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小さいころからの夢が叶っちゃった人の顛末

初めてのnoteです。
こんにちは。しょうのまい、と申します。何者でもない、ただの会社員なのですが、1万人規模のイベントのリーダーをやったり、個人で関わっていた事業の売却を経験したり、ワインを飲んだくれたりと(このあたりはおいおい、まとめていきたいなと思ってます)なんだか毎日、面白い人生を送っています。

今日は、幼稚園の頃からある夢を持って生きてきて、その夢が叶ったのに、自ら手放してしまった話をしてみたいと思います。小さい頃からの夢を叶えた人ってあんまりいないと思うので、よく、すごいね、とか言われるのですが、実はそんなことないかもよ、夢を持って生きるっていいことだらけじゃないかもよ、ということを話したくて書きます。

なんで突然noteを書こうと思ったかというと、文章を書くことが昔から好きだったからです。あと、12月に個人のイベントを開く予定で、いろんな人に来てほしいから、というのもあります(こちらが主なのは内緒です)

基本的にわたしはゆるいです。キャッチコピーは、意識高いようで高くない、です。これ読んで、ちょっとでも気持ちが楽になる人が、いてくれたら嬉しいなと思って書きます。


ドリトル先生と出会う

ドリトル先生シリーズという本、知っていますか?

このシリーズは、ドリトル先生という動物の言葉が話せる動物博士が、さまざまな国に行って、そこで起きる問題を動物たちと解決していく物語なのですが、幼稚園のころ読み聞かせをしてもらっていたんです。

これを聞いた幼少期の舞ちゃんは、
「え、動物と話せるとか、楽しそうすぎる!貝の言葉を勉強するために潜り続けるとか、なんてクレイジー!」
と、世界がひっくりかえったわけです。

で、わたしもドリトル先生になりたい、と思った。
そこで舞ちゃん、ドリトル先生ってどうやったらなれるんだろうとリサーチ開始。まわりの大人たちに聞きまくるわけです。

「将来は、動物の言葉が話せるようになって、彼らと友達になりたいのだけど、どうやったらなれるの?」

すると、複数人から返ってきた答えがこれでした。
「それはたぶんね、動物のお医者さんが一番近いんじゃないかな」

こうして始まった動物のお医者さんへの道

幼稚園の卒園式のときの写真です。
(なんだか悪意さえ感じるこの右側の絵は、いったい誰が書いたのでしょうか)

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大きくなったら…どうぶつのおいしゃさんになりたいな。
はい、夢が決定しました。

ここから、動物のお医者さんになるための、わたしの人生が始まります。

小学校高学年で選択した中高一貫校への受験は、卒業生に獣医系大学進学者がいるかで決め(獣医系大学は全国に16校、年に1,000人くらいしか入れないので、そもそも間口が狭いんです)、
文理選択は、獣医学部が理系だからという理由で迷わず理系、
大学選びも、獣医学部を有する大学、ということで絞り込み、決めていきました。すべての選択が、ゴールの動物のお医者さんからの逆算思考

そして思い描いた通りの進路を歩み、無事に獣医学部を卒業、国家試験にも受かり、晴れて獣医師免許を取得することになります。

すさまじい勤務医生活

うきうきした投稿してるなあと思いますが、獣医師免許を取得したわたしは、とある大きな動物病院の内科研修医として就職をします。

この動物病院は一筋縄ではいかないような病気を抱えた犬猫たちがよく来る病院で、特にわたしが従事していたのが、白血病やリンパ腫などを中心に扱う血液・腫瘍科。

これがまた、本当に、しんどかったのです。

だってこの科に来るのは必ず亡くなっていく犬猫たち(それはもう自然の摂理なのですが)その子たちと最後の時をふんばる、というのがお仕事でしたので、精神的にもどんどん参っていくうえ、1週間ほぼ寝られないなんてざら、肉体的にも辛くなっていきます。

獣医師3年目のある夜中、出勤のためいつものように病院の塀をよじのぼっていたら(この病院は夜間、敷地のほとんどの門が締まるため、自宅から近道で病院に行こうとすると、塀をよじのぼらなければいけなかった)ふと、なんでこんな生活しているんだっけ…と回想モードに入ってしまったわけです。

そこで思い出したのは、やっぱりドリトル先生のこと。
ああ彼に憧れてここまで……て、あれ?

ドリトル先生って、動物のお医者さんだったっけ?
彼はただ動物と仲良く暮らしていただけでは…?

ああそうか、ドリトル先生は動物博士であって、獣医師ではなかったんだ…
そんな衝撃の事実が発覚します(この時25歳。いや遅すぎるだろ)

逆算思考から積み上げ方式へ

精神的にも肉体的にも限界が近かったわたしに、憧れつづけていた人が実は妄想だったという衝撃(憧れって、理解から一番遠い感情ですよね)。ここで、もうこの夢から一回離れよう…と決意し、ペットフードの商社に就職します。

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(がんばってセミナーをしたりしています)

一回も考えたことのなかったいわゆる会社勤め。でも真剣に取り組んでみたら、思いのほか面白くて、ああ夢から外れても、人って楽しめるんだ、というか目の前のことを一生懸命やったら、だいたい楽しくなるのではないか、という仮説が頭をよぎります。

一方で、一般的には、幼少期から様々な選択をしていくたびに、なにが好きだっけ、なにが得意だっけ、と自分と向き合うことになって、どんどんと人として形成されていくのだと思うのですが、わたしはその選択をすべて夢からの逆算で選んできたため、いろいろすっ飛ばして大人になってしまった感があります。

これが、わたしが思う、夢が最初から決まっちゃってる人の弊害。

だから今では、将来の目標を決めたり、5年後10年後の理想の生活を想像してそこに向かって効率よく生きよう、みたい考え方はあまり好きではないんです。

いま、たまたま体験していることやたまたま出会った人、それに対して自分はなに感じて、どんな行動をとるのか、逆算思考ではなくて積み上げ方式で毎日を生きてみる。自分の好きを分かったり、毎日を自分のお気に入りにすることって、これでしか得られないんじゃないかなと、今のわたしは思っています。

いま焦っている人がもしいたら

そんなこんなで、弾丸のようにまっすぐ夢を追いかけ、叶って、捨ててしまった人の顛末を書いてみたのですが、いま、SNSを見ていると、何者かになりたいけれど、何者になったらいいのかわからない、そんな状況で苦しんでいる人が多いように感じます。

そんな人たちに送りたいのは、目の前のことを丁寧に積み上げる、というのは意外と楽しくて素敵ですよ、ということ。

夢を追いかけて毎日を生きるのももちろんいいけれど、それだと見えない景色が今は見えている気がしています。たとえばわたしは、天気がよかったらそれだけで機嫌がよくなる。そんなこと、昔のわたしにはなかった。だから、隣のあの人がどんなに成功していようが、ホリエモンや田端さんがどんなにすごくっても、あなたはあなたで、目の前のこととしっかり向き合って積み上げていけば、あなたなりの、あなたにとってぴったりの、毎日が作れるんじゃないかなと思うのです。

それを、わたしも毎日実験しながら過ごしています。
最近はやっぱりワインが好き、ということでワインの勉強をちゃんとすること、あとはスナックを主催しようかなと思っています。そこでみんなが毎日考えていることを聞かせてほしいなあ。ほら、ゆるいでしょう。

こんなところで、はじめてのnoteを締めたいと思います。
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