を行ったり来たりしながら、俺は相手の言葉をさえぎる。
 「もう一時過ぎだ」
 ふざけんな! 一時間前に通告を受けたデッカーもいる。この電話が一時間前に来ていたら、”大学一年で中退した落ちこぼれのペック”を、やつが働くレストランの外で待ちぶせて、この駐車場に追い込んだりしなかった。
 「はい、おっしゃるとおりです。すみません」
 言い返したくなるのをぐっとこらえる。自分が問題を抱えているからといって、仕事やってる相手に八つ当たりなんかしたくない。それはそうと、なんでこんな仕事に応募するやつがいるのかさっぱりわからない。もし俺に未来があったとしても、ある日目覚めてふと、「午前〇時から三時までのシフトで、ただひたすら電話をかけて、あなたの人生はおしまいですと告げるだけの仕事、やってみるか」とは絶対に思わないだろう。ところがこのヴィクターもほかのヘラルドたちも、そう思ったわけだ。よくある「メッセンジャーにつらく当たるな」的なことも言われたくない。そのメッセンジャーが電話をかけてきて、「今日一日が終わるまでにおまえは必ずくたばる」と告げようとしているときはなおさらだ。
 「ルーファス、残念なお知らせですが、これから二三・・時間以内にあなたは早すぎる死を迎えます。それを止める方法はありませんが、今日一日をどう過ごすか、いくつかオプションを伝えるためにお電話しました。その前に、調子はいかがですか? なかなか電話に出られなかったようですが。何も問題ありませんか?」
 とってつけたような訊き方から、本当は俺の調子より、今夜のうちに電話しないといけないほかのデッカーたちのほうが気になっているのがわかる。通話はたぶんモニターされていて、この質問をはしょってクビになりたくないんだろう。
 「調子なんか知るか」
 俺はスマホをぎゅっと握りしめ、白い肌と茶色い肌の子どもたちが虹の下で手をつないでいる絵が描かれた壁に投げつけたい衝動を抑える。肩越しに振り返ると、ペックはまだ地面に腹這いになったままで、マルコムとタゴエはこっちを見ている。しっかり見張ってないと、やつをどうするか決める前に逃げられるぞ。
 「オプションだけ教えてくれればいい」こっちがそう求めるなら問題ないだろう。
 ヴィクターは今日の天気(午前中は雨、午後も生きているとしたら、やっぱり雨)と、まったく参加する気になれないスペシャルイベント(特に空中庭園ハイラインでのヨガ教室は、雨が降ろうが晴れようが絶対ナシだ)、葬儀の正式な段取り、今日の暗号コードを使うとかなりお得な「デッカー割引」が受けられるレストランについて説明した。それ以外は何も頭に入ってこないのは、俺のエンド・デーがこれからどうなるのかが気になって仕方がないからだ。
 「あんたたちは、どうやって知るわけ?」
 ヴィクターの話をさえぎって訊く。この男は、俺に同情して秘密を明かすかもしれない。そうしたら、壮大なミステリーを解くカギをタゴエとマルコムに教えてやれる。
 「エンド・デーだよ。どうやって知るんだ? リストかなんか? それとも水晶玉とか、未来のカレンダーとか?」
 ひとの人生を左右する情報をデス゠キャストがどうやって知るのかについてはいろんな憶測があって、ネットで見つけたクレイジーな説をタゴエがいろいろ教えてくれた。たとえば、デス゠キャストが本物の霊能者たちに助言を求めているとか。すごくばかばかしいのになると、エイリアンがバスタブにつながれていて、政府が無理やりエンド・デーを聞き出しているというのもある。突っこみどころ満載の説だけど、いまはそれについて語る時間はない。
 「残念ですが、ヘラルドにもわからないんです。わたしたちも気になってはいますが、それを知らないとできない仕事ではないので」
またしてもつまらない答えが返ってくる。こいつは絶対に何か知っているはずだ。だけど仕事を失いたくないから言えないんだろう。
 いけすかないやつだ。
 「なあ、ヴィクター、ちょっとは人間らしい態度をとれよ。知ってるかどうかわかんないけど、俺はまだ一七で、あと三週間で一八歳の誕生日だった。残酷だと思わないのか? 俺はもう絶対に大学に行けないし、結婚も、親になることも、旅行だってできないんだ。どうせなんとも思っちゃいないんだろう。自分はまだ何十年も生きられるとわかってるから、あんたはそうやって、ちっぽけなオフィスでのうのうと構えてそっけない態度をとれるんだろ?」
 ヴィクターが咳払いをする。
 「わたしにもっと人間らしい態度をとってほしいということですね、ルーファス。のうのうと構えていないで、もっと親身になれと。そうですか。一時間前、わたしはある女性との通話を早々に切り上げました。その女性は、四歳の娘が今日死んでしまえば自分はもう母親でいられなくなると嘆いて、どうすれば娘の命を救えるか教えてほしいとわたしに懇願しました。でも、誰にもそんなことはできません。電話を切ったあと、万が一その母親が娘さんの死の原因となったらいけないので、念のため警官を派遣するよう未成年者の担当部署に要請しました。ずいぶんいやなことをすると思うかもしれませんが、この仕事をしていると、そんなのはざら・・なんです。ルーファス、お気持ちはよくわかります、本当に。ですが、あなたが亡くなるのはわたしのせいではありませんし、それに、今夜じゅうにまだ何本も電話をかけないといけないんです。どうかご協力いただけませんか」
 くそったれ!
