僕が駐在を辞めてまで転職した理由
こんばんは!
今日ですが、昨今多くの人が気になっているのではないかと思う転職について自分なりの考えを書こうと思います。
我々は親世代と比較し、転職が昔と比べ一般化してきているのではないでしょうか?
政府も年金受給年齢を引き上げたり、副業を勧めてたり、すでに日本の社会保障は崩壊始めていると言っても間違いではない状況になっておりますよね?
大手企業であっても早期退職の募集をかけたり、あのトヨタが終身雇用はできないと言ったり、親世代と同じ生き方をしていたら最後上手くいかなくなることは皆さんも薄々感じているのではないでしょうか。
私ごとですが、今年の4月までは新卒で入社した日系商社に勤めており、3月まではタイに駐在しておりました。
学生の時に留学した時からの夢だった海外駐在に2年目で抜擢され、自分が思い描いていたキャリアを歩いておりました。
ところが、現実は自分の予想と少し、いやかなり違うところがあり、日々そのモヤモヤは大きくなり大きな不安となっていきました。
最終的には夢だった駐在を途中で退職しました。
その理由について、これから話していきたいと思います。
1、自分の成長実感がない。
これが転職の1番の理由かもしれない。
タイに駐在して2年半が過ぎたあたりから、昨日の自分や1ヶ月前の自分と比較し
何ができるようになったか考えた時、思いつくことができなくなりました。
親や友人、同期など、側から見たら羨ましいと言われ、出世街道でしょと言われてお りましたが、自分の中では他人からのイメージと自分の実力の差が開いていく一方な気がしました。
2、そもそも会社のビジネスや方向性に将来性を感じなかった
グローバルな仕事、人間力が求められる仕事、金額が大きな仕事など
初めの方はやっていて楽しく、新しいことを知ったり覚えたりすることに充実感を覚 えていたのだが、次第にこの仕事は会社のためになっているのか?お客さんのためになっているのか?本質的な仕事ではないのではと感じてきた。
具体的なことをいくつか上げると、部品を客先に売り込む時に製品の差別化はほぼない物ばかり取り扱っており、やるのは購買での価格の叩き合いと昭和時代の接待。
当時いくつか部品の採用に向け営業活動していたが、中国や台湾メーカーの価格はこちらの日本製品の何倍も安く、また製品のスペックにもほとんど差がなかった。
担当者は日本製品のが安心すると言ってくれていたが、中国製品のサンプルテストが通り、結果失注してしまった。そんなの当たり前で、自分でもわかっていた。
この時、価格でしか勝負ができない製品を会社として拡販すること、またこのような施策しか打ち出せない会社に将来性はないと思った。
3、上層部の内向きな姿勢
単的に言えば、自分の上司はさらに上の自分の上司の顔色や日本の上層部の顔色だけを伺っていた為、社内教育や部下の成長など全く気にしていなかった。
また打ち合わせ時には不必要でも常に日本人全員を出席させ、不効率極まりない愚行をずっと繰り返していた。世の中で言われている生産性のせの字もない程に笑
上司ぐらいの年齢になると、家族や役職などでがんじがらめになり上の顔色しか見なくなるんだなとその時つくづく感じ、同時に自分も少なからずこんな大人になっていくんだと悲しくなった。
他にも細かなところも含めたら色々あるのだが、自分の将来にすごく不安を感じた。
会社の言う通りにしていれば、安泰なのだろうか。ニュースを見ていると終身雇用を歌っていた企業が続々とリストラを開始している。
日本市場は縮小の一途を辿っており、我々のライバルは同じ日系企業だけでなく、世界と相手をしなければならないはずだ。
それなのにいつまでも昭和バブル期のやり方を永遠と続けている。
日本人の気質はその歴史から周りとの調和を大切にする、今時の言葉に変えると
空気を常に読んでいる。
上層部たちは自分が生きる目先数年のことしか考えておらず、既得権益を守ろうとする。それが我々の成長を阻害している。
このままでは共倒れになってしまうのではないか。
会社にキャリアを任せるのではなく、自分でキャリアを作ることが1番安泰だろう。
退職金がもらえることで最後生涯年収のつじつまがあってくる、でも30年後に本当にそのお金は会社にあるのだろうか。
これが私の退職理由です。 長くなりましたが、最後までお読み頂きありがとうございます。