見出し画像

#4 アナログ写真が好きなのに

学生時代、僕は写真クラブに入っていた。学園祭のシーズンが近づくと、展覧会の準 備のために仲間たちと暗室にこもり、フィルムを現像し、毎日遅くまで作品づくりに没頭していた。現像液に浸けられた印画紙の表面にうっすらと画像が浮かび、しだいに濃度を増していく。シャッターを切った瞬間には見えていなかった「微かなもの」が、目を凝らしているうちに見えてくる。そうして僕は、どこまでも奥深い写真の世界に引き込まれていった。

社会人になって、僕は広告の道に進んだ。プロのカメラマンたちと一緒に仕事をするようになってから自分でシャッターを切る機会は少なくなったが、写真を愛する気持ちは変わらない。いまでも仲のいいカメラマンと会うと、写真の話で盛上がることがある。デジタルカメラが普通になり、いまや動画も撮れるミラーレスの時代。「デジタルかアナログか」といった議論は、もはや遠い過去のものになった。が、「やっぱりフィルムで撮った写真はキレイだよね」いう友人は多い。実をいうと僕も「アナログ好き」のひとりで、「日本独特の濡れて滲んだような風情は、フィルムでないと再現できない」なんて主張を繰り返してきたのだ。デジタル写真の鮮やかで「いかにも」といった仕上がりは、自分の目には「乾いて味気ないもの」に映っていたのである。

ところが最近、「自分の目を疑うようなこと」がたびたび起こるようになった。 それは、たとえば東名高速を走って都心へ向かうときに起こる。まるでアメリカ西海岸のフリーウェイにいるように、空から溢れるほどの光の量を感じることがあるのだ。ロードサインや遠くのビル群が、不自然なほど鮮明に見えたりする。あるいは、よく晴れた日に134号線を伊豆方面に向かって走っていて、「きょうの海は、ずいぶんトロピカルっぽい色をしてるなあ」なんて感じてしまうことがある。湿気を帯びてしっとりしているはずの日本の景色が、なぜかモニター上のデジタル画像のように見えるのである。

これはもしかして「PCやスマホの画面を毎日見過ぎているせいかもしれない」なんて少し心配になっている。これまで僕の脳ミソは、網膜に映ったものをアナログ情報として捉えていたはずだが、それがいつの間にかデジタル型に変わってしまったのだろうか。それとも自分の視覚の問題ではなく、地球温暖化などが原因で、実際に光のコントラストが強くなっているせいなのか、本当のところはわからない。でも、確かに見え方が以前とは違うのだ。

自分の視覚を本来の自然な状態に戻せないかと、意識して写真美術館を訪れたり、昔現像したモノクロ写真を引っぱり出したりしながら、フィルム時代に撮られた作品にふれている今日このごろである。


https://ad-plant.com/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?