 あとは黙って協力したけど、わざわざほかの人の話なんか持ち出すから、学校に行けなくなった娘を持つ母親のことが頭から離れない。電話の最後に、ヴィクターは例の決まり文句、デス゠キャストをからめる最近のテレビ番組や映画でおなじみの、あの言葉を放った。
 「デス゠キャストを代表してお悔やみ申し上げます。今日という日を、どうか精いっぱい生きてください」
 どっちが先に電話を切ったのかはわからない。そんなのはどうでもいい。とにかく、もうおしまいだ——違う、おしまいはこれからだ。今日が俺のエンド・デー、ルーファスのアルマゲドンだ。それがどんなふうにやってくるのかはわからない。両親と姉貴みたいに溺死じゃないことを祈る。俺が痛めつけた相手はマジでペックしかいないから、誰かに銃撃されることはないと思う。それでも誤射事件だって起きるからわからない。結局、みんないつかは死ぬわけだけど、どんなふうに、何をして死ぬのかがわからないのは、ものすごく不安だ。
 もしかして、俺はペックに殺されるのか?
 三人がいる場所に急いで戻り、ペックの襟の後ろをつかんでぐいと引き起こし、レンガの壁に頭を叩きつける。額の傷口から血が流れ出た。こんなクズ野郎を相手に自分がここまで逆上するのが信じられない。エイミーが俺と別れた理由を、こいつが人にべらべら言いふらしたせいだ。それが俺の耳に入らなかったら、いまごろこの手でこいつの首を押さえつけたりしていない。いまの俺以上に怖い思いをさせてやろうとなんかしていなかったはずだ。
 「いいか、俺に”勝った”と思うなよ。おまえが原因で別れたわけじゃないんだ。そういう考えはいますぐ捨てろ。エイミーが好きなのは俺で、ちょっとこじれただけで、また俺とよりを戻したはずなんだ」
 これは本当だ――マルコムとタゴエもそう思ってる。俺はペックに覆いかぶさるようにして、まだ見えているほうの目をにらみつける。
 「おまえのつらは一生見たくない、二度と俺の前にあらわれるな」
 ああ、そうだ。俺の一生はいくらも残っていない。だけどこいつはまぬけ野郎だから、おかしなまねをするかもしれない。
 「わかったか!」
 ペックがうなずく。
 首から手を離し、やつのポケットからスマホを引っぱり出す。壁に投げつけると、画面が粉々に割れた。マルコムがそれをさらに踏みつける。
 「せろ!」
 マルコムが俺の肩をつかむ。
 「行かしちゃだめだ。ヤバい連中とつながっているんだぞ」
 高層ビルの窓拭きでもしているみたいに、ペックは壁伝いにおそるおそる離れていく。俺はマルコムの手を肩から払いのける。
 「さっさと失せろ!」
 ペックは駆け出し、ふらつきながらジグザグに走って逃げていく。俺たちが追ってこないか振り返って確かめようとも、立ち止まってコミック本やバックパックを拾おうともせずに。
 「あいつ、ギャングの仲間がいるんだろ? 仕返しにきたらどうする?」
 「どうせ本物のギャングじゃないし、あいつはただの落ちこぼれだ。そもそもペックを仲間に入れるようなやつらなら怖くもなんともない。それに連中にもエイミーにも電話できないようにしてあるからだいじょうぶだろ」
 俺よりも先にエイミーに連絡させるわけにはいかない。エイミーには自分で事情を説明したいし、それに、俺が何をしたかを知れば、たとえエンド・デーでもエイミーは会ってくれないかもしれない。
 「デス゠キャストもあいつに電話できないな」首をピクッ、ピクッと動かしながらタゴエが言う。
 「殺す気はなかった」
 マルコムもタゴエも何も言わない。歯止めがきかなくなったみたいに、俺がペックを死ぬほど殴りつけるのを、ふたりとも見ていたからだ。
 震えが止まらない。
 殺す気はなくても殺していたかもしれない。もし本当にあいつが死んだとして、俺は人を殺した自分を許せたかどうかわからない。違う、それは嘘だ。強がっていても、本当の俺は強くなんかない。家族の身に降りかかったことを自分だけがまぬがれたとき、俺のせいでそうなったわけじゃないのに、耐えられないほどの罪悪感にさいなまれた。そんな俺が、人を殴り殺して平気でいられるわけがない。
 自転車が置いてある場所に駆け戻る。俺の自転車のハンドルがタゴエの自転車の車輪にはさまっていた。ここまでペックを追ってきて、自転車から飛びおり、やつをつかまえたときにはまりこんだんだろう。
 「ついてくるなよ」とふたりに言って自転車を起こす。
 「わかったな?」
 「だめだ、俺たちも一緒に行く。万が一――」
 「それはないって」
 さえぎるように俺は言う。
 「俺はいつ爆発してもおかしくない時限爆弾と同じだ。もし爆発したら、一緒に吹っ飛びはしなくても、おまえたちも火傷やけどするかもしれないんだぞ――冗談じゃなく」
 「俺たちを置いては行かせない。おまえが行くなら、俺たちも行く」とマルコムが食い下がる。
 うなずくタゴエの首が右にピクッと動く。俺について来ようとする気持ちに、体が逆らっているかのようだ。そのあともう一度、こんどはまっすぐ前にうなずいた。
 「ほんとに影みたいなやつらだな」
 「俺たちが黒人だからか?」
 「いつだって俺のあとをついてくるからさ。死ぬまでおそばを離れませんってやつだな」
 死ぬまで――。
 その言葉に三人とも黙りこむ。自転車に乗り、車輪をガタン、ガタンとはずませながら路肩から道におりる。今日はさすがに、ヘルメットを背中にぶら下げたままじゃ走れない。
 ふたりと一日中一緒にいることはできない。それはわかってる。それでも俺たちは“プルートーズ”、同じ里親ホームで暮らす兄弟・・だから、けっしてお互いを見捨てたりしない。
 「さっ、帰るぞ」
 俺たちは、ホームに向けて走りだした。


第2回に続く。